道元禅師が中国から帰った時にどういう事を得たかと質問した人が在りました。
すると、禅師は只(ただ)、「眼横鼻直(がんのうびじょく)」と。
「抹香臭いものは何にも無い」と答えました。
別の言葉で言えば「何の不思議もなかりけりだ」とこたえました。
それでは何の効力が在るかと、又、問われたのに対して禅師は、「唯(ただ)少(しばら)く 柔軟心(にゅうなんしん)を得たり」と、「ただ近頃、心が軟らかになったぞ」と言ったのです。
柔らかに成らなければ駄目なのです。
「柔軟心を得たり」とは、「塊が無くなった」ということです。
「氷」が溶けて「水に成った」のです。
それが「修養の結果」です。
道元禅師は「心が軟らかになっただけだ」と言うのです。
それでなければ衝突します。
一人柔らかに成ったという事は、世界が柔らかに成るのです。
関係が大きいです。
「一人」は宇宙と種々に関係しているからです。
もし人が「我」を瞋(いか)らせようとする時、「我」はどういう覚悟をして防ぐかという事が在ります。
それには「大馬鹿者」に成らなければ成りません。
そういう時は笑って迎えるのです。
「とにかく一つの物」です。
このことに因って「貪欲」も「瞋り(いかり)」も出ないものです。
私たち衆生は「瞋らぬ(いからぬ)」という「柔軟心」を誓おうではありませんか。
それでなければ、唯(ただ)もの知(識)りになっても何にもなりません。