まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.614 滋賀の旅初夏編(7)・彦根市河原町芹町地区

2016-11-14 12:26:21 | 旅行記
おはようございます。





自分(一人称)も彦根にはもう何度も来ていてあっちこっちいろいろと行ったことはあったのですが、だいたい行くとなると彦根城付近、琵琶湖畔、中山道と一応のお決まりのコースばかり。この日の走りの前日にみたこのニュース↓↓↓

彦根市河原町芹町地区伝統的建造物群保存地区が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定

恥かしながら自分(一人称)はこの地名についてはほとんど知りませんでした、ただ「芹町」については近江鉄道に彦根芹川と言う駅があるのでその近辺かなと言う感触はありました。去年近江鉄道各駅巡りでこの駅に来た時は特に見所もない町の中に駅があるとのことでほとんどスルーしてしまったのですが、あの時一歩反対側に進んでいたらこの町並に会えたのかも・・・そう言えば『聞き込みローカル線』でもこの付近に来てましたね、自分(一人称)も町巡りや何やかんやとここでいろいろとお伝えはしているものの、まだまだいっちょかみの域は越えられないと言った感じです、全くお恥ずかしいたらありゃしない・・・と言うことで、まずは河原町地区の町並の写真から進んで行くこととしましょう。









写真1枚目、2枚目は銀座町交差点、2枚目にある建物は登録有形文化財物件ですが詳しくはまた別項でのお伝えとして、ここから南へと伸びる狭い通りへと入って行くことにします。ここまでは若者ウケしそうな町並だったのが、交差点を過ぎてからは一変して時代が逆戻りしたかのような風景へと変わっていきます、狭い道の両側には趣のある商店が建ち並び、所々には時代を感じさせられる古い建物を見ることもできる。自分(一人称)の最初のお目当ては登録有形文化財物件探しだったが、この町並には気持ちを持って行かれますねえ、ここはカメラを片手に相棒をゆっくりと進めて行くことに。店はいかにも地元の人達のためにあるような感じで、旅で立ち寄るにはちょっと気が引けるような感じがする所、しかし今後この町並が上記のニュースにあるように観光を前面に押し出すようなことになるとその雰囲気もまた変わってしまいそう、それがいい事か悪い事かはまあ自分(一人称)が決めることではないでしょう。










町並を更に進んで行くと「大一大万大吉」↓↓↓



の紋が至る所に、これはもうお馴染みの紋、今回の大河ドラマでもよく見かけたことでしょう。この辺りは石田三成所縁の地でもあったのでしょうか、彦根となると佐和山城が所縁の地であるのは分かるのですが、ここについてはよく分かりません、ただの観光客誘致のためにやっているだけのことなのかも。ただ滋賀県を走っているといろいろな所で石田三成に関するものを見かけることができる、歴史的にもそうだし大河ドラマでも大概悪役で描かれることが多い戦国武将ですが、この前見ていたBSプレミアムの岡田准一の番組では石田三成は決してそんな悪く描かれるような人物ではなかったと言う検証をやっていました、まああれほど官兵衛に嫌がらせをしていた三成を岡田准一がフォローすると言うのも変な話なんですが。ドラマなどでは秀吉の元で嫌われ役となった面ばかりが取り上げられますが、地元の人達のためにはよく働いたと言うことで、その思いが上記の「大一大万大吉」の旗印に込められていると言うことらしいです。もうここでは何度も書きましたが『真田丸』の山本耕史演ずる石田三成、なかなか人間的な部分が描かれていて印象に残りました、最後の高速関ヶ原はちょっと残念でしたが、この先の大河ドラマでももっと違った役者で違った一面を見せてくれる石田三成を期待したいところです。










町並を更に南へと進むとひとつ大きな通りを過ぎて次の芹町へと入って行く、こちらは旧街道の雰囲気が漂う古い町並が狭い通りに軒を為している。 重要伝統的建造物群保存地区の範囲となるのはこの町並の一番南の端で近江鉄道の鉄橋がある辺りまで、その中には登録有形文化財の家屋もあってなかなか趣深い所だったのですが、ここも行く先は観光の波が押し寄せてくる所となってしまうのでしょうか。ここからは橋を渡って川の向こう側の町並へ、保存地区の域は出てしまうのですが、写真4枚目からある風景は先述しました『聞き込みローカル線』の近江鉄道編でも訪れていた仏壇店が並ぶ町並。この道は中山道の高宮宿から分かれて彦根城へと続く道で、この道はクネクネと曲がりくねっているので七曲りと呼ばれている。
彦根市内の走りはとりあえずここまで、滋賀の旅初夏編はこの先朝鮮人街道を通って近江八幡へと向かいます。走ってからもう半年になろうとしているし、この間は滋賀の旅秋編も走って来たのでそちらの話も始めていきたいところなのですが、あともう少しだけこの旅の話は続けていきたいと思います。次回は・・・とりあえず近江八幡にたどり着く所までは行っておきたいところですがどうなることでしょうか?今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。        まちみち

No.613 中立売通

2016-11-13 22:40:19 | みち
おはようございます。


昨日(12日)はちょっと遠出をして姫路、たつの方面を走って来ました。まあいろいろとあってなかなか遠出ができない状態はいまだ続いていて、昨日もスタートは遅く帰りはタイムリミット付きと差し迫った中での走りとなってしまいました。久しぶりの姫路方面でいろいろと行きたい所や見たい所はあったのですが、最後は制限時間を気にしてバタバタになってしまい、目的を達することができないまま消化不良気味で引き上げることになってしまいました。それでも何とかここまで遠出できるようになったのはひとつの明るい兆しと言ったところです、まあいろいろな人に感謝をしなければならないわけですが、自分(一人称)が自分のために使うことができる時間はこれからも大事にしていきたいと思います。年末は恒例の宿泊旅行も今年は中止、昨日JR奈良駅の緑の窓口前を通ると年末の指定席の先行予約受付をやってましたが、もうそんな時期になったんやなあと改めて感じてしまった次第です。










まずは京都御所の写真から、東側の御門から入ると砂利道に自転車の轍ができていて、それに沿って相棒を走らせていくのですが、西側の出口に着いた頃にはタイヤが真っ白けになってしまいました。さて、たどり着いたのは写真3枚目にある中立売御門、ちなみに幕末の政変の舞台となった蛤御門はこの御門のもうひとつ南側にあります。中立売御門の前は烏丸通、ここの横断歩道を渡ると西にそれほど広くはない道が伸びているのですが、それが今回の走りのテーマとなる中立売通、早速行ってみることとしましょう。












中立売通は最初は写真1枚目にあるように普通の住宅地の中を進んで行く、所々には古い家屋も見ることができるし途中には登録有形文化財の建物もあるが、民家が入り組んだ中を貫く道は観光のテーマになるような道ではなく、付近の住民が普通に生活のために利用すると言った感じの所である。この道のひとつ北側に通っているのが一条通、鳴くよ鴬平安京の一番北に位置した通りと言うことなので、この中立売通は北から二番目の通りと言うことになる。やがて堀川通へ、大きな通りを渡って更に西へと続く道はバスが通ることができるほどの広さとなっている。
堀川通から二つほど筋を越えた辺りからが平安京の大内裏のあった所となる、写真6枚目にある碑はこの付近にあるが、周辺は民家やビルが建ち並ぶ所でもちろんここに都の中心と言えるような場所があったとは到底思えない雰囲気である。更に写真7枚目には聚楽第跡の碑、ついさっきまでは平安時代の話だったのにいきなり戦国時代の話へと移ってしまう。聚楽第は豊臣秀吉の城(と言うよりは邸宅)としてよく大河ドラマでも出てくることがあるが、その形状や規模については不明な点が多いとのこと、どこにあったのかもはっきりとはしていないがイメージ的には大宮通と中立売通が交わるこの辺りを含む周辺と言う感じがあった。まあその辺りは戦国ミステリーやロマンと言うことではっきりさせない方がいいかも知れませんねえ、あれやこれやと想像するのもまた楽しいことです。ちなみに写真8枚目にある建物はたまたま「じゅらくだい」の名前がついていたので撮っただけで特に意味はありません。そして聚楽第と共にこの付近で出てくるキーワードが西陣、この地名(ではないが)は応仁の乱の頃に出てくるもので、今度は室町時代のお話が登場です。まあその呼び名の由縁については置いといて、この中立売通は西陣の一番南側に当たると言うことらしい、西陣というと織物が有名な所でこの通りにもいくつか呉服店が建ち並んでいる。









ここまで幕末から始まっていろいろな時代の織り交ぜた風景の中を通り過ぎてきた中立売通、千本通の交差点を越えるとその先から道は少し北側に斜めに進んで行く。道はさっきより狭くなり、写真1枚目にあるように歩道には雨除けがあって商店が両脇に軒を連ねている。ここは北野町の入口に当たる三軒町、道の途中には観光案内の立て看板があったが見所はもう少し先にあるとのこと、ただし今回の項ではそこまではカヴァーしていません。この斜めになった道を進むと写真2枚目にある場所、あれ?ここは前に来たことがあるぞ・・・そう、ここは一条通と交わる所で、去年妖怪巡りをした時に通った所です。この交わる所にあるモニュメントはここに市電が通っていたことを示すもの、京都市電北野線は京都駅前から西洞院通、堀川通を経由して、さっき通ってきた中立売通を経由してここから先今出川通まで通じていた。京都の大きな通りを走っていた市電のイメージがあるだけにこの経路は異質な気もするが、それもそのはずで京都市電の中でこのルートだけは狭軌で独立した路線であったらしく廃止も一番早かったらしい。
京都市電は自分(一人称)も小さい頃に何度か乗った記憶があるしいろいろな車両が走っていたことを覚えている。今の京都の交通事情を考えるとやっぱり廃止は仕方ないと言った感じだろうが、もし観光目的としてでも残していたらまた再注目される存在になったのではないかと思う。京都の人からしたら勝手なこと言うな、と思われそうだが、実は近畿2府4県の中で路面電車が走っていなかったのは奈良県だけ・・・いや、昔近鉄が奈良駅から少しの距離だけ路面を走っていたが自分(一人称)には記憶のないこと、だから路面の上を走る電車の姿にはいろいろと思いを馳せてしまうんだよなあ、出来ることなら残せるものは残してほしかったなあ。今度京都に行った時には、ここに路面電車が走っていたと言う姿を思い浮かべながら走ってみることとしましょうか、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。       まちみち

No.612 奈良交通97番系統

2016-11-13 08:21:41 | バス
おはようございます。





奈良交通は奈良県内にバス路線を網羅していて、県内各所の観光地を結んでいます、その中でも97番系統は奈良市内の春日大社参道バス停をスタートして数々の観光名所を結んで終点法隆寺前まで至っています。しかし『奈良回遊ライン』と名付けられたバス路線ですが、今は昼の時間に1時間に1本が走る程度、奈良を代表する寺院、名所を結んでいるにしてはあまりにも寂しい感じ、観光の足は定期観光バスや鉄道に奪われてしまっていると言ったところでしょうか。カテゴリー「バス」編第1弾は今回、この97番系統路線を法隆寺からスタートして奈良市内まで走って行ってみたいと思います。









法隆寺前を出発してまずは中宮寺、国道25号線から外れて県道9号線に入り法輪寺、法起寺と斑鳩の里を代表する寺院を最寄りとするバス停を過ぎて行きます。観光地に近いバス停には奈良交通の普通のバス停にプラスして観光者、外国人向けの立派な表示も立っています、しかも斑鳩町コミュニティバスのバス停も立っているので、よそから来た人には逆にややこしくなってしまっているかも。この間お伝えした秋桜が咲き誇る法起寺周辺、この走りは8月の終わり頃だったのでその風景は全く違ったものになっていますが、この風景を取り巻く落ち着いた雰囲気は1年中いつも変わることのないものです、後方の松尾山から吹いてくる夏は涼しい風が斑鳩の里を穏やかな雰囲気に包み込んでくれています。









法起寺前を過ぎると町の境界を分ける低い峠、その後は矢田丘陵を越える急坂の峠があり、そこを過ぎると慈光院前、ここにも立派な表示が立っています。この先は最寄りに観光地があるバス停はなく、地元の人たちが利用するバス停が・・・ってどうかな?この道はよく通るけどバスがあまり利用されている感じはしないな、だから本数も減らされたんだろうな。これだけ有数の観光地を結んでいるのだから、そのことをもっとアピールして観光客に利用してもらうようにすればいいのに、どうも退廃的な感じの奈良交通には未来を感じることができない気もします。
大和郡山市の中心地へ入ってくるとそれまでの田園風景から町中の風景と変わっていきます。大和郡山城の裏側に当たる小高い丘になった所には写真4枚目にある大職冠と言う名前のバス停、大化の改新の頃にあった官位の名前がバス停になっていてここを通る時には結構気にはなっていたのですが、どういう由縁でこの名前が付けられたのかはよく分かりません。このバス停の先で城の石垣とお濠に沿って急な坂道を下って行って近鉄の踏切を渡ると、県道から分かれて近鉄郡山駅への道へと入って行く、バスは全便一旦駅の方へ入って行くのでこの道は往復しなければならなくなってしまっている、このまどろっこしさも97番系統が衰退していったひとつの原因かも知れないが、市の代表ともなっている駅を無視するわけにはいかないですからねえ。











写真1枚目、奈良口バス停、ここは今このブログでも度々お伝えしている平城京の中に入っている所、しかしここはまだ大和郡山市域です。県道9号線はこの先で左折して南から続く道と合流して北へと向かっているが、この南へと続く道が下ツ道となり、県道9号線は平城京における西一坊大路に当たります。羅城門は九条大路にあってここから筋違いになるのですが、写真2枚目には七条町という名のバス停があり平城京へと差し掛かって来たと言う気持ちにさせられます。更に進むと平城京を代表する西ノ京の二つの大寺、薬師寺と唐招提寺に近い所を通ります、共に最寄りのバス停は県道が寺より東を通っているので薬師寺東口、唐招提寺東口と言う名なのですが、薬師寺の方は寺の南側に薬師寺駐車場と言う引き込み線のようなバス停ができて、薬師寺とは少し距離があるが直結された。寺院の前を通るバスは他の系統ではあるが周辺は一方通行になっていて道も狭いのであまり観光をアピールする路線とは言えない、しかも両方とも近鉄西ノ京駅に近いので、やはりバスは利用しにくいかも知れない・・・と思いながら走っていると唐招提寺東口バス停の奈良方面乗場はたくさんの人がバス待ちをしていた、どうやら外国人のようだが1時間に1本の路線バスでも利用してくれるのはありがたいことです。







写真1枚目、都跡小学校バス停、都跡は「みあと」と読みます、この辺りは平城京の中心地、平城宮跡に近い所で、付近ではこの「都跡」の文字をよく見かけます。この先でバスは県道9号線から分かれて右折して三条大路へと入って行く、この道はもうここでも何度か紹介したことがある国道308号線、昔は両脇に民家が軒を連ねる狭くて走りにくい通りだったが、きれいに整備されて広い道に生まれ変わった。ここからは三条大路×丁目という名のバス停が続く、その途中の4丁目付近が平城京の朱雀大路が通っていたことになるが今はその痕跡は見ることはできない、朱雀門は二条大路からの方が近いと言うことでバス停も最寄りであることはアピールしていない。国道308号線はもう少し行った先の国道24号線との交差点で終わりとなり、ここから先は県道1号線となる、最後の写真にある三条大路1丁目バス停を過ぎるともう奈良の中心地は近い、写真では左端に若草山も見えています。バスはこの先市内循環線に入ってJR、近鉄奈良駅、県庁前、大仏殿を通り過ぎて終点の春日大社参道バス停へと向かいますが、こちらの方はバス停巡り市内循環編で、またいずれの紹介としておきます。今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。      まちみち

No.611 続・南海難波駅

2016-11-10 11:08:23 | 南海
おはようございます。


大河ドラマ『真田丸』、前にここで面白いかどうかの話を書いたのですが、ドラマの方は前回オープニングテーマを最後の持って来ると言う禁じ手をやってしまいました。ここ数年視聴率が苦戦している大河ドラマにあって『真田丸』は相当期待されて始まったんだろうが、これも視聴率的にはイマイチな部類、マスコミはそれを認めたくないのか先行放送のBSの視聴率が好調なのを持ち出してくる始末、しかし話題になるのはやはり地上波の視聴率です、去年よりは良かったとは言うもののやはりNHK的には物足りないことなのでしょう。前回はここ数週低迷していた視聴率の打開策と言うことでオープニングテーマを後ろに持ってきたのでしょうか、でもこれって長年大河ドラマを見てきている自分(一人称)からしたら禁じ手と言う感じで、あまりいい気分ではありませんでした。民放のドラマや映画では本編が終わった後でテーマが流れて出演者がテロップで流れると言うのがほぼ当たり前になっているが、大河はもう長い伝統的な感じでテーマは最初、そして今回はこんな人たちが出てくると言うテロップが流れる、これは言わば出演者に対する敬意を示すようなものでしょう。それが脚本家の意向かどうかは分からないが、『真田丸』はそんな敬意をないものにしてしまったような気がします。ここ数週は予告もろくに流さない始末、これもどうなんでしょうねえ、ドラマを楽しみにしている人にとっては予告はひとつの楽しみなはずなのですが・・・これ『江』や『花燃ゆ』でやってたら散々言われてたやろうな、それを『真田丸』でやったら絶賛する人もいる、NHKももうこのような特別扱いしなければならないほど焦ってるんでしょうかねえ。この調子だとまだまだ最終回に向かっていろいろとやって来そうですねえ、まあステマもいい加減にしておかないと、次回の大河ドラマが苦労することにもなりかねないと思うのですが・・・。









この間久しぶりに訪れた南海難波駅、懐かしい気持ちで構内を歩き回ってはいろいろと写真を撮ったのですが、この時は折り返さなければならなかったので改札の外に出ることはできませんでした。難波駅は改札の外ももうかつて知ったる場所と言いたいところなのですが、その辺りは度々工事などで模様替えしているので、もう3年以上も経つとその様子も変わってしまっていることだと思います。大きな工事があって通路が狭くなり、その工事が終わって新しくなったかと思うとまた別の場所で工事が始まり、なかなか落ち着かないことしきりの連続、もうこれでええやんか~と思ってもどこかしら新しく造り替えたがるのは大阪の気質とでも言ったところでしょうか。
上の写真1枚目は難波駅の改札を出た所にあったなんばCTTYのロケット広場、キタのビッグマンと並んでミナミの待ち合わせ場所としてお馴染みな所だったのですが、ここも再開発のためにロケットは撤去され、写真3枚目にある難波ガレリアという名の白と黒を基調にしたフロアと生まれ変わりました。ロケットは地下1Fから真上に突き抜けていて、難波駅のホームがある3Fよりもさらに上に伸びていて難波駅のホームからも見えていたのですが、もうそれも懐かしい思い出でしかありません。






昔、難波駅の真横にあったのが大阪球場、南海ホークスの本拠地でありました。都会の真ん中にある球場、スタンドは急な傾斜、『ハマムラ』↓↓↓



や『がんこ寿司』と言ったいかにも大阪と言った感じの看板、当時は不人気のパ・リーグにあってここもお客さんが入らず、スタンドではお客さんがキャッチボールする姿がテレビで映し出されたこともありました。球場のすぐ裏手にはなんばウインズがあり、週末はそちらの方が賑わっていたくらい、スタンドで野球を見ていた人がホームランが出たわけでもないのに「入った~!」と言うから何のことかと思えば競馬の馬券が当たった、という笑い話にされたこともありました。そんな球場も南海ホークスが福岡に移転し、その1年後には球場としての役割は終わってしまい、一時はグラウンド内には住宅展示会の場所ともなってしまいました。そう言えばここで劇団『四季』のミュージカルが行われていたことも度々あったし、ここでコンサートが行われた時にはホームにまで音楽が聞こえてきたこともあった。球場の表側、駅の高架下にはスポーツ用品店や古書街などお馴染みと言った店もいろいろとあったが、それも再開発によって撤去されることとなってしまった、確かに野球の試合が行われない球場なんて置いてても仕方ない。








と言うことで生まれ変わったのがなんばパークス、都会の中に緑の空間をと言った感じのコンセプトで作られた町だが、それはあまり意味がなかったような気がします。曲線を基調にした造りはゴツゴツと角ばったイメージのある都会の中では優しい空間になると言ったところでしょうが、物の本質にはこだわらない大阪人にはあまり関心はなさそうです。難波駅と直結していて最高の立地条件の中にあっても最初はあまり集客具合は良くなかったみたい、自分(一人称)もたまにこのビルの階上にある映画館に行ったくらいで、他の店にはほとんど行ったことはありませんでした。元は球場があった場所と言うことで、マウンドのあった所にはホームプレート、バッターボックスがあった所にはホームベースのプレートが埋め込まれています。以前、江本孟紀が府知事選のスタートをこの場所での始球式からと予定していたが、危ないからやめとけと言われて断念したこともありました、この躓きが原因ではないでしょうが、もちろん結果は落選でした。


今回は南海難波駅を表側から巡ってみたのですが、自分(一人称)が知っている難波の姿は3年前の風景、その時もあちらこちらで工事が行われていてなかなか落ち着く時がと言った感じの所でした。難波駅周辺は会社を辞めた後はなかなか足が向かなかったのですが、最近はやっとと言う感じで走りに行けるようになりました、辞めた時は結構経緯もあったので行くのに気が更けていたのでしょう。この間走りに行った時には会社のあったビルを見に行ったのですが、今はもう知らない会社の名前の看板が掛かっていました。この付近を闊歩していたのも懐かしい思い出となってしまいましたが、一度足が遠のくとなかなか行けなくなってしまうものです、難波駅もそうだったのですが、辞めた時の傷がやっと癒えたかな・・・と思ったので今回行ってみることにした次第です。それを契機にと言うことで始めることにした南海シリーズ、この先のいろいろと思い出のある駅、思い出のある場所を紹介させてもらおうと考えています、何か「贖罪」みたいやな、まあ仕事が嫌で会社を辞めたわけではなかったのである意味「贖罪」と言ってもいいのかも・・・。今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。       まちみち

No.610 登録有形文化財巡り・大阪北部編

2016-11-09 11:16:57 | 文化財
おはようございます。










登録有形文化財巡り、今回は前の3代目相棒、カイト君じゃないよ、が最後の力を振り絞って走った豊中、池田方面で探して見つけたものを写真にて紹介していきます、例によってその建物の細かい説明はなしでお送りしていきます。
まずは写真にある屋敷、JR岸辺駅に近い所にあるが、駅前から府道まで続く道から一歩入った所にはまるで雰囲気が変わったかのような古い町並が狭い道に軒を為すように建ち並び、この家屋はその中の一角に広い敷地でデ~ンと構えている、地元の郷士の住まいだったのだろうか。吹田市と言うと都心に近い所で無味乾燥なビルや住居が建ち並んでいるイメージがあるが、近くを通っている亀岡街道沿いには古い町並もあって、街道走りには飽きない所。この家屋がある所は街道からは少し離れた所にあるが、無味乾燥な風景の中にまるで頑なに古き時代を守るかのように残っている町並にはそのイメージも変えられてしまう、この家屋はその象徴としてこれからも残っていくことだろう。







豊中市に入って訪れた登録有形文化財物件は上の写真の2件、豊中市も大阪のベッドタウンとしてやはりあまり風景には期待できない所、そんな町でもイメージとは違った風景を見ることはできる。写真1枚目、2枚目は阪急岡町駅近くにある高校の外壁、100メートルを越える長さのレンガ造りの塀が歩道に沿って続いている。周辺は普通の住宅街、少し高台になっている所なので割と生活に余裕のある人たちが住んでいると言うイメージがある場所、この壁の途中にはこの壁が登録有形文化財だと言うことを示す看板があったが、近所の人にとってはただの高校の壁に過ぎないのだろう、その表示がなければ壁を写真に撮っていたら変な人に思われてしまいそうだ。
3枚目、4枚目は阪急豊中駅からバスが通る坂道を上って行った所にある建物、見ても分かる通り教会です。教会は文化財となっている所が多く、これまでもたくさんの物件を写真に撮って来ました、宗教施設であると言うのがどうも自分(一人称)の苦手分野、特に教会は自分(一人称)にはドラキュラの血が混ざっているんではないかと言うくらいに苦手だった所、それでも文化財巡りを始めてからは免疫もついたのだろうか、何とか平気でカメラを向けることができるようになった。と言うことで教会の写真をもう少し近くから撮ろうと思うのだが、あまり中の方に入って行くと「お祈りしていきませんか」と言われてしまうかも知れない、自分(一人称)はあくまでも建物が目的で信仰心などないので、ここはサッと収めるものだけ収めて退散することにしよう。













池田市の中心部に入って来ました、この辺りにも登録有形文化財物件がいくつかあります。その中でまず見ておきたかったのが写真1枚目、2枚目にある河村商店という名のいかにも大正建築と言った感じのモダンな建物、看板には「白衣」とあるので、昔何かに使っていた建物を今は再利用して店舗として生かしているのでしょう。今の文化財によくあるパターンだが、こう言った感じの再利用のされ方はこれまでもいろいろと見てきた、町にせよ地主にせよ残すには維持費のかかる建物もあるだろう、再開発として新しいものに造り替えたくなることもあるだろうが、たとえ用途が変わったとしてもこうやって昔のままの姿を残していくのはやっぱりいいことだと思う。この間滋賀県を走って来た時に訪ねた登録有形文化財物件の中に、元は銀行として使われていた建物が今は廃墟同然となってしまって・・・そうそう、話が逸れてしまおうとしていたが、この建物も元は銀行として使われていた、その銀行の名が「加島銀行」、と来ればもうお分かりでしょう、山本彩の歌声が聞こえてきそうですねえ~♪。







NHKのドラマ関連となるとこちらも、前にも紹介したことがある場所です、建物の主は小林一三、去年ドラマ『経世済民の男』で小林一三役を阿部サダヲが好演したのはいまだに記憶に新しいところです。この場所にはその頃に阪急宝塚線、箕面線を各駅巡りした時に訪れました、と言っても中に入るのは有料なので表から眺めるだけでしたが。もちろん今回もそうです、いや、決してケチっているのではなく時間がなかっただけですよ、一応誤解のないように、今度池田に来る機会があったらその時はゆっくりと中を巡ってみたいと思っています。そんなわけで登録有形文化財巡り、大阪北部編はとりあえずここまでと言うことで、次回はまた大阪市内に戻ってまだ巡っていない所をいろいろと紹介していきたいと思います。今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。          まちみち