今日は周防正行監督久々の新作、「それでもボクはやってない」を観てきました。
前三作のコメディタッチぶりはなりを潜め、主人公が痴漢冤罪の裁判で闘うことになる逮捕~拘留~裁判の課程を、真剣に、リアルに描いてたね。
感想はいつものホームページの方に譲るとして、久々の映画でも周防監督はブレ無く良いモノを撮ってくれるから、観る側としても安心して観てました。
しかし冤罪は恐ろしい。
俺はある程度知識を持っていたつもりだけど、ああいう無実の罪を被った人の気持ちを目で見せられるとやっぱり違う。
<以下、若干のネタバレ有り>
その昔、中学生の時やけど、自分の入っていた部活が“社会クラブ”(地元の歴史や社会的な施設を調べるクラブ)やったこともあって、10回ほど大阪地方裁判所での裁判を傍聴したことがあったんですわ。
だからこの映画の裁判シーンとかは昔見た景色を思い出したりして、「ああ、こういう手続きで進むよね」と再確認しつつ観てました。
まあ、俺の傍聴した事件は覚醒剤取締法違反とか、銃刀法違反とかなんで、痴漢事件ではないけども。
とにかく淡々と進む公判が何回もあって、あっという間に判決が出ることもない。
何日も何日も裁判は続く。
この映画でも逮捕から第1回公判までが60日、そこからさらに判決の下りるまでの306日間が描かれているわけだけど、無実だと分かっている被告人当人にとっちゃなんて辛い時間だろうか。
本当にやって、示談で済ます様な人間はのうのうと娑婆を生きられるのに。
今の裁判システムは間違っているから完全にダメだ、とは言わないけれど、やっぱりこの映画を観て“何か違うだろ”と感じることはある。
「十人の真犯人を逃すとも一人の無辜を罰するなかれ」という法格言がオープニングに出るけど、やはりどう考えたって清廉潔白な人間がよってたかって悪人に仕立て上げられる姿を見ると疑問に思えて仕方がない。
そんな気持ちをテーマにした映画を撮ることで“こんなことがあるのです”と問題提起した周防監督の実行力は凄いと思う。
このストーリーでは商業映画として企画するには難しかっただろうしなあ。
劇中法廷で被害者の女子中学生が証言のために出廷し、主人公の見解と違う“有罪の証言”を涙ながらに語る。
主人公の気持ちからすれば「何言ってやがるんだこの女は!」といった気持ちだろう(実際に映画を観ている俺もそう思った)が、痴漢された女性からすればその証言は勇気の要る行為だろうとは思うし、実際にされたとなれば泣き寝入りはおかしいわけで。
そしてここで描かれるのは、警察が被告が犯人だと被害者に示唆したということ。
つまり警察が誘導している可能性があるということ。
ここで証言に立ったこの女子中学生に怒りを覚えるのはちょっと違うのだ。
・主人公は痴漢をしていなかった。
↑これは主人公目線で、この映画にあっては主観なわけだからこれだけは信じられる真実。
・痴漢はあったかもしれない。
↑劇中に示唆されるように、主人公の“左隣の男”が手を主人公と女子中学生の間を割って伸ばしていたのかもしれない。
・痴漢はなかったかもしれない。
↑これも劇中に示唆されるとおり、主人公のバッグが隣の客に押されて女子中学生の臀部に当たっていたかもしれない。
この映画が言いたいのは結局痴漢があったのかどうかではなく、警察や検察は起訴したからには有罪にしないとメンツが立たないこと。
裁判官は高裁で逆転されるような判決は自分の経歴に関わるので出せないこと。
そういうシステムの問題がこういった冤罪を生んでいるということなんだよね。
だからそれを描くために展開はリアルに推移していくし、決して「JFK」の様にドラマティックでも、「12人の怒れる男」の様にカタルシスがあるわけでもない、“日本の、ある裁判”が描かれるわけだ。
ラストに主人公は控訴した。
杜撰な証拠をひっくり返して、高裁で無罪を獲得するんだと信じたい。
「それでもボクはやってない」の公式サイトは
こちら