活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

坐禅は習禅には非ず3

2021年01月24日 | 坐禅

「自分というものを考えるから、相手というものが生じてしまう」のです。

 

「自分というものが無くなれば隔て(距離)が取れて打っ通しです。

 

そういう自覚が起こらざるを得ないのです。

 

坐禅をすると、その境界(きょうがい)が得られるのです。

 

口では説明することは出来ません。

 

ですから自分自身で冷暖自知をしなければならないのです。

 

そこまで来るには若干の時間がかかります。

 

それがなかなか、生易しいものではありません。

 

「そのものそれ」が分からないので、十年、二十年、三十年かかった人も在るのです。