今回は「機動警察パトレイバー 劇場版」の感想の書き換え記録。
改訂前と改訂後です。
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「機動警察パトレイバー 劇場版」【改訂前】
マジンガーZ等がスーパーロボット、そしてガンダム等がリアルロボットと分けられるなら、レイバーはリアルロボットだろう。
でもこの作品世界でレイバーはロボットではない。
多足歩行式作業機械であって、動かすには免許が必要となる特殊車両。
舞台は21世紀目前の東京、警視庁は警備部に特殊車両二課を新設。
そこに配置されたレイバーを“パト”レイバーと呼称する。
このアニメはあくまでリアル指向の設定から始まっていて、いわゆるロボット物とは一線を画している。
特に「ロボットありき」ではなく、人や思想や事件が中心になって話が進んでいくのはいかにも“押井作品”らしい。
劇場版1作目で特筆すべきは、89年というWindows 3.1すら出ていない時代にOSやウイルスをテーマにしていること。
先見の明があるにも程があるわw
そして、都市開発問題、旧約聖書、企業と官僚といった要素を上手く絡ませた非常に優れたストーリー。
このレベルの内容を100分足らずで描き、しかもドラマとしてもロボットアクションとしても楽しめるのだから凄いw
押井守監督にはいつも驚かされます。
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「機動警察パトレイバー 劇場版」【改訂後】
OVAからTVシリーズや連載漫画にメディアミックス化されたロボットアニメの劇場版。
近未来の東京で土木作業用に開発されたレイバーの暴走事故が多発。
レイバー犯罪に対応するために設立された警視庁特車二課はその真相に迫っていくが…。
近未来の東京…とは言っても公開された1989年から見た近未来、1999年の東京が舞台。
この映画がSFとして面白いのは2つの設定が上手く取り入れらている点だと思う。
ひとつは、現実では東京湾アクアラインがまだ計画だった時代に、川崎~木更津間の大突堤・干拓事業「バビロンプロジェクト」として作中の設定を取り入れていること。
もうひとつは、一般にはOSなどという言葉が普及する前(Windows 3.1が発売されたのはこの3年後)に、ハードとソフトの観点からマルウェア(劇中ではウィルスとしてしか呼ばれないが)の脅威をサスペンスとして取り入れているということ。
元々このシリーズは、島流し同然の埋め立て地で繰り広げられる学園モノの延長の様な警察コメディ…とでもいうようなロボットアニメだったけれど。
そこに上記の2つの要素をうまく混ぜ込んで、「ただのロボットアニメ」という以上の重厚なSFアニメになっていると思う。
もちろん二課の面々のドタバタ風味もちゃんと入ってシリーズらしさを残しつつ、その上で押井守の趣味性もエンターテイメントの枠の中でギリギリ生かされているのが面白い。
この辺は脚本の伊藤和典がうまくコントロールしたって感じなのかな。
意味深な聖書からの引用や、旧東京と新東京の対比という都市論は、年齢を重ねてから見るとまた違った味わいを感じるところでもある。
特に移り行く東京というテーマなんて、初めてこの映画を観た学生の頃は何も感じなかったのに…。
今観ると、消えていった風景に対して不思議な気持ちがこみあげてくる。
それは年を食ったってことかもしれないけど、新しい街に上書きされる直前の世界がアニメの中で垣間見えるというのも不思議な感じだ。
映画の尺は100分程度。
その中で冒頭の事件から真相の調査、解決のための行動までテンポよく話が進む。
冒頭はOVAを観ていない人向けに世界観の説明台詞とかも入っているけど、入れ込み方はあまり違和感はないかな。
そういう意味では中盤にあるHOSの仕掛けといった技術的な話も、実際には説明台詞なのにあまりクサく感じないのが良いね。
ロボットアクションとしては序盤と終盤に偏っていて中盤とテンションがだいぶ違うのは、監督のダレ間理論的な部分もあるんだろう。
個人的にはダレているというよりは適切な積み重ねだと思うけど、でも帆場の足取りを調査しているシーンは劇判も含めて明らかにダレ間として描いている感じではあるか。
結局のところ劇中では帆場というキーマンには何も語らせない(というか死んでいるので語りようもない)のが興味深い。
登場人物は帆場の考えていたことを推測するしかないわけだけで、結果的には彼の死によって計画はすでに完成していたと説く後藤隊長の解釈が恐ろしくも納得できるところ。
そうそう、この映画の後藤隊長はほんとに格好いいよなあ。
本庁を向こうに回した立ち回りとか、上司として尊敬できる。
人の乗せ方とかも上手いし。
でも…篠原の姿を見てるとこの人の部下にはなりたくないとは思うけどねw
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改訂前の感想を書いたのははおそらく邦画の感想を書きだした最初期だから…2003~2004年ごろに書いたと思われる。
そのころの改訂履歴が残ってないから推測だけど、まあ読み返すとそれくらいに書いたのかなというくらいには内容が荒い(苦笑)
まあ昔っから押井作品が好きだったってのはわかるから、それはそれでいい記録なのかもしれないが。
でもこういう風にファンによって語りつくされた感のある作品は、今更自分の感想を書くというのもちょっと難しいところではあるな。
素直に思っている事だけを書くと、それはそれでダラダラと長くなってしまうしねえ。
感想を書いているホームページはこちら。
改訂前と改訂後です。
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「機動警察パトレイバー 劇場版」【改訂前】
マジンガーZ等がスーパーロボット、そしてガンダム等がリアルロボットと分けられるなら、レイバーはリアルロボットだろう。
でもこの作品世界でレイバーはロボットではない。
多足歩行式作業機械であって、動かすには免許が必要となる特殊車両。
舞台は21世紀目前の東京、警視庁は警備部に特殊車両二課を新設。
そこに配置されたレイバーを“パト”レイバーと呼称する。
このアニメはあくまでリアル指向の設定から始まっていて、いわゆるロボット物とは一線を画している。
特に「ロボットありき」ではなく、人や思想や事件が中心になって話が進んでいくのはいかにも“押井作品”らしい。
劇場版1作目で特筆すべきは、89年というWindows 3.1すら出ていない時代にOSやウイルスをテーマにしていること。
先見の明があるにも程があるわw
そして、都市開発問題、旧約聖書、企業と官僚といった要素を上手く絡ませた非常に優れたストーリー。
このレベルの内容を100分足らずで描き、しかもドラマとしてもロボットアクションとしても楽しめるのだから凄いw
押井守監督にはいつも驚かされます。
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「機動警察パトレイバー 劇場版」【改訂後】
OVAからTVシリーズや連載漫画にメディアミックス化されたロボットアニメの劇場版。
近未来の東京で土木作業用に開発されたレイバーの暴走事故が多発。
レイバー犯罪に対応するために設立された警視庁特車二課はその真相に迫っていくが…。
近未来の東京…とは言っても公開された1989年から見た近未来、1999年の東京が舞台。
この映画がSFとして面白いのは2つの設定が上手く取り入れらている点だと思う。
ひとつは、現実では東京湾アクアラインがまだ計画だった時代に、川崎~木更津間の大突堤・干拓事業「バビロンプロジェクト」として作中の設定を取り入れていること。
もうひとつは、一般にはOSなどという言葉が普及する前(Windows 3.1が発売されたのはこの3年後)に、ハードとソフトの観点からマルウェア(劇中ではウィルスとしてしか呼ばれないが)の脅威をサスペンスとして取り入れているということ。
元々このシリーズは、島流し同然の埋め立て地で繰り広げられる学園モノの延長の様な警察コメディ…とでもいうようなロボットアニメだったけれど。
そこに上記の2つの要素をうまく混ぜ込んで、「ただのロボットアニメ」という以上の重厚なSFアニメになっていると思う。
もちろん二課の面々のドタバタ風味もちゃんと入ってシリーズらしさを残しつつ、その上で押井守の趣味性もエンターテイメントの枠の中でギリギリ生かされているのが面白い。
この辺は脚本の伊藤和典がうまくコントロールしたって感じなのかな。
意味深な聖書からの引用や、旧東京と新東京の対比という都市論は、年齢を重ねてから見るとまた違った味わいを感じるところでもある。
特に移り行く東京というテーマなんて、初めてこの映画を観た学生の頃は何も感じなかったのに…。
今観ると、消えていった風景に対して不思議な気持ちがこみあげてくる。
それは年を食ったってことかもしれないけど、新しい街に上書きされる直前の世界がアニメの中で垣間見えるというのも不思議な感じだ。
映画の尺は100分程度。
その中で冒頭の事件から真相の調査、解決のための行動までテンポよく話が進む。
冒頭はOVAを観ていない人向けに世界観の説明台詞とかも入っているけど、入れ込み方はあまり違和感はないかな。
そういう意味では中盤にあるHOSの仕掛けといった技術的な話も、実際には説明台詞なのにあまりクサく感じないのが良いね。
ロボットアクションとしては序盤と終盤に偏っていて中盤とテンションがだいぶ違うのは、監督のダレ間理論的な部分もあるんだろう。
個人的にはダレているというよりは適切な積み重ねだと思うけど、でも帆場の足取りを調査しているシーンは劇判も含めて明らかにダレ間として描いている感じではあるか。
結局のところ劇中では帆場というキーマンには何も語らせない(というか死んでいるので語りようもない)のが興味深い。
登場人物は帆場の考えていたことを推測するしかないわけだけで、結果的には彼の死によって計画はすでに完成していたと説く後藤隊長の解釈が恐ろしくも納得できるところ。
そうそう、この映画の後藤隊長はほんとに格好いいよなあ。
本庁を向こうに回した立ち回りとか、上司として尊敬できる。
人の乗せ方とかも上手いし。
でも…篠原の姿を見てるとこの人の部下にはなりたくないとは思うけどねw
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改訂前の感想を書いたのははおそらく邦画の感想を書きだした最初期だから…2003~2004年ごろに書いたと思われる。
そのころの改訂履歴が残ってないから推測だけど、まあ読み返すとそれくらいに書いたのかなというくらいには内容が荒い(苦笑)
まあ昔っから押井作品が好きだったってのはわかるから、それはそれでいい記録なのかもしれないが。
でもこういう風にファンによって語りつくされた感のある作品は、今更自分の感想を書くというのもちょっと難しいところではあるな。
素直に思っている事だけを書くと、それはそれでダラダラと長くなってしまうしねえ。
感想を書いているホームページはこちら。