https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%A9%E6%91%A9%E7%BE%A9%E5%A3%AB
宝暦3年(1753)に幕府より薩摩藩は揖斐・長良・木曽三大河川工事を命ぜられました。宝暦5年工事は完成されたましたが、多くの犠牲者と巨額の経費がかさんだことの責任感から、工事総奉行平田靭負は自刃しました。これら義士の墓所は岐阜・三重県下14ヶ寺に埋葬され、ここには平田靭負他21基の墓石が現存し、市指定史跡となっています。
桑名藩の維新後は、お城の石垣もすべて薩長に破壊され持ち去られ四日市港の埋め立てに使われたりしましたので、その後昭和期まで、諸々事で薩長に対しては良い印象を持ってません。
この法要も桑名市の市政の情報には掲載されないと思います。
桑名市の北には、平田町という名前も残ってます。
260余年経ても、忘れず法要する人たちもいて、
知らんふりする市もあります。今から50年前、この海蔵寺のまさに薩摩義士の墓地入り口の前で、小さな商店を父母が始めた歴史も我が家にあります。