1960年6月号の「群像」に掲載されて、同じ年に、この作品を表題とした作品集にまとめられた中編です。
作品集はその年の新潮社文学賞を受賞していますが、この作品が受賞理由の中心であったことは言うまでもありません。
この作品は、作者の前期の代表作であるばかりでなく、戦後文学の代表作の一つであると評されています。
実際の作者の家族をモデルにしたと思われる五人家族(主人公である父親、その細君(こう表記されている理由は後で述べます)と、女、男、男の三人兄弟)の一見平凡に見える日常些細なことを描きながら、それがいかに危うい均衡(あるいは男女としての関係の諦念)の上に成り立っているかが、浮かび上がってくる非常にテクニカルな作品です。
文庫本にして70ページほどのこの中編は、18の断章から構成されています。
その大半は、父親を中心にした穏やかな日常風景(部分的には子ども(特に長女)が小さかった頃が回想されます)が描かれています。
しかし、1、2には、長女が1歳のころに妻が自殺未遂を図ったことがにおわされて、作品全体の通奏低音のように、この一見円満に見える家庭がもろくも崩壊してしまうかもしれない不安感を漂よわせます。
さらに、3には新婚の時のあどけない女性だった頃の妻の追憶が挿入され、かつて彼らが父親とその細君でなく、愛し合う若い男女だったことが示されます。
そして、後半になると、14には、娘が幼かった頃のあるクリスマスに、妻が唐突に彼の家の家計としてはかなり高価な贈り物を彼と娘にしたことが思い起こされたり、16には、二番目の子どもが赤ん坊の頃に、階下ですすり泣く妻の声を聞いたことが思い出されたりして、この一見平和な家庭が、いかに彼女の大きな犠牲(一人の独立した女性ではなく、家族の中心としての父親(民主的家父長制と呼べるかも知れません)である彼の「細君」としての役割を果たすことへの諦念といったほうがいいかも知れません)の上に成り立っているかを示しています。
しかし、その後の作者の家庭小説(「夕べの雲」や「絵合わせ]など)の中では、こうした通奏低音はすっかり姿を消して、完全に父親とその細君(独立した一人の女性でも子どもたちの母親でもなく、あくまでも主人公からの相対的な位置づけなのです)としての役割を引き受けた姿が描かれています。
こうした作者の作品世界を、「小市民的」と批判するのはたやすいのですが、作者が頑なまでにその姿勢を貫いている間に、世間ではこの民主的「家父長」とでも呼ぶような父親たちが完全に姿を消して、その作品世界は一種の古き佳き昔を懐かしむような読者の共同ノスタルジーに支えられて、一定の読者(私もその一人ですが)を獲得し続け、その老境小説が「いつも同じことを書いている」と揶揄されながらも、なくなる直前まで出版され続けたことにつながっていったものと思われます。