「法とは衆生の心なり」と起信論にあります。
心を指して「法」というのです。
「心」というのは意識作用の第八識です。
「意」というのは第七識、「識」というのは第六識を指しています。
「心」というのは今その処に見えた一番初めに起こるものをいいます。
唐紙なら唐紙の一寸見えたその時を「心」というのです。
その次に起こるのは彼の処に模様が描いてあるなと、こういう風に
物の考えが起きます。
それを「意」といいます。
その次に「識」でこれを了別します。
「了別」というのはよく考えることです。
あれは何のもようであるとかというように「差別(しゃべつ)」して深く
考えて「分別(ぶんべつ)」をすることです。