その結果、K先生の出した答えは、「体育の先生が大好きなので
気をひこうと思ったか、この先生なら頭ごなしに叱ったり
押さえつけたりしないということがわかったうえで、どこまで
自分のしたいことが許されるか、という冒険に出てみた」と
いうことだったようです。
これまでも何度か書いていますが、ちびくまは初めての人、
まだ自分のことがよくわかってもらっていないと思われる人、
心を許せる関係になっていない人の前では「いい子モード」に
入ります。
つまり、「こうすることを相手が望んでいるだろう」と思われる
姿に、自分のほうを徹底的に合わせるのです。時々は読み違いも
ありますが、概してこのモードに入っていると、彼の自閉らしさ、
私の知っている、怪しくてへんてこりんなところもある息子の姿は
影を潜めます。素直で調和的で、何でも我慢して、何でも力いっぱい
頑張る、理想的な「いい子」に見えます。
怖いのは、指導者の側がそういう息子の姿を「本来の力を
発揮した姿」だと思い込んでしまうと、
「親(前任者)が甘やかしたのでこれまでできていなかったが、
頑張らせれば本当はできる」とか「自分は親や前任者よりこの子に
適切な対応をしているから力を発揮させている」とか思って
「子どもの気持ちを無視して頑張らせすぎている自分」に
気付けない状態が続いたり、「自分は指導力がある」と変な
自信をつけてしまったりすることです。
こういう指導者は、やがてちびくまが頑張りきれなくなって
体を壊してもその原因には気が付かないし、息子が甘えられる人のもとで
やんちゃをして自分の生活全体のバランスをとろうとしたりすると、
「指導方法が悪いからだ」と考えて、視覚支援などを駆使して
これまで以上の頑張りを強制してしまったりするわけです。
でも、私が見る限り、これまでのちびくまは
100%相手に合わせる「いい子モード」から、相手との信頼関係が
できてくるに従って地の姿が出る「やんちゃモード」になり、
そこで無理に締め付けられたりしなければ、やがて相手との
信頼関係を基礎に自分なりの参加の仕方、頑張り方を見つけて
「折り合いモード」に入っていく、という過程を繰り返してきましたし、
実際K先生との関係もそういう風に推移してきました。
気をひこうと思ったか、この先生なら頭ごなしに叱ったり
押さえつけたりしないということがわかったうえで、どこまで
自分のしたいことが許されるか、という冒険に出てみた」と
いうことだったようです。
これまでも何度か書いていますが、ちびくまは初めての人、
まだ自分のことがよくわかってもらっていないと思われる人、
心を許せる関係になっていない人の前では「いい子モード」に
入ります。
つまり、「こうすることを相手が望んでいるだろう」と思われる
姿に、自分のほうを徹底的に合わせるのです。時々は読み違いも
ありますが、概してこのモードに入っていると、彼の自閉らしさ、
私の知っている、怪しくてへんてこりんなところもある息子の姿は
影を潜めます。素直で調和的で、何でも我慢して、何でも力いっぱい
頑張る、理想的な「いい子」に見えます。
怖いのは、指導者の側がそういう息子の姿を「本来の力を
発揮した姿」だと思い込んでしまうと、
「親(前任者)が甘やかしたのでこれまでできていなかったが、
頑張らせれば本当はできる」とか「自分は親や前任者よりこの子に
適切な対応をしているから力を発揮させている」とか思って
「子どもの気持ちを無視して頑張らせすぎている自分」に
気付けない状態が続いたり、「自分は指導力がある」と変な
自信をつけてしまったりすることです。
こういう指導者は、やがてちびくまが頑張りきれなくなって
体を壊してもその原因には気が付かないし、息子が甘えられる人のもとで
やんちゃをして自分の生活全体のバランスをとろうとしたりすると、
「指導方法が悪いからだ」と考えて、視覚支援などを駆使して
これまで以上の頑張りを強制してしまったりするわけです。
でも、私が見る限り、これまでのちびくまは
100%相手に合わせる「いい子モード」から、相手との信頼関係が
できてくるに従って地の姿が出る「やんちゃモード」になり、
そこで無理に締め付けられたりしなければ、やがて相手との
信頼関係を基礎に自分なりの参加の仕方、頑張り方を見つけて
「折り合いモード」に入っていく、という過程を繰り返してきましたし、
実際K先生との関係もそういう風に推移してきました。