「公案」は一千七百則あると言われています。
しかし、禅語に「一處通れば千處万處、一時に透る」
「一疑破るれば千疑万疑一時に破る」とあります。
つまり、公案は一つでよいのです。
「公案そのものに成り切って(満身公案に成る)」
成り切るものもない處にまで参究していくのです。
この成り切るということは比較的やさしいことですが、真に成り得る
ことは大変難しいことです。
「真に成り得る」とは成り切るものもない處に到達することです。
「公案」は一千七百則あると言われています。
しかし、禅語に「一處通れば千處万處、一時に透る」
「一疑破るれば千疑万疑一時に破る」とあります。
つまり、公案は一つでよいのです。
「公案そのものに成り切って(満身公案に成る)」
成り切るものもない處にまで参究していくのです。
この成り切るということは比較的やさしいことですが、真に成り得る
ことは大変難しいことです。
「真に成り得る」とは成り切るものもない處に到達することです。