親鸞聖人のお示しに「心を行願(ぎょうがん)に用いず」という一節が
あります。
このことは「自力(じりき)の心」を捨てなさいということです。
そうしなければ「阿弥陀様の世界」には行かれませんよ、ということ
なのです。
「行願を用いる」とは「此の物」に任せるのです。
「此の物に任せる」とは、「六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)」に対して
「六境(色、声”しょう”、香、味、触”そく”、法)がみな、それぞれの
働きをするようにできているのです。
これは作り事ではありません。
六根が知(識)らずに出来た時、六境がちゃんと出来上がっていたのです。
それですから「環境」も知(識)らずに出来たのです。