商売をしている方は「毎度有難うございます」と、挨拶されると思います。
このことが商売をしている方の「口の坐禅」です。
その他に「法も道も禅も」あるはずがありません。
それに成り切り成り切りしている訳です。
禅を知(識)らないひとでも、必ずそうなのです。
禅とか法とか、道とか功夫とか、そういう物を知(識)ると「そうしていることが禅なのだな」とか、「これで善いんだ」というようなものが必ず出て来て、「禅病に近い状態」になってしまうのです。
あるいは、三度の食事をすると思います、このことはみんな「口の坐禅」なのです。
一所懸命に口を開けて食事を頂くことは「食事三昧」に成っているはずです。
仕事をしていれば、その立場立場にあたって「ああしたらいいのか、こうしたら如何だろうか」と計画を巡らします。
「こころくばり」を漢字で書くと「心配」に成ります。
このことは全部「意の坐禅」です。
そうしてみると、行住坐臥 身口意の三業、煩悩と言われているものは全部「禅である」ということに成るのです。