まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.613 中立売通

2016-11-13 22:40:19 | みち
おはようございます。


昨日(12日)はちょっと遠出をして姫路、たつの方面を走って来ました。まあいろいろとあってなかなか遠出ができない状態はいまだ続いていて、昨日もスタートは遅く帰りはタイムリミット付きと差し迫った中での走りとなってしまいました。久しぶりの姫路方面でいろいろと行きたい所や見たい所はあったのですが、最後は制限時間を気にしてバタバタになってしまい、目的を達することができないまま消化不良気味で引き上げることになってしまいました。それでも何とかここまで遠出できるようになったのはひとつの明るい兆しと言ったところです、まあいろいろな人に感謝をしなければならないわけですが、自分(一人称)が自分のために使うことができる時間はこれからも大事にしていきたいと思います。年末は恒例の宿泊旅行も今年は中止、昨日JR奈良駅の緑の窓口前を通ると年末の指定席の先行予約受付をやってましたが、もうそんな時期になったんやなあと改めて感じてしまった次第です。










まずは京都御所の写真から、東側の御門から入ると砂利道に自転車の轍ができていて、それに沿って相棒を走らせていくのですが、西側の出口に着いた頃にはタイヤが真っ白けになってしまいました。さて、たどり着いたのは写真3枚目にある中立売御門、ちなみに幕末の政変の舞台となった蛤御門はこの御門のもうひとつ南側にあります。中立売御門の前は烏丸通、ここの横断歩道を渡ると西にそれほど広くはない道が伸びているのですが、それが今回の走りのテーマとなる中立売通、早速行ってみることとしましょう。












中立売通は最初は写真1枚目にあるように普通の住宅地の中を進んで行く、所々には古い家屋も見ることができるし途中には登録有形文化財の建物もあるが、民家が入り組んだ中を貫く道は観光のテーマになるような道ではなく、付近の住民が普通に生活のために利用すると言った感じの所である。この道のひとつ北側に通っているのが一条通、鳴くよ鴬平安京の一番北に位置した通りと言うことなので、この中立売通は北から二番目の通りと言うことになる。やがて堀川通へ、大きな通りを渡って更に西へと続く道はバスが通ることができるほどの広さとなっている。
堀川通から二つほど筋を越えた辺りからが平安京の大内裏のあった所となる、写真6枚目にある碑はこの付近にあるが、周辺は民家やビルが建ち並ぶ所でもちろんここに都の中心と言えるような場所があったとは到底思えない雰囲気である。更に写真7枚目には聚楽第跡の碑、ついさっきまでは平安時代の話だったのにいきなり戦国時代の話へと移ってしまう。聚楽第は豊臣秀吉の城(と言うよりは邸宅)としてよく大河ドラマでも出てくることがあるが、その形状や規模については不明な点が多いとのこと、どこにあったのかもはっきりとはしていないがイメージ的には大宮通と中立売通が交わるこの辺りを含む周辺と言う感じがあった。まあその辺りは戦国ミステリーやロマンと言うことではっきりさせない方がいいかも知れませんねえ、あれやこれやと想像するのもまた楽しいことです。ちなみに写真8枚目にある建物はたまたま「じゅらくだい」の名前がついていたので撮っただけで特に意味はありません。そして聚楽第と共にこの付近で出てくるキーワードが西陣、この地名(ではないが)は応仁の乱の頃に出てくるもので、今度は室町時代のお話が登場です。まあその呼び名の由縁については置いといて、この中立売通は西陣の一番南側に当たると言うことらしい、西陣というと織物が有名な所でこの通りにもいくつか呉服店が建ち並んでいる。









ここまで幕末から始まっていろいろな時代の織り交ぜた風景の中を通り過ぎてきた中立売通、千本通の交差点を越えるとその先から道は少し北側に斜めに進んで行く。道はさっきより狭くなり、写真1枚目にあるように歩道には雨除けがあって商店が両脇に軒を連ねている。ここは北野町の入口に当たる三軒町、道の途中には観光案内の立て看板があったが見所はもう少し先にあるとのこと、ただし今回の項ではそこまではカヴァーしていません。この斜めになった道を進むと写真2枚目にある場所、あれ?ここは前に来たことがあるぞ・・・そう、ここは一条通と交わる所で、去年妖怪巡りをした時に通った所です。この交わる所にあるモニュメントはここに市電が通っていたことを示すもの、京都市電北野線は京都駅前から西洞院通、堀川通を経由して、さっき通ってきた中立売通を経由してここから先今出川通まで通じていた。京都の大きな通りを走っていた市電のイメージがあるだけにこの経路は異質な気もするが、それもそのはずで京都市電の中でこのルートだけは狭軌で独立した路線であったらしく廃止も一番早かったらしい。
京都市電は自分(一人称)も小さい頃に何度か乗った記憶があるしいろいろな車両が走っていたことを覚えている。今の京都の交通事情を考えるとやっぱり廃止は仕方ないと言った感じだろうが、もし観光目的としてでも残していたらまた再注目される存在になったのではないかと思う。京都の人からしたら勝手なこと言うな、と思われそうだが、実は近畿2府4県の中で路面電車が走っていなかったのは奈良県だけ・・・いや、昔近鉄が奈良駅から少しの距離だけ路面を走っていたが自分(一人称)には記憶のないこと、だから路面の上を走る電車の姿にはいろいろと思いを馳せてしまうんだよなあ、出来ることなら残せるものは残してほしかったなあ。今度京都に行った時には、ここに路面電車が走っていたと言う姿を思い浮かべながら走ってみることとしましょうか、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。       まちみち

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