活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

根元(本)4

2016年03月25日 | 法理

「此の物自体」 の必然性を見ると、外で車の音がすれば、否応なしに、

その通りの事があるのです。 現じているのです。

 

一体どっちから始まったのでしょうか。

向こうからはじまったのか、こっちから始まったのか知らないのです。

 

人間(にんげん)を中心にして、色々な事を考えるので、こっちからとか、向こうから

とか問題を起こすのです。

それはみんな 「人の考え方の問題」 です。

そのようなものから、「此の物」 は全部離れているのです。

 

「能は境を逐うて沈す」 とのお示しがあります。

こっちから言えば、向こうの車の音がこっちの方でちゃんとあります。

向こうを対象にすると向こうの車の音がするところに、「此の物」 が

ちゃんと収まるのです。

 

ですから、「両者共に成立しない」 のです。

別の言い方をすれば、もともとこっちだとか向こうだとかは

「存在」 しないのです。

 

それが存在するということは、人間(にんげん) の見解(けんげ) なのです。

 


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