悪いことだけが懺悔出来て、善いことだけが残っているというのは、
ありえないことです。
ですから、悪いと言われることだけが懺悔だということになると、
「実相は無相である」ということからいえば、本当の意味の無相
にはなりません。
「端坐して実相を思え」とは、単座、実相というと二つにとられがち
ですが、「端坐そのものが実相である」ということに気が付かないと
いけないわけです。
悪いことだけが懺悔出来て、善いことだけが残っているというのは、
ありえないことです。
ですから、悪いと言われることだけが懺悔だということになると、
「実相は無相である」ということからいえば、本当の意味の無相
にはなりません。
「端坐して実相を思え」とは、単座、実相というと二つにとられがち
ですが、「端坐そのものが実相である」ということに気が付かないと
いけないわけです。