上を見てはいけません。
上を見ても上は無いのです。
下を見てはいけません。
下を見ても下は無いのです。
上も下も、皆、全自己の「有時(うじ)」なのです。
道元禅師は「有時」について、「時すでに これ 有(う)なり、有 みな時なり」とはっきりお示しになっておられます。
只、身の程を知(識)らなければなりません。
「人人(にんにん)の分上 豊かなり」です。
比較するから苦しむのです。
「天地一枚の者(事)」に比較の立て様が無いのです。
道歌に曰く、
「菰(こも)きても やつれがほなき 水仙花」
「うつむくは その掟なり 百合の花」