まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.609 平城京巡りシリーズ・二条大路

2016-11-08 08:53:55 | チョイ走
おはようございます。


一昨日(6日、日曜日)の話、ああ~うるさい、何なんだ?さっきから表でビュンビュンと空から轟音が響いている、ああ~うるせぇ!!!と言うことで窓を開けてみると、空を全速力で飛行機が飛び去って行った。時間は午前11時半過ぎ、普段はジェット機が飛んでいてもそんなに音は気にならないのに、今回はあまりにもうるさい、しかも何機も飛び交っているらしく、その音は途切れることなく響いている。しかしあんなに全速力で飛び去って行く飛行機を見ると何か起こったのかと思ってしまった、もしかしたら戦争・・・?がミサイルを撃ち込んできたのか?と思ってネットで調べてみると、こんな事があったとか、詳しくはこちら。自分(一人称)はあれほど平城宮跡には行っているのにこのことは全く知らなかった、知ってたら見に行ってたのに・・・悔しいなあ・・・




自分(一人称)が窓から見たのはほんの0.数秒の姿だけ、何かめっさ悔しい気分がしてならないのですが、今回はそのイベントが行われた平城宮跡から走り始めとしましょうか。











平城宮祉内、朱雀門前から近鉄の線路沿いに東へと真っ直ぐに伸びている道が二条大路、本来ならこの道は更に西へと通じていたはずなのですが、今は朱雀門のある場所で途切れてそこから先はなくなっています。今回はこの二条大路をたどって行こうと言うことですが、まずはいつものこの地図から↓↓↓



道は矢印にあるように平城宮の南のへりを通っています。さっきも書いたようにここを境に地図では左側にある道は、今はその跡を探すのも難しいほど痕跡がなくなっています、と言うことで二条大路のたどり走りはここから東へと進んで行ってみようと思います。









この道を真っ直ぐ進むと国道24号線の高架に突き当たり、下の道は線路の手前でUターンする形になっていて高架の下には写真1枚目にある二条大路南1丁目バス停がある。最後の写真には二条大路南5丁目とあるが、ここに並べた写真は黄道24号線を境にして西は県道1号線、阪奈道路に通ずる道、東側は国道369号線、通称大宮通と言う道ですが、ここ1丁目から5丁目まではすべてバス停名は「二条大路南×丁目」となっている。自分(一人称)はこの大きな道が二条大路だと思っていたが、確かに朱雀門からある道はこの道と直結しない、となると元の二条大路は大宮通から一本北に通っている道と言うことになる、そんな道があるのだろうか・・・。
写真2枚目、3枚目はイトーヨーカ堂の前にある長屋王の邸宅がここにあったと言う表示、上の地図にも長屋王邸とあるのですがイトーヨーカ堂自体は大宮通沿いにあるので場所的にはここは一番南のヘリになる場所だったのではないだろうか。二条大路は線路が少し南へと傾いているので線路の北側に移っていると思う、多分人通りが少ない奈良年金事務所の裏にある道がそうなのだろう・・・と仮定して、その道を東へと進んで行ってみることにします。ちなみに写真4枚目にあるのは奈良市役所、気に隠れて分かりにくいがここにもリニア新幹線を、と言う垂れ幕が掛かっている、多分自分(一人称)が生きているうちには見ることはできないと思うので、別にどこを通ってくだっさっても構わないです。幕の両側にあるキャラクターはリニア招き鹿と言うことで、JR奈良駅前のテレビでよく踊っています、奈良市民にはお馴染みなのですが関西全体では知名度はまだまだで『なるみ岡村』では笑いのネタにされていました、何か悔しいな・・・










そんなわけでこの辺りは芝辻町、その界隈の民家が建ち並ぶ細い道を通り抜けて行くと、写真1枚目にあるJR関西本線の高架下へとたどり着く。道はJR奈良駅高架工事に合わせて付近の道も只今整備中と言うことで、この道も昔の線路が地上にあって踏切があった頃に比べると随分すっきりとした風景となった。まだまだ付近は工事中の所もあってまだまだ変わって行くところだろう。この高架を過ぎると少し上りになって写真2枚目にある道標が立つ船橋商店街との交差点、自分(一人称)が思うにはこの道が東四坊大路に当たる道だと思っている。と言うことはここまで東二坊、三坊の通りも過ぎてきたはずだが、それぞれ多分この道だろうと言う目途はつけているので、また別の機会にて走ってみることにしましょう。二条大路は大通りから外れた古い民家が建ち並ぶ中を通り抜けて、高天通との交差点、奈良女子大の横、NHK奈良局前を通り過ぎて東大寺境内の一番西側を通る国道369号線へと突き当たる、この道が上の地図で東七条大路に当たる道のはずで、ここが平城京の一番東端になる所、全速力で走っても15分くらいで走り切ることができる道を、いろいろと昔の雰囲気を感じるつもりで二条大路を走って来ました。
さて、平城京巡りは更に続けていくこととなるのですが、×条大路となる道はこのもうひとつ南にある三条大路が多分今の三条通と思うのですが、それより先ははっきりとこの道が大路だと言うことが示されてないので、あとは地図と勘を頼りにして行くしかないんですよねえ。前にも書きましたがすべてが自分(一人称)の勝手な思い込みでの道たどりとなるので、そのことだけはどうぞご了承ください、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。       まちみち

No.608 秋の終わりの斑鳩の里にて

2016-11-07 08:42:32 | 
おはようございます。











11月に入って秋桜の季節もほぼ終わってしまいました。桜の季節が終わった時はまだこれから新緑の季節や~、てな感じでいれても、この時期になると冬に入ってしまうと言うことでやっぱり寂しい気分になってしまいます。秋桜についてはもう1回だけ見ておきたいと思ったので、その日は斑鳩へ行こうと決めていました・・・が当日午前中は雨、これはもう無理かな、と思ったのですが今年は結構ツイているので午後に雨が止んだ頃を見計らって走り始めました。
お目当ての法起寺は県道のほとんど起伏のない峠を越えて展望が開けた辺りで真正面に三重塔が見えてくるのですが、その周辺には田んぼ一面に広がる秋桜の群れ、曇天の下ですが期待したものは見ることができそうです、早速行ってみることとしましょう・・・と言うことでまずは5枚、上に写真を並べてみました、これはまだほんの序の口と言ったところです、更に先へと進んで行ってみましょう。









前回ここに来た時は秋桜は咲き始め、田んぼは稲穂が背高く実り後は刈入れを待つばかりと言う頃でしたが、1ヶ月も経つとその風景は一変してしまいました。秋桜は満面に咲き誇り田んぼの今穂は刈り取られて今はもう藁も積まれて茶色い風景と変わってしまいました、それでも三重塔をバックにしたその風景は絵になります。この日は町からのボランティアらしいガイドも出てきて、花を撮影に来ている人たちにいろいろと案内をしていました、まあ大きなお世話と言う気もしないわけではないのですが。そのガイドが今日が一番の見頃らしく、雨もあがってくれて良かったと言っていた、その辺りは自分(一人称)もツイているなと思った、曇天の下で映える秋桜もいいが、所々では雲の合間に青い空も見えわずかながら差し込んでくる西日の光を受けて映える花もまた乙哉といったところ。もうあとはくどくど長々な文章は要らないでしょう、残りの写真と今回の写真を含むフォトチャンネルでお送りしていきたいと思います。










続・秋桜と三重塔



フォトチャンネルについては先週のうちに先行公開させてもらって、もうすでにたくさんの人が見に来てくれていました、本当にありがたいことです。












斑鳩に来たら法隆寺やろ~と言われそうですが、拝観料1500円だぜ、あまりにも高いって言うの、だから何とか五重塔が見える場所を探して走り回ってみたのですが、写真2枚目~4枚目くらいしか見える場所はなかったです。それでも斑鳩の里はいつ来ても絵になる場所です、有名なお寺ばかりが観光の目玉として取り上げられるのですが、そんな場所から一歩奥へ一歩横道を逸れた所を行くと、観光地の喧騒を忘れさせてくれる風景に出会うことができます。秋の花の季節は終わっても冬には冬の良さがまたある所、またそんなよさげな風景を探しに走ってみようと思っています、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。        まちみち

No.607 南海難波駅

2016-11-06 08:14:51 | 南海
おはようございます。









カテゴリー「南海」シリーズ、今回より本格的に始めて行きたいと思いますが、まずはやっぱりここからでしょう、南海難波駅です。写真にあるには駅舎と言うにはあまりにも豪華すぎる駅ビル、高島屋難波店を併設する南海ビルは国の登録有形文化財となっています。中に入ると1Fから3Fまでを直通で結ぶエスカレーターと階段、それを上ると・・・ってもうくどい説明は必要ないですか。










前の会社にいた時はほぼ毎日この駅を歩いていたし、仕事場もここでした、はっきり言ってお客さんが入ることができない内部も知っています。仕事を辞めてからしばらくは足が遠のいていたのですが、去年約3年ぶりにちょっと寄ってみました、ホームの雰囲気は全然変わっていない、自分(一人称)のいた会社はもうなくなってしまったが知っている顔とは会いたくなかったのでその時はすぐに引き返した。今回はこの間高野線を各駅巡りした後に、堺東より乗車してこの駅に戻って来ました、それまでは内部の人間として当たり前の様にいた場所、今はお客さんとして来る場所、改めてその場所を写真に撮っておきたいと思いましてやって来ました。
















日本有数の大ターミナル、ホームは南海本線、高野線と半分ずつを分け合っていて電車はひっきりなく発着している。その中の目玉と言うとやはり空港特急ラピート、どっちかと言うともっさいイメージのあった南海に登場した特急車両は、その車体の形からして異彩を放っていました。電車のことに関してはまた別の機会にお伝えを予定していますが、ラピートの他にも『サザン』『こうや』『りんかん』と言った都市や観光地を結ぶ特急車両も健在です。そして時刻表を見ると新しい特急電車が、知らない間に泉北線に入る特急が設定されていたんですね。自分(一人称)は昔、冗談で泉北線はラッシュのお客さんが多いから特急を走らせたらいいのに、と言っていたのですが、まあやる気になれば実現はするもんです。どことなく閉鎖的なイメージのある南海電鉄もそろそろ変わっていかなければならないんでしょうが、そんなことはもう30年くらいも前からの課題のはず、やる気にならなければ取り残されていくだけと言うことです。






ホームの下の階にはいろいろな店があって、まあ今で言う所の駅ナカのハシリと言う感じの場所でしたが、こちらは自分(一人称)の知っているところとはもう全然変わってしまっていました、元よりこういう店はある程度の期限での契約で入るので、時期が来ると閉店してまた新しい店が入ると言う繰り返し、まあそれがいいのか悪いのか、ホントにお客様のためのサービスになっているのか、契約者側の自己満足なのか・・・自分(一人称)もサービス業の一環にいたので思う所はいろいろとあるのですが、まあ今となってはどうでもいいことです。









泉北線直通の電車には萌えキャラのラッピング、最近はラピートにスターウォーズのラッピングや高野線では真田丸のラッピングなど、まあ派手な電車が増えたこと。自分(一人称)はあまり感心しないですねえ、何か嫌なんだよなあ、目立ってなんぼの考え方が、私鉄の電車と言うと各社それぞれにカラーがあって、それがその会社の顔であってその地元の人たちに馴染んでいるはずなのに、そんなにお化粧したいものなんですかねえ。前に阪急電車のあの落ち着いた車体の色がきれいだと書いたのですが、南海にはそんな色がないんだよなあ、車両はみんなステンレスの味気ないものばかり、海なら青、山側なら緑とラインのカラーがあるのでそれをもっと車体にも活用したら「これぞ南海!」と言った感じになるんだけど、どうもこの鉄道会社は考え方が退廃的と言うか遅れていると言うか・・・まあいいか、何か厳しいことばかり書いてしまったが25年間お世話になった南海電鉄、次回以降もいろいろと思い出話も織り交ぜてお送りしていきたいと思います、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。        まちみち

No.606 伊丹市

2016-11-05 20:54:32 | まち
おはようございます。


高校野球秋季近畿大会は履正社が優勝しました、この高校ホントに強いのか弱いのかよく分からない所です。夏の甲子園では堂々の優勝候補だったのに常総学院にコロッと言わされてしまう始末、国体では優勝、そして今回の大会も優勝、まあそんなことはどうでもいいです。問題は奈良県から出場の2校、智辯学園と高田商、共に1回戦は勝ちましたが智辯は大阪桐蔭に2年連続敗戦、一方の高田商は履正社にコールド負け、なぜか大阪のチームには弱いんですわ・・・。智辯学園はまずは来年の春のセンバツは大丈夫かと言ったところ、チーム全員で優勝旗を返しに行ってほしいもんね。問題は高田商、コールド負けを喫した履正社が優勝したことや公立枠(そう言う選考基準があるのか?)で逆転出場の芽が出てきたとネットでは話題になってました。近畿の枠は6枠、ベスト4+ベスト8でコールド負けしなかった智辯学園と報徳学園でほぼ決まりかと思ったところに湧いてきたような出場の芽、と言っても望みはほんの数パーセントと言ったところ。しかしセンバツはいろいろな要素を組み合わせての選考が行われると言うことなのでもしかしたら智辯学園が落とされる可能性も無きにしも非ず。奈良県から2校出場は贅沢な望みと言われるかも知れませんが、ここは履正社に頑張ってもらって何とか神宮枠を獲ってもらうことを祈ることとしましょう。





この前に飛行機を撮りに行った話をお伝えしましたが、その話の前に寄ったのが伊丹の町並、尼崎や豊中と言った大阪のベッドタウンの一部でちょっとゴチャゴチャしていると言うイメージがあったのですが、市の北部には西国街道が通っていて旧街道の風景が見られる所があり、市の中心部にも歴史を感じることができる町並を臨むことができる所です。ゴチャゴチャとしたイメージを払拭してくれそうな町並、どんな所か行ってみることとしましょう。






まずは写真1枚目~3枚目、尼崎市の阪急園田駅近くにある橋の上から撮ったものです、左側の高架は新幹線、1枚目にある正面の川に架かっている橋には阪急電車が走っているのが見えます。これは前にも書きましたが、ここに来る前にも十三付近の橋の所で阪急電車を写真に撮ったのですが、阪急電車ってホンマにきれいやな~、あの車体の色を一向に変えずにずっと落ち着いた雰囲気を守り抜いている。間近で見るとあの茶色い車体に反射した風景が映って通り過ぎて行く、今回は間近で見ることはなかったが、機会があればまた阪急電車を四角い枠に収めに行きたいと思っている。一方の新幹線、新大阪を発車したばかりの列車は大きなカーブを過ぎてこの辺りからハイスピードの本領発揮と言ったところでしょうか。さて、走りの方はこの先阪急園田駅の近くを過ぎて、写真4枚目にある園田競馬場の前を通り過ぎて行く、競馬場の入口には園田競馬の騎手の顔写真がまるでAKB劇場みたいに飾られていた。












伊丹市の中心部に入って来ました、まず写真1枚目は阪急伊丹駅、駅前には大きなビルが建ち並びバスターミナルが広がっているが、どうしてもこの駅となると阪神大震災で無惨に崩れてしまった姿を思い出してしまう。町中をすり抜けてJR伊丹駅の方へと向かうが、その途中には旧街道の雰囲気を漂わせている古い建物が2件並んでいる、写真4枚目にある酒造は重要文化財、3枚目の県道側にある建物には軒下に地図記号の銀行マークの看板が掛かっている、元は商家で雑貨店だったそうだが、あのマークを見ると去年の朝ドラを思い出してしまう。この通りからひとつ南側の通りには酒店や珈琲店、見学ができる酒蔵などがあり、この日は祭りもあって地元の人が多く出てきていて賑わっている、先へ進むと交通規制が行われているので途中で狭い通りに折れると、市の中心地でビルが建ち並ぶ無粋な景色の中にフッと雰囲気がが変わったかのように小さな寺院が現れる。








県道を渡りたくさんの人で賑わう店が立ち並ぶ道を進んで行くとJR伊丹駅へとたどり着く、伊丹市の玄関口で大阪にも15分程で行けるとあってたくさんの人が駅前を行き来している。駅へ行くには線路沿いにある道の上に架かっている陸橋を進むわけだが、その陸橋を囲むようにしてあるのが有岡城址、城跡と言っても天守閣はなく町中の憩いの場と言った感じの公園となっている。相棒を進ませて駅が見える場所へと入って行くとそこには写真2枚目、3枚目にあるように有岡城址を示す看板と、ここが黒田官兵衛所縁の地である表示が掲げられている。大河ドラマ『軍師官兵衛』でもあったように、官兵衛にとって有岡城は人生最大の至難の場所、約1年間暗いよ~狭いよ~怖いよ~な牢獄に閉じ込められていたわけだが、その模様はドラマでも生々しく伝えられていた。荒木村重が織田信長に謀反を働いたことから始まった騒動もこの城の落城によって終わり、村重は逃亡、約700人近い子の城に所縁があった人たちが処刑された。ドラマでは村重の正室だしが六条河原で処刑されるシーンがあったが、それまではチャラっぽいイメージがあった桐谷美玲がなかなか凛々しい演技を見せてくれていました、ちょうどチャラっぽいキャラクター前回の『女子ーズ』の公開と同じ時期だったのでこの子もなかなかやるなあと思っていたが、その後は松坂慶子が若返った役もあったし、今年はとうとう月9の主演にまで上り詰めました、これから先も見たくなる楽しみな女優さんです。

そんなわけで伊丹の町並を巡ってきたわけですが、町の中心地の一部に時代が変わったような風景と言ってもやはり雑然としたイメージはそう簡単に変わりそうにはなかった所でした。実は自分(一人称)はと言うことで(プライベートに関わることなので伏せました)あまりこの町のことは好きではなかったのですが、町には罪にはありません。空港や西国街道目当てでは何度か来たことある伊丹市も中心地に来るのは何年かぶりの2度目、ああ~、顔を合わさなくて良かった・・・、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。       まちみち

No.605 各駅巡り・近鉄橿原線(1)

2016-11-03 23:31:41 | 鉄道
おはようございます。










各駅巡り、いろいろとお伝えする路線はあるのですが、その中から今回からお送りするのは近鉄橿原線。最近は遠出ができない状態なので近場で小さくまとめてしまうに過ぎないシリーズばかりになってしまうのですが、奈良盆地を南北に真っ直ぐに貫く路線は見所いっぱいです、早速行ってみることとしましょう。
まずスタートは橿原神宮前駅、立派な駅舎は神宮を模した感じでしょうか、ホームは橿原線と南大阪線が駅舎を囲むようにしてあって、二つの路線は線路の幅が違うので直通運転はできない。南大阪線はそのまま線路が南に伸びて吉野線となるが、橿原線はこの駅が終点、阿部野橋、吉野方面へ乗り換えるには通路と歩いて更に階段を上り下りしなければならない。橿原線は特急、急行が京都駅まで直通運転、普通はほとんどが西大寺止まり、南大阪線からの乗換客が多いが、駅からすぐ近くには橿原神宮や橿原公苑があってこの駅で乗降するお客さんも多い。駅前は広いロータリーがあり、北へと真っ直ぐに伸びる道には写真3枚目にあるように、この地が日本の始まりだと謳っている、その起源の由縁となる橿原神宮は次の交差点を過ぎたすぐの所にある。








自分(一人称)は参拝には興味はないので道をそのまま進んで行くことに。両側に樹が立ち並ぶ道はこの先国道166号線の交差点まで続いていて、畝傍山麓の道として日本の道100選に選定されている、となるとあれがどっかにあるはずだ、ほら、『トゥクトゥクの旅』で探していた100選の道の碑。でも自分(一人称)は何度もこの道は走ったことはあっても、それを意識したことはなかったのでどこにあるか分からない、走って行ってジックリと探してみよか・・・と思ったらいきなり見つけてしまった、それが写真2枚目、まさかこんなに簡単に見つかるとは。途中で道を外れて橿原線最初の駅、畝傍御陵前駅へ、畝傍御陵とは畝傍山の北側につながったような感じにある神武天皇陵のこと、神武天皇は日本で最初の天皇だと言うことであるが、最近この人が実在したとか何とかと発言した人がいて話題になってましたね、まあどうでもいいことです。畝傍御陵前駅は急行も停車する駅だが、駅前はひっそりとしていて寂しい雰囲気、駅舎は三角のとんがり屋根で、さっきの橿原神宮前駅の駅舎がこじんまりとなった感じ、これも橿原神宮を模しているのだろうか。













写真1枚目、2枚目は今井町の玄関口となる所にある旧高市郡教育博物館、看板には奈良県指定文化財とある。今井町についてはここではもう何回か紹介しているので今回はサラッと通り過ぎて次の八木西口駅へ、その次の八木駅の南側にあるのに八木「西口」とはこれ如何に。しかしそれ以上にこの駅の存在には謎が多い、それはこの駅が隣の八木駅の一部と言う扱いになっていると言うこと、八木駅とは距離的に数百メートルくらいしか離れていないが、駅自体が八木駅と同一の存在となっているので営業キロ数は設定されておらず、乗降客数も記録されず運賃も八木駅と同じとなっている。元はここが八木駅を名乗っていたが、大阪線に現在の八木駅ができたことによって八木西口を名乗ることになってしまったわけで、昔はこの駅の北側にある大阪線との渡り線で上本町からの直通列車もあったとか、その線は今は橿原線の電車が合同検車区へ回送されるために使用されているとのこと。これはもう夢のお話に過ぎないが、吉野線を橿原神宮前駅~壺阪山駅を橿原線と同じ線路の幅にして(箱根登山鉄道と小田急が直通する区間のようにする)、大阪線の列車をこの線を経由して橿原線直通にして神戸、姫路から飛鳥、壺阪山駅まで観光特急を走らせるとか・・・別に改軌しなくても橿原神宮前までなら今すぐにでもできそうな気もするが。何か川島良三氏が言いそうなことを書いてしまいました、鉄チャンはどことどこをつなげればあんな列車が走るとか、採算度外視して夢物語ばかり言ってしまう仕方のない人種なのです。
今回も・・・あ、最後の2枚の写真にある八木駅についての紹介忘れてた、とは言ってもこの駅に関してはもう説明の必要もないでしょう。地上は橿原線、高架は大阪線と近鉄の主要な2線が十字に交差する大ターミナル駅、以前は狭苦しい駅南側も近年は整備されて大きなバスロータリーができて、やっとターミナル駅らしい姿になったと言うところでしょうか。そんなわけで今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。       まちみち