5月3日、連休の初日、蛾ケ岳(ひるがたけ)を歩いてきた。
蛾ケ岳は甲府盆地の南、東西に連なる御坂山塊の最西端にあたる山。
武田信玄の時代に、ツツジケ崎の館(今の武田神社)から見ると正午に
この山の上に太陽がくることから「昼ケ岳」と名付けられたとある。
【日本百低山:蛾ケ岳から引用】
:昼ケ岳が何故「蛾ケ岳」となったのか、少し考察を試みた。
蛾(が)の古称で、とくに蚕の蛾を「ひひる」といったと広辞苑にあった。
蚕はどこでも飼っている、この辺りがヒントになりそうだ。
いずれにしても真意は定かではないが・・・・・。
:市川大門駅
8:50 身延線(JR東海)市川大門駅に着いた。
5:20 山手駅発 ~横浜線 ~中央線 ~身延線を乗り継いでの移動。
4連休の初日に直撃、中央線で座れたのは甲斐大和駅だった。
タクシーで四尾連湖畔、蛾ケ岳登山口へ向う。
:蛾ケ岳登山口
9:25 蛾ケ岳登山口着、アップもそこそこに歩きはじめる。
:蛾ケ岳
一番右のピークが蛾ケ岳(駐車場より)
:晴れ
予報は晴れ、気温も夏日(25℃)になるかもとあった。
:大畠山
9:55 落ち葉を踏みしめ大畠山(分岐)に。
:スミレ :トリカブト :イカリソウ
:カタクリ
大畠山からの尾根道で会った花です、トリカブトが最も多かった。
:ミツバツツジ
:センボンヤリ :ハルリンドウ
北側は杉の樹林帯
:ヒトリシズカ
大雪の爪痕が生々しい。
灌木越しに南アルプスが姿を見せる。
:六地蔵
10:40 山頂への鞍部、西肩峠にある「六地蔵のレリーフ」
故あって、お賽銭をあげ、頭を下げてきた。
:急登
このコース最大の急登、約15分弱で登った。
:祠
山頂にある祠、金毘羅宮ともう一つあった。
10:53~11:30 山頂からの富士山・昼食
駐車場でいただいた”コースmap”のスケッチ
鳳凰三山(中央)甲斐駒ケ岳と仙丈ケ岳はブラインドになって見えない。
(このアングルから南アルプスの眺望を見るのは初めて)
白峰三山:右から北岳、間ノ岳、農鳥岳
中央が荒川岳、木の後ろが赤石岳、右端は塩見岳あたりか?
霞む八ヶ岳、南アルプスのジャイアンツに比べると”こじんまり”としている。
四尾連湖と登山口の駐車場を山頂から俯瞰しました。
四尾連湖(しびれこ)を紹介しておきます。
湖名の由来は地元に伝わる湖の神が「尾崎龍王」という龍神であり、四つの尾を連ねた竜が
住んでいるという言い伝えからきている。 流入する川もなく、流出する河川もない内陸湖。
周囲1.2kmの小さな湖は神秘的な湖でした。
:センボンヤリ :ワチガイソウ
:map
参考にはなった。
12:18 大畠山(分岐)往きはここへ四尾連湖登山口から登ってきた。
復路は、四尾連峠~市川本町へ下る。
:四尾連峠
12:35 四尾連峠、ここから四尾連湖へ下ることも可能だが、パスした。
:ミヤマエンレイソウ :ヤマエンゴサク :アズマイチゲ
展望台からの眺め、正面は茅が岳(日本百名山の著者:深田久弥終焉の山)
13:10 烽火台跡に寄る
:烽火台跡
松の大木が邪魔をして眺望はない、蕨が残っていた。
:ミツバツツジ :ヒトリシズカ(団体) :ヤマツツジ
:大門碑林公園
14:18 大門碑林公園に、「甲斐源氏発祥の地」平塩の丘に着いた。
大門碑林公園とは・・・
「中国一級国宝を当時のままに復元」がキヤッチフレーズで5年の歳月をかけて完成した。
石に刻まれた古文書、名碑を復元したもので、ここはまさに中国。
町民の憩いの場として、人と自然、歴史と文化、人と人との触れ合いの場を作りたいとの
願いから、ふるさと創生事業として和紙(市川三郷町の名産)と書とを中核にして、日本一の書道の
まちを目指している。 (大門碑林公園案内パンフより)
正直、若干違和感を感じたが・・・。
:全容
:入口
:市川本町駅
14:30 大門碑林公園から急ぎ足で市川本町駅へ、セーフ!!
14:32発の身延線で甲府駅へ向かい、帰途に着いた。
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行程:標高差(上り)389m・(下り)1032m、約10km、約5時間
8:50 市川大門駅 =9:25 四尾連湖登山口 ⇒9:55 大畠山(分岐)
⇒10:40 西肩峠 ⇒10:53~11:30 蛾ケ岳山頂・昼食 ⇒12:18 大畠山
⇒12:35 四尾連峠 ⇒13:10 烽火台跡 ⇒14:18 大門碑林公園
⇒14:30 市川本町
山梨百名山 57完登 , 日本百低山 51完登
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twins
5月5日端午の節句 hina-bou 出番です、 昼食を食べています。