活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

「本当の修行に成る」とは2

2020年09月29日 | 法理

道元禅師「永平広録(えいへいこうろく)第一」に「山僧 叢林(そうりん)を歴(ふ)ること多からず《自分は僧堂で修行したのは僅かの間だ》ー中略ー 当下(とうげ)に眼横鼻直(がんのうびじょく)なることを認得して人に瞞(まん)ぜられず《目は横、鼻は縦についているということを、自分で本当に知った》すなわち、空手にして郷に還る、ゆえに一毫(いちごう)も仏法なし」と。

 

私たち衆生は今まで、自分の鼻が縦についているとか、目は横についているという事に気が付かないくらいにその物に成っていたのに、道元禅師のお言葉を聞いて「なるほど、そうだな、鼻は縦に目は横についていたんだな」と「自分の見(自分を認める)」を起こしてしまいます。

 

そうすると、自分では未だ気が付いていないのに、「肯心(こうしん)自(みずか)ら許す」というお言葉がありますが、「道元禅師がそう言われたのだから、それをそのまま信じて受け取りさえすればいいのに、なぜそれから疑問を起こして修行する必要があるのか」というようなことを言い出す人が居ます。

 

今はそういう時代になってしまいました。