「道(法)」と「世法」を区別するのは自我意識なのです。
ですから「自我の本質」を知(識)ることが修行の究極なのです。
「自我」というものが存在すると、ものが有(在)るということですから、そこには
「時間、空間、距離」が生じるということです。
そうなると「道(法)」とは全く無関係の状態です。
いつでも「自己」に立って、変化をながめていたのでは「無常の状態」は分かりません。
ほとんどの人は他に何か有(在)るような気がするものです。
それが「無明」ということです。
「道(法)」と「世法」を区別するのは自我意識なのです。
ですから「自我の本質」を知(識)ることが修行の究極なのです。
「自我」というものが存在すると、ものが有(在)るということですから、そこには
「時間、空間、距離」が生じるということです。
そうなると「道(法)」とは全く無関係の状態です。
いつでも「自己」に立って、変化をながめていたのでは「無常の状態」は分かりません。
ほとんどの人は他に何か有(在)るような気がするものです。
それが「無明」ということです。