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RAKUDA通信 海外&国内 添乗員の最新旅情報! 

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バルト三国の旅 リトアニア編

2011年05月27日 20時51分04秒 | ヨーロッパ
指田です。

5/18(水)~5/26(木)までバルト三国の旅に行って参りました。

バルト三国はバルト海沿いのリトアニア、ラトビア、エストニアの三か国でそれぞれの国の首都・リトアニアのビリニュス、ラトビアのリガ、エストニアのタリンがそれぞれ世界文化遺産に登録されています。

今回ご紹介するのは最初に訪れたリトアニアのビリニュス周辺です。



ビリニュスの旧市街です。中世の街並みと石畳が良く残されています。


ビリニュス大聖堂。青い空に白い建物がとても映えていました。


どの街に行ってもそうでしたが、この時期マロニエの花が盛りでした。


ゴシック建築の傑作・聖アンナ教会。細かい装飾が美しいです。かのナポレオンにこの美しい教会を手のひらに乗せて持ち帰りたいと言わしめたほどです。


夜明けの門です。ここを通る人は皆立ち止り十字を切ってお祈りをします。ここになにがあるのかと言うと・・・


ウクライナから贈られてきた黒いマリアのイコンがあります。このマリアには奇跡を起こす力があると信じられています。


夜明けの門から眺めたビリニュスの旧市街です。


夜明けの門の外側です。16世紀に外敵から守るために城壁が築かれ9つの門が造られましたが、今残っているのはこの夜明けの門だけです。


ビリニュス郊外に残るトゥラカイ城。湖上に浮かぶ赤レンガの美しい城です。

 
美しい湖の周辺も散策しました。今を盛りに沢山の野の花が咲いていました。たんぽぽとオドリコソウです。


ビリニュスの北110KMのベラルーシ国境近くにあるアウクシュタイティヤ国立公園も訪れました。


リトアニア初の国立公園で緑と水がとても美しく、ヨーロッパとは思えないほどの大自然が残されています。



標高176Mのラダカルニスの丘からの眺め。ここには沢山の湖があります。


1750年に建立された木製の教会。


今回はラッキーにも中に入れましたが、ここにも黒いマリアのイコンがありました。


教会が建てられた丘から見下ろす湖。ライラックの花が美しく咲いていました。

旅っていいですね。この旅はまだ続きます。次回も楽しみに。




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今年生誕200周年のショパンの生家を訪ねました

2010年11月17日 09時09分39秒 | ヨーロッパ
内藤です。先日のポーランドの続きを。

今回は、今年生誕200周年のポーランドが世界に誇る偉大な作曲家フレデリック・ショパンの少年時代のこと。

その前に、ポーランド出身の著名人が多いのには驚きました。このショパンをはじめ、それまでの常識を覆す地動説を唱えたコペルニクス、同じく天文学者ではヘヴェリウス。ラジウムの発見などでノーベル賞を受賞したキュリー夫人、ビタミンを発見したカシミール・フンクといった科学者。そして、世界言語エスペラントの創始者ザメンホフ、女性社会主義者のローザ・ルクセンブルグ、前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世、戦場のピアニストなどの映画監督ロマン・ポランスキーなどなどです。

地図を見るとポーランドはヨーロッパのほぼ真ん中に位置し、国土や人口、経済力などヨーロッパでも10位以内に入っていることは意外に知られていませんが、これを考えるとポーランドが多くの人材を輩出したのは当然と言えるかもしれません。

さて、ショパンです。

ショパンが生まれたのは首都ワルシャワ郊外の小さな町ジェラゾバ・ヴォーラ。そしてショパンが生まれ、幼い日々を過ごしたのがこの家です↓


決して豪邸ではありませんが、周囲はたくさんの樹木の緑に囲まれ、日差しがまばゆく照りつけるのどかな環境。ちょうど木々の黄葉が見ごろで、実にキレイでした。

ショパンの父ニコラはフランス人です。これは後にショパンがパリを拠点に活躍することになるのと無関係ではないでしょう。

ショパンは幼いころから体が弱かったと言われています。ショパンには姉が一人と妹が二人いましたが、下の妹は14歳で亡くなっており、ショパンが夭折したのも家系の影響もあるのでしょうか。


中にはピアノが置かれています。

体が弱くてもショパンはごく普通の子供であったようで、当時友人宛てに自分の体調を茶化し「毎日水薬を飲み、馬のようにオートミールを食べている」と手紙に書きました。ショパンはピアノだけでなく漫画や似顔絵、芝居も得意で即興演劇を演じて人気者でした。

ピアノを始めたのは7歳、間もなく作曲をしたと言いますからやはり天才は違います。

16歳で父親のすすめでワルシャワの音楽学校に入ったショパンは、さっそくその年に『マズルカ風ロンド』を作曲。このころから生涯を通じて書かれる下地が見られ、学校でオーケストレーションを学ぶと管弦楽つきの作品も書き、高い評価を得ています。


ショパンの生家の窓から外を見ると、美しい庭が見られました。今は当然手入れに怠りないですが、200年前も同様に美しかったと想像しました。


39歳という若さでショパンはパリで客死しました。死因は結核と言われていましたが、嚢胞性線維症という遺伝疾患ではないかとする説もあります。妹さんのことも考えるとこちらかなという気がしますが。

若くして亡くなったものの遺した曲は多く、その作曲のほとんどがピアノ独奏曲で占められ、その美しい旋律は今も人びとを魅了し続けています。ショパンが「ピアノの詩人」と言われるのも納得できます。

遺言により、ショパンの心臓は故郷ワルシャワの聖十字架教会の柱に収められました。心は故郷に戻りたいということでしょうか。

これがその柱↓

世界中から訪れた人びとの献花が絶えません。さすがに世界でもっとも著名な、ピアノ作曲者です。


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『働けば自由になる』という嘘

2010年11月01日 18時59分00秒 | ヨーロッパ

『働けば自由になる』とは、第二次大戦時にナチスがポーランドのオシフィエンチムに建てた巨大な収容所・アウシュビッツの門上にある文字です。

百万人以上が殺害されたと言われ、絶滅収容所とも言われるアウシュビッツの門にこんな言葉が掲げられているのは性質の悪い冗談としか思えません。

ナチスによって「囚人」にされた人びとは、日々このゲートをくぐって苦役に出かけ、長時間の強制労働の末に、生きているか如何にかかわらず、帰ってきました。

ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)のアルファベットでBが逆立ちしているように見えることに、その標語が偽りであることを表しているなどの諸説が出るのも無理からぬ話です。アウシュビッツは「究極の不条理」の一つだと私は思いますが、それで考えれば皮肉としてぴったりな言葉とも思えます。



アウシュビッツの獄舎はしっかりとしたレンガ造りです。このような建物が多数あった訳ですが、見張り台や鉄条網を見なければ大学などでも通用しそうな建物であることを、実際に見て初めて分かりました。

ナチスは実に“真面目”に、つまり生半可ではなく確固たる意志をもって「民族浄化」を実行していたことを実感しました。



建物の中には痛ましい展示で満ちています。下は入所時に取り上げられたトランクの山です。このほかメガネや靴、毛髪などがありますが、小さな子供用の靴を見ると胸が痛みました。


敷地は鉄条網によって囲まれています。かつては電流が流されていたようで、脱獄に対する警戒のほどが分かります。


そして、要所には見張り台があります。




アウシュビッツは収容者が増えたために手狭になり、近くに「第二強制収容所」が建てられました。現在では「絶滅収容所ビルケナウ」の名で知られています。規模は更に大きくなり、東京ドーム約37個分の敷地に300以上の施設がありました。

引き込み線からビルケナウに入る門を見る。何か絶望的な気持ちになります。



内藤でした。


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北欧に行ってきました

2010年07月15日 22時30分38秒 | ヨーロッパ
東京支店の指田です。

6/30から7/12まで「初夏の北欧4か国周遊と美しきフィヨルドの旅」に
行ってまいりました。

おかげ様で天気に恵まれ、傘を使う事はありませんでした。

今回の旅は北欧の国々をフィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク
の順で廻ってきました。それぞれに個性があり、変化があり大変良かったです。

それでは今回の旅の前半部分を紹介します。


ヘルシンキ郊外のアイノラにあるフィンランドが生んだ大作曲家・シベリウスの家です。フィンランドの田舎らしい所で、白樺の林に囲まれ、窓から湖が見える静かな環境で、創作活動がはかどったみたいです。

 
ヘルシンキ市内に戻り、元老院広場に行きました。たくさんの人で賑わっていました。この先にバザールがあり、そして港があります。その港からシリヤライン・シンホニー号でストックホルムまで1泊のバルト海クルーズをしました。船室から素晴らしい景色が見られました。


美しき水の都・ストックホルムの旧市街の全景です。

 
かの有名なノーベル賞受賞晩餐パーティが行われるストックホルムの市庁舎です。左側はダンスパーティーが行われるブルーの間で右側が晩餐会が行われる黄金の間です。

 
ストックホルム旧市街のガムラスタン地区です。中世の面影を色濃く残しています。多くの人で賑わっていましたが、一つ裏に入ると時を超えたようでした。


王宮での閲兵交替式。


北欧のベルサイユ宮殿と言われるドロットニングホルム宮殿です。建物も庭も素晴らしい宮殿でした。特別に橋の上でバスを止め写真を撮りました。

以上が今回の旅の半分の2か国の様子です。

ここまでも盛り沢山ですがこの先からハイライトです。
次回のブログに乞うご期待。


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