あの趙州(じょうしゅう)禅師も「有仏(うぶつ)の処(ところ)を見ば、急に走過(そうか)せよ。無仏の処も住(とど)まることを得ざれ」とお示しになっておられます。
「仏」というものはきれいなもの、すばらしいものです。
「有仏(仏)」のようになって一切のものにこだわらず、慈悲深くなったとしてもいけないと言っているのです。
「有仏」のところは早く通り抜けて行かないといけないといっているのです。
「無仏」というのは、仏の居ないところです。
「仏」というところに留まってもいけないし、仏のいないところに足を踏み留めてもいけないといっているのです。
空だとか、無だとか、仏だとかいうところから、一切抜け出してしまわないと「元」には戻れません。