活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

一心 1

2019年04月17日 | 般若心経

凡て「見」ということは、その物と二つになります。

一心なれば見るものと見られるものがないのです。

 

常に変化して止まないところに一心の妙味があります。

「常見」の起こされない処です。

 

変化しつつ、心はいつも変わらないものなのです。

何もないものと見れば「断見」、仏を見れば「仏見」となります。

 

「見」は迷いなのです。「邪見」なのです。

「仏」というのは「ほどける」ということです。

 

あなた方は何ものか。

そこに悟れるものがあれば「自然(じねん)」にほどけるのですが、悟る

ものがなければそれは「仏」ではありません。

 

ただ名をつける「仏」というのは「邪見」です。「仏見」です。