活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

修行のあり方1

2020年09月01日 | 法理

私たち衆生は、「修行する」といっても、先ず「自分の考え方」を以て、そういう態度で修行しようとするから難しくなるのです。

 

「そういう修行をしよう」と「標準」をもってはいけないのです。

そうすると、標準の範囲にしか動き得ない事になります。

 

どんな立派そうな修行でもやっぱり自分の標準の範囲なのです。

 

「本当の修行のあり方」というものは、私たち衆生の上にいろんな事が「ただ有(在)る」のです。

 

「正しい修行の前の修行のあり方」というものは「この物の純粋なあり方だけ」でよいのです。

 

目には色んな物が見えます。

つまり、「有(在)る」という事です。

 

耳にはいい音でも悪い音でも、そういうものに構わず、ただ有(在)ったり無かったりするのです。

それが一番正しいことです。

ところが、人間(にんげん)は考え方で取り扱う修行をしているのです。

 

「六根(機能身体)」は「六根(機能身体)のまま」ちゃんと働きをしているのです。