現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ズートピア

2021-01-08 16:37:09 | 映画

 2016年制作の3Dアニメ映画で、翌年のアカデミー賞でアニメ作品賞を受賞しています。
 ストーリー自体は、ディズニー映画の王道のハッピーエンドで、いつも夢を信じるウサギの新米警官とひょんなことから相棒になるキツネの詐欺師が、いろいろな困難を克服して難事件を解決するという単純なものです。
 しかし、圧倒的にリアリティのある映像、特に、草食動物と肉食動物、大型動物と中型動物と小型動物、熱帯の動物と温帯の動物と寒冷地の動物が巧みにエリアを区分して暮らしているズートピアの設定と映像の緻密さには圧倒されます。
 他の記事にも書きましたが、CGはアニメの世界の魅力とリアリティを飛躍的に向上させました(ディズニーのように膨大な製作費をかければの話ですが)。
 また、動物の特性やイメージ(民話、児童文学、マンガ、アニメなどで長い年月をかけて構築されました)を利用したり(ウサギは子だくさんで真面目、キツネはずるい、ライオンは偉い、ナマケモノはスローモーなど)、逆に裏切ったり(頑張り屋のウサギ、友情に厚いキツネ、影の実力者の羊、スピード狂のナマケモノなど)するバランスが非常に巧みで、観客が物語世界に引き込まれるのを助けています。

ズートピア (吹替版)
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エーリヒ・ケストナー「子ども、文学、児童文学」子どもと子どもの本のために所収

2021-01-07 18:17:03 | 参考文献

 ケストナーは、児童文学を論じるときにいつも問題になる三者の関係について述べています。
 かつて児童文学研究者の石井直人は、「児童文学は、子どもと文学という二つの点をもとに描かれた楕円形をしている」と定義しました(その記事を参照してください)。
 ケストナーはそこまで明確に定義していませんし、引用している先人たちの文章も私は未読のため、正しく理解するのは難しかったのですが、以下のような命題が心に残りました。
「詩を書いたことのない作家は、作家ではない!」
 これが本当に正しいかどうかは、議論のあるところです。
 私の好きな児童文学作家は、18歳の時に大学の児童文学研究会に入る時に先輩から問われて答えてからまったく変わらないのですが、宮沢賢治とエーリヒ・ケストナーです。
 くしくも、二人とも児童文学作家であると同時に優れた詩人です。
 一方で、「自分は、賢治でもなく、ケストナーでもない」という自覚が、自分の児童文学者としての原点でもあります(学生のころに書いた詩のあまりのまずさに絶望したせいもありますが)。
 現代の児童文学作家で詩人なのは三木卓など限られた人たちだけで、そのために児童文学の世界から詩情がかなり失われました。
「児童図書だけを書く作家たちは、作家ではない。彼らはまったく児童文学作家ではない。」
 戦前は、日本でも、芥川龍之介や有島武郎などの一流の文学者たちが、優れた児童文学を書きました。
 しかし、戦後の児童文学運動は児童文学者だけの閉鎖的なものになり、一流の文学者たちが子どもたちにも適した作品(例えば、庄野潤三の「ザボンの花」や柏原兵三の「長い道」など)を書いても、ほとんど黙殺されています。
 80年代になると、逆に児童文学の優れた書き手たち(江國香織や森絵都など)が、一般文学の方へ「越境」していくようになりました。
「書かれる大部分の児童図書は、有害ではないとしても、むだである。パンのように重要な児童図書は書かれない。」
 これは、六十年以上前の発言とは思えないほど、現在の日本の児童文学の状況に当てはまります。

 

子どもと子どもの本のために (同時代ライブラリー (305))
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岩波書店
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グレイテスト・ショーマン

2021-01-07 15:27:22 | 映画

 世界で初めてサーカスを作った実在の興行師の半生を、ミュージカル仕立てで描いています。
 フリークを集めた見世物として出発したサーカスを舞台に、人と違うところを持つマイノリティの人たちも平等であることを歌い上げていて感動的です。
 おそらく実際のこの男は、そんなきれいごとではなく、単なる金儲けのためにサーカスを始めたのかもしれませんが、それを「すべての人が平等である」という今日的なテーマとより普遍的な「家族愛」をうまく結びつけていることがこの映画の成功の要因のように思います。
 同じコンビが曲を書いてアカデミー賞を取った「ラ・ラ・ランド」(その記事を参照してください)よりも、歌もダンスも格段に良く、特に集団によるダンス・パフォーマンスはキレキレでかっこいいです。
 ズンバ(ダンス・エクササイズの一種)・フリークの私としては、一緒に踊りだしたくなります。
 セリフや普通の演技だとこうは簡単に行かないようなストーリーでも、歌とダンスで演じられると妙に説得させられてしまいます。
 しかも、主役のヒュー・ジャックマンを初めとして芸達者がそろっているので、その完成度は非常に高いです。
 それにしても、アメリカ映画は、こうしたエンターテインメント作品でも、今日的なメッセージ(この映画では、マイノリティの権利を訴えることでアンチ・トランプのメッセージが隠れています)を忍び込ませるのがうまいです。
 
 

グレイテスト・ショーマン(サウンドトラック)
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ワーナーミュージック・ジャパン
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地上最大のショウ

2021-01-07 14:50:05 | 映画

 1952年公開のアメリカ映画です。

 こうした大スペクタクル映画を得意とする巨匠セシル・B・デミル監督が、実際に世界最大のサーカスであるリングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカスを舞台に、リチャード・バートン、ジェームス・スチュワートなどのオールスター・キャストで描いてアカデミー作品賞を受賞しました。

 主人公のサーカスの責任者を中心に、サーカスの花形の男女の空中ブランコ乗りなどの人間模様を描いた人間ドラマは、良くあるパターンの恋愛と仕事の両立の難しさや三角関係にすぎませんが、随所で紹介される実際のサーカスの出し物は、そのスケールも、芸のレベルの高さも、今では再現できないものばかりなので記録としても貴重です。

 もちろん、70年近く前のことですから、猛獣(ライオン、トラ、ゾウなど、ものすごい種類と数です)や人間(美女、大男、小人、巨漢、ピエロなど)の見世物小屋的な雰囲気もあるのですが、なにしろスタッフも含めると1400人以上の規模なので、その迫力は一見の価値があります。

 そういった意味では、グレイテスト・ショーマン(その記事を参照してください)の世界を、100倍か、1000倍にスケールアップしたものと考えると、近いかもしれません。

 また、当時の大スター(ボブ・ホープやビング・クロスビーなど)がチョイ役や観客として出演しているので、それを探しても楽しいかもしれません。

 

 

 

 

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皿海達哉「野口くんの勉強部屋」野口くんの勉強部屋所収

2021-01-07 13:26:37 | 作品論

 主人公のぼくは小学校六年生です。
 放課後に、友だちと六人で原っぱで楽しく草野球をやっています。
 ある日、ホームランをかっとばした野口くんの打球が、他の本と一緒に捨ててあった「野口英世」の伝記に命中します。
 その本を読んだ野口くんは、草野球をやめて一生懸命勉強をして野口英世のような医者になると言いだします。
 野口くんの草野球仲間を抜ける意思がかたい事を知って、おとうさんがいなくて貧しく自分の部屋を持っていない野口くんのために、ぼくたちは材料を持ち寄って野口くんの家の縁側に手作りの勉強部屋を作ります。
 その後、野口くんが抜けてもぼくたちの草野球は楽しく続きます。
 茂くんが、当時のアイドルグループのキャンディーズのセンターをやっていた伊藤蘭に似ているためランちゃんと呼ばれている、水島加代子さんを連れてきたからです。
 初めは応援しているだけだったランちゃんが、それまで一塁ベースだった電柱の代わりになります。
 そのため、みんなはますます草野球に夢中になります。
 なにしろ、みんなはヒットを打つたびにランちゃんにタッチできるからです。
 しかし、ぼくは、ランちゃんの表情や態度が茂くんの時だけ違うことに気が付いてしまいます。
 ランちゃんは、茂くんだけを目当てに草野球に参加していたのです。
 ぼくには、楽しかった草野球が急に色あせて見えます。
 そうこうしているうちに、茂くんも塾へ通うことを口実に(実はランちゃんと同じスイミング・スクールに入ったのです)、草野球の仲間から抜けます。
 その後も、次々に塾へ入るものが続いて、草野球仲間が減っていきます。
 ある日、ぼくは、野口くんの家が本格的な改築をはじめて、ぼくたちが作った「野口くんの勉強部屋」が取り壊されることに気がつきます。
 野口くんが一所懸命勉強をするのを見て、おかあさんも応援する覚悟を決めたのでしょう。
 その時、野口くんのホームランが野口英世の伝記にあたってそれで野口くんが勉強を始めたのは偶然ではなく、野口くん、そしてほかの仲間たちがあの楽しい草野球をやめる日が来たのは時の必然だったことに気がつきます。
 そして、ぼくも草野球をやめて、塾へ入りました。
 他の記事にも書きましたが、1984年の初めに日本文学者協会の合宿研究会に参加するために、私は1980年代初頭の現代日本児童文学を数十冊集中的に読んだことがありました。
 その中で一番衝撃を受けたのは那須正幹の「ぼくらは海へ」(その記事を参照してください)で、一番好きだったのはこの「野口くんの勉強部屋」(1981年4月1刷)でした。
 少年時代にサヨナラをする日を、これほど鮮やかに描いた日本児童文学を、私はそれまで知りませんでした(外国の作品では、ミルンの「プー横丁にたった家」やモルナールの「パール街の少年たち」のラストシーンが思い出されます)。
 私自身も、その後同じテーマでいくつかの短編を書きましたが、はたして「野口くんの勉強部屋」を超えられたかどうか、今でも確信は持てません。

野口くんの勉強べや (偕成社の創作)
クリエーター情報なし
偕成社
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古田足日「児童文学の文体 ― なぜ、どのように語るのか」児童文学の旗所収

2021-01-06 17:10:17 | 参考文献

 1961年9月に東京新聞に掲載された評論です。
 著者は、当時の児童文学作品の文体を、以下のように批判しています。
 いぬいとみこ「木かげの家の小人たち」は翻訳調、山中恒「とべたら本こ」はなまのままの俗語の無神経さ、「山が泣いている」や「谷間の底から」は生活記録的文体。
 こうした文体のひ弱さの原因として、今までの児童文学には鍛えられた文体というものがなかったからだとして、その原因を今までの児童文学が「童話」であったからだと主張しています。
 それまで児童文学に関わる人々は、主に童話的資質のロマン派であったために、当時の児童文学でもっともすぐれた文体であった坪田譲治のリアリズムの文体が引き継がれなかったとしています。 
 著者の理想とする文体は小説的な散文的な文体なので、「童話」の詩的な文体は完全に否定しています。
 しかし、後日、著者自身も認めるように、「童話」もまた児童文学の重要なジャンルであり、ジャンルごとに適切な文体が選択されるのは当然のことでしょう。
 また、坪田譲治の文体は、彼が主催した「びわの実学校」の門下の中で散文的な作品も書く人々(今西祐行、寺村輝夫、大石真、前川康男、竹崎有斐、庄野英二、松谷みよ子、関英雄など)によって引き継がれ、「現代児童文学」の中で確固たる地位を占めています。
 もしかすると、この当時の著者が理想していたのは、階級闘争とその勝利を現状から完結までをきちんと書き表せるような、もっと冷徹な文体だったのかもしれません。
 そういった意味では、彼らの文体はもっと平易で温かみのあるものなので、著者の理想とは違っていたのでしょう。
 しかし、書く対象によって文体が変わることは当然のことなので、著者のように統一した文体を求めることには違和感があります。
 私自身のささやかな創作体験の中でも、童話的文体、アラン・シリトーやサリンジャーをまねた一人称の翻訳調文体、自分の内部にある少年の孤独を描くのに適していた冷徹な文体(もしかすると、これが著者の理想に一番近いかもしれません)、庄野潤三や柏原兵三の影響を受けた平易だが滋味のある文体(思うようには書けませんでしたが)と、様々な文体を書く対象に応じて使い分けてきました。
 著者は、児童文学とおとなの文学がはっきり区別されている当時の状況を「ふしぎなこと」としていますが、その後「現代児童文学」はその差を小さくする方向へ進み、80年代から90年代にかけては、児童文学の大人の文学への越境(これには、作品が大人にも読まれるという意味もありますし、児童文学でデビューした作家が大人の文学の書き手に転向していくという意味もあります)が話題になりました。
 これは、著者が当時理想とする方向だったわけで、児童文学が新しい読者(若い世代を中心にした大人の女性)を獲得することに成功しましたが、一方で児童文学のコアな読者である小学校高学年(特に男の子)の読者の児童書離れを引き起こすという副作用もありました。

児童文学の旗 (1970年) (児童文学評論シリーズ)
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理論社
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砂田弘「絶望・連帯・ユートピア――小沢正の世界」日本児童文学1972年6月号所収

2021-01-06 15:24:31 | 参考文献

 砂田は、1937年東京生まれで1962年早稲田大学卒業という小沢の経歴から60年安保の挫折が、このユニークな幼年童話作家を誕生させたのではないかと推測しています。
 つまり大学在学中に60年安保闘争を経験し、その敗北の影が作品に色濃く投影されているということです。
 砂田は小沢より四歳年長ですが、同じ早大童話会の先輩なので小沢とは旧知の仲だと思われますので、このように述べているのでしょう。
 私は小沢よりも17歳年下で60年安保はおろか、70年安保にも間に合わなかった世代ですが、1973年に同じ早稲田大学に入学したときにキャンパスに漂っていた挫折感は今でも覚えていますし、小沢の代表作である「目をさませトラゴロウ」を読んだ時には砂田と同様の感慨を抱きました。
 砂田は、1965年に出版された小沢の連作短編集「目をさませトラゴロウ」の各短編には、徒労感、倦怠、連帯への絶望などが漂っていると指摘しています。
 しかし、「さいごの物語「目をさませ トラゴロウ」で、作者は動物たちに、トラゴロウ(物語の主人公のトラ)を目ざめさせるためにうたわせ、目をさましたトラゴロウとともに<まちがかわる日のうた>を合唱させる。<中略>それは祈りにも似た合唱であり、読者はそのユートピアから気の遠くなるほどへだてたところにいる自分に気づき、ため息をつくことだろう。そしておとなも子どもも、自分がほかでもない「トラゴロウ」そのものであることを、いまいちど確認させられることになるのである。」と砂田は述べています。
 ここで、その<まちがかわる日のうた>を全文引用します。
「あるあさ
 目をさますと
 まちが かわっている
 サーカスからも
 どうぶつえんからも
 おりが なくなっている
 そして どうぶつたちが 
 まちの人と いっしょに
 とおりを あるいている
 だけど まちの人は みんな
 へいきなかおを してるんだ
 どうぶつたちが
 まちを あるくのは
 ずっと ずっと むかしから 
 あたりまえのことだった
 とでも いうように
 へいきなかおで
 どうぶつたちといっしょに
 あるいているんだ
 そんな日が
 はやく くるといいな
 ほんとに はやく
 くると いいな
 そんな日が
 はやく はやく
 くると いいな」
 そして、小沢は、読者にも一緒に<まちがかわる日のうた>を歌うことを呼びかけます。
 悲痛なまでの連帯への願い(それは絶望の裏返しなのでしょう)とユートピアを夢見る<まちがかわる日のうた>を読んだ時の激しい共感を、四十年以上たった今でもはっきり覚えています。

目をさませトラゴロウ (新・名作の愛蔵版)
クリエーター情報なし
理論社



 

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ポール・ギャリコ「マチルダ」

2021-01-06 13:24:01 | 参考文献

 1970年に書かれた長編小説です。
 今回読んだのは新訳ですが、日本語訳は1978年に出ています。
 当時(1970年代)は、ポール・ギャリコは日本でも人気作家で、多くの作品が訳されていますが、その中には「ジェニー」のような児童文学の範疇に入れられる作品もあります。
 作者は生来のストーリーテラーで、どんなに荒唐無稽な設定(例えば豪華客船が転覆してさかさまになってしまう「ポセイドン・アドベンチャー」など)でも、その剛腕で痛快なエンターテインメントにまとめ上げてしまいます。
 この作品でも、マチルダという名のカンガルーが、ボクシングの世界ミドル級タイトルマッチまで上り詰める過程を、機智とユーモアで鮮やかに描いています。
 主人公がカンガルーといっても、擬人化された動物ファンタジーではなく、リアリズム(ユーモア小説ですが)の手法で描かれているところが、他の作家とは一線を画しているところです。
 さすがに、1970年当時のことですから、現在から眺めるとジェンダー観やマイノリティへの配慮などに欠けている点はありますが、まだまだ現在でもエンターテインメント作品として楽しめます。
 特に、ボクシングと、興業、ジャーナリズム、マフィアなどとの関わりについては、かつてスポーツライターだったことの経験が生きていてリアリティがあります。
 そのスポーツのことをよく知らない作者が書いたスポーツ物が横行している現在の児童文学作品にうんざりしている目には、こうした本格的な内容(それでいてユーモアで描いている)を持った作品を久しぶりに読むことは大きな喜びです。

マチルダ―ボクシング・カンガルーの冒険 (創元推理文庫)
クリエーター情報なし
東京創元社
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