不思議なことに世間では、信仰が厚く真面目な人といわれる人ほど、
「この世界」を信じることが出来ません。
この様な人が多いことに驚きます。
「なければならないものが在る」とは実は「この世界」に目醒めなければ
ならないということなのです。
仏法を語ることも世法を論ずることも先ず「この世界に目醒めた後の事」
とする以外にありません。
言葉の問題ではありません。
そこに欧米の人からも容易に受入れられ、力を全く必要とせず、老若男女
一切の衆生が救われる道が「この道(この世界)」です。
不思議なことに世間では、信仰が厚く真面目な人といわれる人ほど、
「この世界」を信じることが出来ません。
この様な人が多いことに驚きます。
「なければならないものが在る」とは実は「この世界」に目醒めなければ
ならないということなのです。
仏法を語ることも世法を論ずることも先ず「この世界に目醒めた後の事」
とする以外にありません。
言葉の問題ではありません。
そこに欧米の人からも容易に受入れられ、力を全く必要とせず、老若男女
一切の衆生が救われる道が「この道(この世界)」です。