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映画好き、円柱野郎のブログです

浪速の名橋をめぐってみる (大正橋)後編

2009年08月14日 22時18分12秒 | 旅行・観光
「浪速の名橋をめぐってみる(大正橋)前編」はこちら
★「浪速の名橋をめぐってみる(大正橋)後編」(このページ)

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大阪ドーム

大正橋は、その近くに行けばイヤでも目に入る物があります。



大阪ドーム(京セラドーム大阪)。
存在感ありすぎw



ドームは橋のたもとからでも手前のビルより大きく見えますが、実際に高さは83mあり、ウルトラマン2人分よりも高く、平成ゴジラよりも若干低いくらいという代物。
ん?例えがよく分かりませんか、そうですか。

手前に見えている橋は大正橋の隣にある岩松橋です。

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岩松橋



こちらは大正11年に長さ66.44m、幅員14.55mの橋として架けられ、その後道路幅員を35mに拡幅し現在至るとか。
アーチがある分、遠目には大正橋より目立ってますねw



岩松橋の橋名の上には何やら宇宙人が書いた様な奇っ怪な文様が。
宇宙だろうが何だろうが、公共物にこういう落書きはしてもらいたくないもんです。

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道頓堀川水門



この水門はなかなか未来的なデザインを感じさせます。
高潮の防御や、道頓堀の水位調整などの役目を担っているわけですが、大阪市の「道頓堀川の水辺整備」によると水質浄化の役目もあるようです。

引用すると
「水門操作による河川浄化:大阪湾の潮の干満に合わせた水門操作を行い、寝屋川の汚れた水の流入を防ぎ、大川(旧淀川)のきれいな水を導き入れています。」
↑寝屋川の扱いがひどいなあw
でも確かに寝屋川ってキレイとは言えないけど…。
(でも大和川よりマシ??)

その他、水門の機能については、「道頓堀川の水辺整備」(大阪市)に詳しいです。

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ガスの碑



大正橋から岩松橋を渡り、大阪ドーム側にちょっと行くと「大阪ガス発祥の地」という石碑があります。
明治30年にこの場所で大阪瓦斯が創業されたわけですが、その記念碑ですね。
今でもこの一帯は大阪ガスの土地のようですが、本社は中央区に移っているようです。

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阪神電車 ドーム前駅

一通り見て回ったので、帰りは出来て間もないは阪神のドーム前駅から電車に乗ることに。



この時点では、まだ開業後3ヶ月なのでさすがにキレイですね。
ホームは地下5階。
エスカレーターで30m下までひたすら下りていく地下深い駅ですが、ホームの上は広い空間があるので結構開放感があります。

ちなみに日本で一番深い駅は上越線土合駅で地下70m。
それに比べれば全然浅いですねw


(おわり)

ホームページに載せている旅行記、
「思いのままに足がフラフラ」はこちら
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浪速の名橋をめぐってみる (大正橋)前編

2009年08月14日 21時34分48秒 | 旅行・観光
イントロ

“浪速の名橋50選”に選ばれた橋を一つずつ見ていく「浪速の名橋をめぐってみる」シリーズ。
今回は第3回目、“大正橋”です。

(実際に行ったのは2009年6月27日ですが、記事を書かないまま6月末までのブログ記事を本に纏めちゃったので、今回は実際に行った日付の記事にはしてません。)

★「浪速の名橋をめぐってみる(大正橋)前編」(このページ)
「浪速の名橋をめぐってみる(大正橋)後編」はこちら

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第4橋<大正橋>



最近、仕事の関係でこの近辺にはよく来るんだけど、実際にマジマジと見たのは今回が最初。
橋のたもとには大阪市の作った説明碑などがあったけど、それも今回初めて気づきました。
人間って注意を払ってないと気づかないもんですねw



碑にはこの橋の由来等々が書かれていたので、ちょっと引用させてもらいます。

<以下引用>

 この橋は 都市化が進むなか 渡し以外に川を渡る手段
がなかったため 大正4年に支間長90.6m 幅員19.0mの
当時日本では最も長いアーチ橋が架設され 大正時代の
幕開けを告げるものであるとして 大正橋と命名された
また 大正区の名称は この橋名にちなんでつけられた
ものである
 戦後 アーチの変形と揺れがひどくなり 都市計画道路
泉尾今里線の拡張整備に伴い 昭和46年3月に撤去された
その後 同49年3月にわが国初の三径間連続のプレストレス
しない合成箱桁橋(橋長80.0m 幅員41.0m)として
新しく生まれ変わり 戦後著しく進んだ大阪市の合成桁技術の
一つの到達点をしめす橋であるといえる
 橋詰の親柱には「伊予の青石」(紫雲石)を原石のまま
設置しているほか 下流側の高欄にはベートーベン作曲
の交響曲第9番「歓喜の歌」の音符がデザインされている

平成11年4月 大阪市

<引用終わり>

大正区にあるから大正橋と言うのかと思っていたら、大正橋があるから大正区になっていたとは。
まだまだ知らないことがあるもんです。
あと、実際にこの橋はパッと見は普通の地味な橋なんだけど、改めて「合成桁技術の一つの到達点」なんて書かれると立派な橋なのかと思えてくるねw

見た目に分かる点では幅員41.0mというのはやっぱり広い。
片側4車線だもんなあ。





↑これは碑にも書かれている「第九」の音符。
でも言われないと気づかないかも…?



↑これも碑に書かれている「伊予の青石」ですね。
言われてみれば位置的に親柱ですが、説明文を読んでいなければただの庭石にしか見えなかったかも…?w



大正橋近辺は木津川、西道頓堀川、尻無川(岩崎運河)が合流していて、“水の都”や“八百八橋”と呼ばれた大阪を感じさせる所でもあります。
写真は右が西道頓堀川、左が木津川ですね。


「浪速の名橋をめぐってみる(大正橋)後編」はこちら
コメント (2)
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