「自我」という認識を持った人間(にんげん)だけが、そのことによって
自分でバランスを崩して、自分で悩まなければならないのです。
喜びや悲しみを受けるのは、すべて「自我」という自分の心なのです。
同じことから「縁」に因ってある時は苦しくなったり、ある時は悲しくなったり
するのもみんな自分がそういう状態を作っているということに、私たち衆生は
なかなか気が付かないのです。
「自我」という認識を持った人間(にんげん)だけが、そのことによって
自分でバランスを崩して、自分で悩まなければならないのです。
喜びや悲しみを受けるのは、すべて「自我」という自分の心なのです。
同じことから「縁」に因ってある時は苦しくなったり、ある時は悲しくなったり
するのもみんな自分がそういう状態を作っているということに、私たち衆生は
なかなか気が付かないのです。