現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ボヘミアン・ラプソディ

2021-01-15 18:00:36 | 映画

 イギリスの伝説的なロックバンド(ヴォーカルのフレディ・マーキュリーが、1991年にAIDSで死んだ(そのころは治療法が確立されていなかったので不治の病でした)ことも含めて)のクイーンの、結成された1970年前後から20世紀最大のチャリティ・コンサートであるライヴ・エイド(1985年7月13日)までを、フレディ・マーキュリーを中心に描いた音楽伝記映画です。
 個性の塊のような(途中からは自らゲイの典型を演じている感じもありました)フレディ・マーキュリーだけでなく、ギターのブライアン・メイ(かっこいいロック・ギタリストの典型(今は亡き多田かおるの少女マンガ「愛してナイト」に出てくるギタリストは彼にそっくりでした))、ドラマーのロジャー・テイラー(アイドル的なルックスで女の子にめちゃくちゃもてるロックスターの典型(「ブレイク・フリー」という曲のミュージックビデオは、四人が女装して出演したことで当時賛否両論を巻き起こしましたが、もちろん発案者のロジャーが圧倒的に美しく、特にクローズアップされた彼のミニスカートのヒップは女性も顔負けで、我が家では今でも「ロジャーのお尻」と語り草になっています)、ベースのジョン・ディーコン(渋いベーシストの典型)も、それらしい俳優が演じていて、それぞれやや誇張されているものの、オールド・ファンのイメージを大きく崩さなかったのは、なかなかの配役だと思いました。
 ストーリーは、15年以上の期間をすごく駆け足で振り返っていますし、メンバーだけでなく、スタッフや、フレディの家族や、恋人(男性だけでなく女性も)や、LGBTの人たちに配慮したため、無難な内容になっていますが、全編にクイーンの有名なヒットソング(「キラー・クイーン」、「ボヘミアン・ラプソディ」、「レディオ・ガ・ガ」、「伝説のチャンピオン」、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」など)がまんべんなく散りばめられていて、音楽映画としてはまったく申し分ありません。
 しかし、この映画の一番収穫は、クイーンが、フレディだけでなく、ブライアン、ロジャー、ジョンも含めた四人がそろって、初めてロックバンドとして完成していることが、再認識できたことでしょう。
 強烈な個性と劇的な最期のために、クイーンといえばフレディ・マーキュリーがクローズアップされがちですが(この映画も基本的にはそうです)、彼らが日本で知られるようになった1970年代の初めごろは、どちらかというと、クラシック音楽の素養もあるインテリ(ブライアンは天文学、ロジャーは歯科医、ジョンは電気工学を専攻)・ロックバンドで、ピンク・フロイドやエマーソン・レイク・アンド・パーマーのようなプログレッシブ・ロックに、美しいメロディ・ラインやハーモニーを加えた最先端のバンドとして紹介されていたことを、改めて思い出しました。

ボヘミアン・ラプソディ(オリジナル・サウンドトラック)
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Universal Music =music=
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選挙

2021-01-14 14:59:51 | 作品

「それでは、これから後期の学級委員選挙を行います」
 前期の委員長である高橋が、教壇の上からみんなに言った。その横には、副委員長の村瀬と川口さんも並んでいる。今回の選挙は、この三人以外から選ぶのがルールになっていた。
「立候補者はいませんか?」
 お互いに顔を見合わせるだけで、誰も立候補するものがいない。
 受験も間近な中学三年の十月。こんな時期に、雑用ばかり押しつけられる学級委員に、わざわざ立候補するなんて物好きな奴なんているはすもない。
 これが、生徒会の委員だったら話が違う。受験の時の学校推薦ねらいの候補者が、けっこういるのだ。
 でも、学級委員なんて、中途半端で受験にはまったく役立たない。もちろん、隆治も学級委員なんかにはなりたくなかった。
「じゃあ、誰か、推薦する人は?」
 これにもみんなから応答がない。どうせ推薦しても辞退されてしまうから、やるだけ無駄なのだ。
「それじゃ、自由投票ということでいいですね」
 高橋が、みんなに確認するように言った。
「賛成!」
「意義なし」
 クラスの後ろの方から声があがった。
(おやっ?)
 なんだか、その感じが少し不自然な気がした。隆治には、声の調子が妙に積極的なように聞こえたのだ。
 でも、高橋は何事もなかったように、自由投票にしてしまった。

 トントン。
 後ろの席の田沢が、隆治の背中をそっとつついた。
 振り向くと、こまかくたたんだ紙を渡された。
 隆治が机の中でそっと開いてみると、
(山田和真に投票せよ)
 そう小さく書かれていた。
(誰の字だろう)
 隆治は、そっとクラスの後ろの方をうかがった。
 最後方に座っている自信満々の顔。
(あいつだ)
 こんな指令をみんなに出せるのは一人しかいない。
 瀬口だ。
 彼は、実質的なクラスのボスだった。でも、自分では、表立った動きをするわけではない。ただ、クラスの中でも乱暴な斉藤や田丸などの面々を手下にしている瀬口は、この三年二組を完全に牛耳っていた。
 今回の指令にも、きっとみんなは従うことだろう。
(どうしようか?)
 隆治は、しばらく迷っていた。
 簡単に瀬口の指令に従うのも悔しい気がするし、かといって面と向かって、例えば逆に(瀬口)などと書くのは、やっぱりはばかられた。まさか筆跡でばれるわけでもないだろうが。まあ、一番無難なのは関係ない第三者の名前を書くことだろう。
 でも、隆治は迷った末に、最後には(山田)と小さく書いて、投票用紙を二つ折りにした。

 けっきょく、たいした競争者もなく、山田が委員長に選ばれた。
 ところが、どういう訳か、隆治も副委員長に選ばれてしまった。
 もしかすると、これも瀬口の指令のせいかもしれない。もちろん、隆治には知られないようにして。
「それじゃあ、当選した人たち、前に出てあいさつしてください」
 高橋に言われて、女子の副委員長の水沼さんも含めて、三人が教壇に並んだ。
 まず山田があいさつを始めた。生真面目に、委員長になっての意気込みなどを話している。瀬口の陰謀も知らずに、山田は選ばれたのを喜んでいるみたいだった。
(あーあ)
 それに引き換え、隆治の方はすっかりしらけてしまっていた。あいさつの順番がきた時も、ペコリと頭を下げただけだった。

「学級副委員長になっちゃったんだ」
 夕食の時に、隆治はなにげなくおかあさんに話をした。正直言うと、そこには少しは自慢っぽい気持ちもまざっていたかもしれない。
「えっ、なんで?」
 おかあさんの顔がくもった。
「いや、自由投票になったら、なんとなく票が入っちゃって」
 わざとおどけたように、隆治は答えた。
「馬鹿ねえ。受験が近いっていうのに、学級委員なんか押し付けられちゃって」
 おかあさんは、かなり本気で隆治のことをなじりはじめた。ある程度予想していたとはいえ、まったく冷たい反応だった。
「学級委員程度じゃあ、推薦にだって使えないっていうじゃない。生徒会の役員ってならまだしも」
 おかあさんは、うんざりしたように顔をしかめた。
(血は争えないなあ)
 受験の学校推薦に関して、おかあさんが自分と同じようなことを考えているのが、隆治はなんだか無性におかしかった。
「ちゃんと塾には通えるんでしょうね。やっと成績が上向いてきたというのに、……」
 おかあさんは自分のことばに激したのか、だんだん興奮した口調になってきた。
「ごちそうさま」
 隆治は、いきなり食卓から立ち上がった。
「あら、まだ食べてる途中じゃない」
 そう言うおかあさんを後に残して、隆治は自分の部屋のある二階へ上がっていった。

 翌朝、教室に行くと、山田が近づいてきた。
「いやあ、まいったよ」
 山田は、ニヤニヤ笑いながら言った。
「なんだい?」
 隆治がたずねると、
「家で学級委員になったこと言ったらさあ。かあさんが大喜びしちゃって」
 山田はうれしそうに話していた。
「へーっ」
 隆治は、自分との違いにびっくりしてしまった。
「なんと、お赤飯まで炊いてくれたんだ」
「えっ!」
 驚きを通り越して、隆治は軽いショックを受けていた。まるで昭和時代のようなリアクションだ。ここにも血が争えない親子がいるようだ。
「吉野はどうだった?」
 山田に聞かれて、隆治はうろたえながら口ごもった。
「べつに、……」
「お互いにがんばらなくっちゃなあ」
 そう言いながら自分の席へ戻っていく山田を、隆治は呆然として見送った。

(やっぱり)
 隆治の予感通りに、その日から瀬口たちの嫌がらせが始まったのだ。
 山田のやることに、ことごとく影にまわってじゃまするのだ。
 例えば、山田が先生からの連絡事項伝えると、その反対のことをやったりする。
 そのくせ、山田が発言すると、
「そのとおり。委員長の言うとおり」
などと、大声で合唱したりする。
 面と向かって、山田の言うことに反対したりしないのだ。だから、山田もなかなか厳しく注意したりできなかった。
 もちろん、瀬口は表面に出なかった。新井とか、坂口といった連中がやっているのだった。
 でも、かげで瀬口が指令しているのは、見え見えだった。みんな、瀬口のグループのメンバーだったからだ。
 初めは、山田は嫌がらせをされていることに気がつかなかった。偶然が重なっているのだろうと、思っていたのかもしれない。
 しかし、そのうちに、それが山田に対する悪意に満ちた嫌がらせだということに気がついた。山田は、新井とか坂口に、直接注意をしていた。
しだいに、山田も、すべて瀬口が仕組んでやらせていることに気がつく。
 山田は、真っ向から瀬口と対決しようとした。そのために、クラスのみんなに協力を求めた。
 しかし、だれも協力しない。瀬口たちの暴力を恐れていたのだ。いつか見た古い西部劇で、保安官が住民の協力を得られずに孤立したように、山田もクラスで浮いた存在になってしまった。
 瀬口が直接手を出すわけではない。ただ、クラスでも腕力のある奴らは、みんな瀬口に手なずけられていた。
 山田はそれにもめげずに、一人で瀬口たちに対決していく。
 ただ、副委員長の隆治だけには、協力を求めてきた。
「二人で民主的なクラスを取り戻そう」
 山田は、そんな時代遅れの学園ドラマみたいなせりふをはいていた。
「別に、たいしたことないんじゃないか?」
 隆治はそう言って、山田を見捨ててしまった。たしかに、おそらく隆治が協力すれば、かなり話は違ってきていただろう。二人で注意すれば、瀬口の嫌がらせも、そんなにはおおっぴらにはできなくなったかもしれない。先生たちも、山田の話にもっと耳を傾けてくれただろう
 でも、そんなことにはかまっていられない。隆治は副委員長として、与えられた最低限のことだけをやっているだけだった。
 受験勉強も、だんだん忙しくなっていった。隆治は山田のことは忘れて、自分のことだけに集中しようとしていた。
 山田は、とうとう思い余って先生に相談してみた。
 でも、先生も山田の話に取り合おうとしなかった。瀬口の巧妙な根回しのおかげで、みんなが口裏を合わせたからだ。
 こうして、山田は瀬口のねらいどおりに、クラスの中で孤立してしまった。クラス中がそのことを知っていたが、誰も自分で行動を起こそうとしなかった。
 それでも、山田は、一人でクラスをまとめようとがんばっていた。いろいろな活動を提案して、クラスを活発にしようとしたのだ。
 でも、瀬口たちの山田への嫌がらせは、だんだんエスカレートしていく。

 ある日、山田をシカトするようにとの指令がくる。
 しかし、シカトは、はじめは瀬口のグループだけしか徹底しなかった。みんなは、山田に悪意を持っているわけではなかったからだ。
 瀬口は、グループの連中を使って、「山田シカト」を徹底させるように締め付けを続ける。
 そのおかげで、山田をシカトする者がだんだん増えてくる。隆治さえも、瀬口たちを恐れて山田を避けるようになってしまった。
 とうとう最後には、クラスの誰もが、山田と口をきかなくなってしまう。山田が何か話しかけても、みんなクルリと背を向けてしまう。
 しだいに山田が近づいていくだけで、みんなが離れていくようになってしまった。
 先生たちがいる所では、みんなは普通にふるまっている。学級会の時なども、山田の司会でスムーズに進行していく。一見、なんの問題もないクラスのように見えた。
 でも、生徒だけになると、みんなが山田を完全に無視するようになっていたのだ。そして、先生たちは、このことに少しも気がつかなかった。
 山田は、学校に来て一日中、誰とも話しができない。こんな時、他の子だったら、別のクラスに休み時間などの逃げ場を求めたかもしれない。
 でも、山田は、この苦しい状況から逃げようとしなかった。休み時間には、誰とも遊んだり、話したりせずにじっと本を読んだりしてすごしていた。隆治は、そんな山田の姿を遠くから見つめているだけだった。
 ある日、山田が学校に来なくなってしまう。
 数日後に、その理由がわかった。家で自殺をはかったのだという。カッターナイフで、手首を切ったというのだ。
 さいわい、発見が早かったので命には別状なかった。山田は救急車で運ばれ、そのまま入院した。そのため、山田の自殺未遂はおおやけになり、警察から学校に連絡が入った。
 責任を追及された学校側では、なんとか原因を究明しようとする。
 それに対して、瀬口はクラスみんなにかん口令をしく。
「みんなだって、同罪なんだからな」
 隆治は、瀬口の言うことはあたっていると思った。瀬口たちだけではない。隆治も含めてクラスの全員が山田を追い詰めたのだ。
 学校側の調査に対して、口を開く者はいなかった。けっきょく、原因はうやむやになってしまった。
 しばらくして、退院した山田が登校してきた。ただ、別人のように無口になってしまった。うわさでは、うつ病でまだ通院しているとのことだった。
 あいかわらず、誰も山田と話をしようとしない。シカトが続いていたのではなく、罪の意識を感じていて、どのように山田と接すればいいのかわからなかったのだ。
 ある日、とうとう思い切って、隆治は山田に声をかけた。せめて自分だけは、できるだけ山田に協力しようと思ったのだ。
 しかし、山田は、担任に頼んで、学級委員長をやめることになった。そして、繰り上がりで隆治が学級委員長になることになったのだ。そして、今度は隆治が、瀬口の新しい攻撃の対象になってしまった。

   

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宮澤清六「兄のトランク」兄のトランク所収

2021-01-12 18:27:39 | 参考文献

 賢治の八歳年下の弟である清六氏が、1987年に出版したエッセイ集の表題作です。
 このエッセイ集は、清六氏が賢治の全集の月報や研究誌などに発表した賢治についての文章を集めたもので、発表時期は1939年から1984年まで長期にわたっています。
 賢治にいちばん近い肉親ならではの貴重な証言が数多く含まれていて、賢治の研究者やファンにとっては重要な本です。
 このエッセイでは、大正十年七月に賢治が神田で買ったという茶色のズックを張った巨大なトランクの思い出について書かれています。
 その年、二十六歳だった賢治は、正月から七か月間上京しています。
 その間に、賢治の童話の原型のほとんどすべてが書かれたといわれています。
 賢治の有名な伝説である「一か月に三千枚の原稿を書いた」という時期も、その間に含まれています。
 賢治は、この大トランクに膨大な原稿をつめて、花巻へ戻ったのです。
 1974年の3月14日に、賢治の生家で、私は大学の宮沢賢治研究会の仲間と一緒に、清六氏から賢治のお話をうかがいました。
 なぜそんな正確な日にちを覚えているかというと、その時に清六氏から賢治が生前唯一出版した童話集である「注文の多い料理店」を復刻した文庫本を署名入りでいただいたからです。
 宮沢賢治研究会の代表をしていた先輩は、どういうつてか当時の賢治研究の第一人者である続橋達雄先生に清六氏を紹介していただき、さらには続橋先生にも事前にお話をうかがってから、みんなで花巻旅行を行ったのです。
 賢治の生家だけでなく、賢治のお墓、宮沢賢治記念館、イギリス海岸、羅須地人協会、花巻温泉郷、花巻ユースホステル(全国の賢治ファンが泊まっていました)などをめぐる濃密な賢治の旅でした。
 私はスキー用具をかついでいって、帰りにみんなと別れて、なぜか同行していた高校時代の友人(宮沢賢治研究会のメンバーではなかった)と、鉛温泉スキー場でスキーまで楽しみました。
 その旅行の前に、代表だった先輩は、「清六氏にあったら賢治先生と言うように」とかたくメンバーに言い含めていましたが、当日はその先輩が真っ先に興奮してしまって、「賢治」、「賢治」と呼び捨てを連発してひやひやしたことが懐かしく思い出されます。
 清六氏は、37歳で夭逝した賢治とは対照的に、2001年に97歳の天寿をまっとうされました。
 その長い生涯を、賢治の遺稿を守り(空襲で生家も焼けましたが、遺稿は清六氏のおかげで焼失を免れました)、世の中に出すことに尽力されました。
 清六氏がいなければ、今のような形で賢治作品が世の中に広まることはなかったでしょう。

兄のトランク (ちくま文庫)
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筑摩書房
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アグネス・ザッパー「愛の一家」

2021-01-12 15:14:38 | 作品論

 1907年にドイツで書かれた児童文学の古典のひとつです。
 2011年に出た完訳版で、約五十年ぶりに読んでみました。
 私が1960年代の初めにこの本を読んだのは、姉たちのために毎月家で購入していた講談社版の少年少女世界文学全集のある巻に収められていたからです。
 おそらく抄訳だったのでしょうが、今回読んでみて知らないエピソードが出てこなかったので、かなり良心的なものだったのでしょう。
 そういえば、同じ全集に入っていたケストナーの「飛ぶ教室」「点子ちゃんとアントン」「エーミールと軽業師(ケストナー少年文学全集では「エーミールと三人のふたご」というタイトルになっています)」の巻(幸運にもまるまる一巻がすべてケストナー作品でした)は私の子ども時代の最愛の本でしたが、大学生になって真っ先に大学生協でケストナー少年文学全集を買ってそれらの作品を完訳を読み直しても、ほとんど違和感がありませんでした。
 さて、このお話は、貧しい(といっても、昔のことですからお手伝いさんはいるのですが)音楽教師のペフリング一家の七人兄弟(男四人、女三人)が、ほがらかで頼りになるおとうさんとやさしくて信仰心に富んだおかあさんの愛情に育まれて成長していく姿を描いています。
 第一次世界大戦前の古き良き時代のドイツの庶民の暮らしが、長い冬の風物を背景に丹念に描かれています。
 私が初めて読んだ時でも、書かれてから五十年以上たっていましたが、あまり違和感なく読めたのはそのころの日本の一般的な家庭と共通点があったからでしょう。
 当時の日本の家庭を描いた作品としては、庄野潤三の家庭小説(「絵合わせ」(その記事を参照してください)「明夫と良二」「夕べの雲」など)がありますが、この「愛の一家」もどこか庄野作品と共通するものがあるように思われます。
 社会が複雑化した現代の日本では、この作品のような「おとうさんらしいおとうさん」や「おかあさんらしいおかあさん」や「子どもらしい子ども」を求めるのは困難かもしれませんが、東日本大震災や福島第一原発事故やコロナなどを経て、家族の大切さが見直されている時期にこういった作品を読んでみるのも、たんなるノスタルジーを超えた意味があるのではないでしょうか。

愛の一家 (福音館文庫 物語)
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福音館書店
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高岡 健「はしがき うつ病論の現在と双極Ⅱ型―働くことの卑怯なとき」うつ病論 双極Ⅱ型とその周辺所収

2021-01-12 09:59:54 | 参考文献

 2009年2月に発行された「うつ病論 双極Ⅱ型とその周辺」のはしがきです。
 現在のうつ病が「双極Ⅱ型」(軽躁とうつを反復する気分障害)が主流になっていることと、「この障害の発症が単なる自己責任ではなく、組織や共同体と個の生き方の間で発生する、公害である」ことを明記しています。
 そして、1992年のバブル崩壊や2008年のリーマンショックなどによる新自由主義経済の崩壊との関係についても触れています。
 児童文学者として特に興味を引いたのは、宮沢賢治の「もうはたらくな」という詩の以下のような一節を引いていることです。
「もう働くな、レーキを投げろ」、「働くことの卑怯なときが、工場ばかりにあるのではない」
 そうです。
 「双極Ⅱ型」を初めとする「うつ病」は、個人やその家庭といった狭い領域に責任があるのではなく、それらと組織(学校や会社など)や共同社会(国や地方自治体)との関係性において発生するのです。
 別の記事(内海 健「うつ病新時代 双極Ⅱ型障害という病」)でも書きましたが、今の子どもたちや若い世代を取り巻くいろいろな問題(いじめ、セクハラやパワハラなどのハラスメント、ネグレクト、虐待、ひきこもり、登校拒否、拒食、過食、自傷、自殺、薬物依存、犯罪など)も、この障害と同様に、自己責任(被害者および加害者)が問われることが多いのですが、実際は社会全体の問題として捉えなければなりません。
 そして、賢治が80年以上も前に書いたように、児童文学者は本来そういった視点を持っていたはずです。
 しかし、最近では、個人の自己責任ばかりに言及して、売れさえすれば体制や社会におもねった作品でも評価されているのを見ると、児童文学の世界も明らかに「逆コース」を歩んでいるようで、おおいな危機感を持っています。

うつ病論―双極2型障害とその周辺 (メンタルヘルス・ライブラリー)
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批評社
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浅野弘毅「あとがき」うつ病論 双極Ⅱ型障害とその周辺所収

2021-01-12 09:57:26 | 参考文献

 うつ病の背景となる社会の変化とそれに伴ううつ病の変化について概観し、最後に参考文献をリストアップしています。
 著者の社会認識の古さや、歴史認識のずれ、そして現代の社会に対する認識の欠如に驚かされます。
 著者は1946年生まれなので、2009年の出版当時はまだ62、3歳だったわけで、そんなに老け込む年ではなかったはずなので、勉強不足としか言いようがありません。
 まず、現代を高度消費社会と捉えているのが古すぎます。
 同じ精神科医の大平健が「豊かさの精神病理」を出版したのは1990年で、筆者がここに書いていようなことは大平が描写した1980年代のバブル時期の感覚です。
 また、能力主義の労務管理システムが、あたかも1980年代にはとりいれられたように書かれていますが、実際に日本に導入されたのはバブル崩壊後の1990年代です。
 私は外資系のグローバル企業に勤めていたので、一般の日本企業よりはかなり早かったのですが、それでも1990年に入ってから導入が始まり、完全能力型のグローバル化(それでもローカルルールで若干の年功序列が残っていました)が完了したのは2000年代に入ってからでした。
 この本は現在問題になっている双極Ⅱ型障害を中心に書かれているはずなのですが、この「あとがき」の文章で書かれているうつ病と社会現象とのかかわりは旧来のメランコリー単極うつ病が中心になっていて、双極Ⅱ型障害の時代背景になっているバブル崩壊やこの本が出る直前のリーマンショックなどについてほとんど考慮されていません。
 「あとがき」に限らず、この本を通して読んで感じたのは、タイトルには今注目されている双極Ⅱ型障害を掲げているものの、個々の論文は必ずしもそれに関連しているものばかりではなく、かなり古い「うつ病」観を持った著者(特に年配の人たち)も多いようです。
 特に、「はしがき」で掲げられた、双極Ⅱ型障害は社会のひずみによる「公害」だという認識が、著者の間で共有されていなかったのには、「羊頭を掲げて狗肉を売る」ようで、がっかりさせられました。

うつ病論―双極2型障害とその周辺 (メンタルヘルス・ライブラリー)
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スプラッシュ

2021-01-11 17:03:38 | 映画

 1984年のアメリカ映画で、ディズニーの映画部門であるタッチストーン・フィルムの一作目の映画です。
 子どものころに親しんだファミリー向けのディズニー映画(「罠にかかったパパとママ」(ケストナーの「二人のロッテ」の翻案(舞台を当時のアメリカにしています)や「スイスファミリー・ロビンソン」(ウィースの「スイスのロビンソン」(デフォーの「ロビンソン・クルーソー」の成功以来夥しい数が出版されたいわゆる「ロビンソン物」(関連する記事を参照してください)における数少ない成功作品)の翻案(登場人物や時代を当時のアメリカにしています)のテイストを、大人の世界に持ち込んだ現代のおとぎ話的なファンタジーです。
 主人公が子ども時代に海でおぼれた時に助けてくれた同い年くらいの子どもの人魚と、大人になってめぐり合い結ばれるディズニー映画らしいハッピーエンドな作品です。
 基本的にはドタバタコメディ(人間社会を知らない人魚の無邪気な魅力、好青年(死語ですね)の主人公とすけべで不真面目な兄の対比、二人の人魚の存在を証明しようとする偏執狂な科学者(いわゆるマッド・サイエンティストですね)とのバトルチェイスなど)で、ストーリーはたわいのない物なのですが、出てくる人物が権力者(政府、警察、科学者のお偉方などを除いては、みんな最後にはいい人(兄もマッド・サイエンティストも)になるし、二人が海の中で一緒に暮らすことになる(主人公が、慣れない海で暮らして、その後本当に幸せなのかはいささか不安ですが)ハッピー・エンドなので、安心して楽しめます。
 なんといっても、この作品を支えているのは登場人物の魅力です。
 主人公の青年を演じている若き日のトム・ハンクスは、アメリカの好青年(ピュア―でまじめで仕事もでき、長身でそこそこハンサム(これも死語ですね)にピッタリです(その後、やはり現代のお伽噺的な映画「ビッグ」(その記事を参照してください)で、同様の好青年を演じて賞を取りブレイクします)。
 人魚役のダリル・ハンナは、当時世界的に美人の代名詞であった典型的な北欧美人(長身で金髪で青い目)で、人魚姫にはうってつけ(御存じのように、「人魚姫」の作者のアンデルセンはデンマークの人です)なのですが、そこに野性的(水泳(当たり前ですが)もエアロビクスもアイススケートもすごく上手ですし、しばしば全裸(長い金髪が上手に隠しています)で登場したり、レストランでロブスターを殻ごとバリバリ食べたりしてしまいます)で現代的な(デパートでのショッピングに夢中になり、テレビで英語もエアロビクスもあっという間にマスターしてしまったりします)な要素を加味しています。
 主人公の兄役のジョン・キャシディーは「ホーム・アローン」などでお馴染みの名脇役で、すけべ(子ども頃から女性のミニスカートを下からのぞくのが癖で、大きくなってからは出会った女性を片っ端からくどいています)で、怠惰(仕事はあまりせずに遊んでいて、肥満していて、酒もたばこもギャンブルも大好きです)ですが、どこか憎めない(営業では社交的な性格を生かした手腕を発揮しますし、すごく弟思いです)陽気なアメリカ人にはうってつけです。
 マッド・サイエンティスト役のユージン・レヴィはユダヤ系(自身もそうです)の有名人の物まねもする人で、頭はいいが性格に難があって、でもどこか抜けているので憎めない、こうした役にうってつけです。
 他の記事でも繰り返し述べていますが、このようなデフォルメされた典型的なキャラクターの設定は、読者や観客を作品世界に引き込むための、エンターテインメントにおける重要な手法です。
 しかし、今では、多様なマイノリティの人たちや健康への配慮のために、特に映画やテレビでは難しくなっており、その分派手なCGなどでごまかした作品が増えてきています。
 この映画でも、現代ならば、白人中心主義(黒人やヒスパニックやアジア系の俳優をもっと使わなければならないので、金髪美人(これも死語ですね)などはもってのほかでしょう)、ギャンブルや飲酒や喫煙などのシーン、セクシャルなシーン、セクシャルハラスメント(ナンパやミニスカートを下からのぞくシーン)、人種差別(ユダヤ人の描き方など)などが問題になるでしょう。
 現代ではこうした配慮はエンターテインメント作品を作る上で当然必要なことなので、どうしたらそうした制約の中で、新しい典型的(分かりやすいと言い換えてもいいかもしれません)なキャラクターを創造するかが課題です。

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ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
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ボルトとダシャ マンホール チルドレン 20年の軌跡

2021-01-10 11:39:54 | テレビドラマ

 モンゴルの首都、ウランバートルで、マンホールの中で暮らしていた二人の少年たちのその後を追跡したテレビ・ドキュメンタリーです。
 氷点下40度にもなる極寒のウランバートルでは、ストリートチルドレンたちは、富裕層のために温水が配管されているマンホールの中でしか、冬場をやり過ごせません。
 そんな厳しい環境で暮らす二人の少年、ボルトとダシャが、20年にわたる厳しい日々を乗り越えて、たくましく生き延びていく日々を描いています。
 友情、恋愛、喧嘩、別離、結婚、離婚、愛する人との死別、母親との和解、アルコール中毒などの、さまざまな困難を乗り越えて、三十代になった二人は、貧しいながらも、仕事につき、家や家族を築いて、未来へ向けて、一歩ずつ歩き続けています。
 過剰な演出や干渉は廃して、カメラは淡々と二人を追いかけていきます。
 ギャラクシー賞や芸術祭大賞を受賞したのも当然のできばえです。

「ボルトとダシャ マンホールチルドレン20年の軌跡(前編)~モンゴル 愛と憎しみ、希望と絶望、魂の映像記録!~」
リリー・フランキー
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ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ

2021-01-09 16:45:08 | 映画

 四人の若者の青春群像劇でもあり、クライム・ムービーでもありますが、イギリス映画らしいモンティ・パイソン的なユーモアとギャグに満ちたコメディです。
 徹底的に偶然とご都合主義に満ち満ちているのですが、それがむしろ痛快に感じられる一級のエンターテインメント作品に仕上がっています。
 また、全編に流れる音楽や、登場人物たちのファッションも、非常にスタイリッシュです。
 このヒリヒリした若者たちの感覚は、日本の児童文学でもほしい所です。

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ズートピア

2021-01-08 16:37:09 | 映画

 2016年制作の3Dアニメ映画で、翌年のアカデミー賞でアニメ作品賞を受賞しています。
 ストーリー自体は、ディズニー映画の王道のハッピーエンドで、いつも夢を信じるウサギの新米警官とひょんなことから相棒になるキツネの詐欺師が、いろいろな困難を克服して難事件を解決するという単純なものです。
 しかし、圧倒的にリアリティのある映像、特に、草食動物と肉食動物、大型動物と中型動物と小型動物、熱帯の動物と温帯の動物と寒冷地の動物が巧みにエリアを区分して暮らしているズートピアの設定と映像の緻密さには圧倒されます。
 他の記事にも書きましたが、CGはアニメの世界の魅力とリアリティを飛躍的に向上させました(ディズニーのように膨大な製作費をかければの話ですが)。
 また、動物の特性やイメージ(民話、児童文学、マンガ、アニメなどで長い年月をかけて構築されました)を利用したり(ウサギは子だくさんで真面目、キツネはずるい、ライオンは偉い、ナマケモノはスローモーなど)、逆に裏切ったり(頑張り屋のウサギ、友情に厚いキツネ、影の実力者の羊、スピード狂のナマケモノなど)するバランスが非常に巧みで、観客が物語世界に引き込まれるのを助けています。

ズートピア (吹替版)
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メーカー情報なし
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エーリヒ・ケストナー「子ども、文学、児童文学」子どもと子どもの本のために所収

2021-01-07 18:17:03 | 参考文献

 ケストナーは、児童文学を論じるときにいつも問題になる三者の関係について述べています。
 かつて児童文学研究者の石井直人は、「児童文学は、子どもと文学という二つの点をもとに描かれた楕円形をしている」と定義しました(その記事を参照してください)。
 ケストナーはそこまで明確に定義していませんし、引用している先人たちの文章も私は未読のため、正しく理解するのは難しかったのですが、以下のような命題が心に残りました。
「詩を書いたことのない作家は、作家ではない!」
 これが本当に正しいかどうかは、議論のあるところです。
 私の好きな児童文学作家は、18歳の時に大学の児童文学研究会に入る時に先輩から問われて答えてからまったく変わらないのですが、宮沢賢治とエーリヒ・ケストナーです。
 くしくも、二人とも児童文学作家であると同時に優れた詩人です。
 一方で、「自分は、賢治でもなく、ケストナーでもない」という自覚が、自分の児童文学者としての原点でもあります(学生のころに書いた詩のあまりのまずさに絶望したせいもありますが)。
 現代の児童文学作家で詩人なのは三木卓など限られた人たちだけで、そのために児童文学の世界から詩情がかなり失われました。
「児童図書だけを書く作家たちは、作家ではない。彼らはまったく児童文学作家ではない。」
 戦前は、日本でも、芥川龍之介や有島武郎などの一流の文学者たちが、優れた児童文学を書きました。
 しかし、戦後の児童文学運動は児童文学者だけの閉鎖的なものになり、一流の文学者たちが子どもたちにも適した作品(例えば、庄野潤三の「ザボンの花」や柏原兵三の「長い道」など)を書いても、ほとんど黙殺されています。
 80年代になると、逆に児童文学の優れた書き手たち(江國香織や森絵都など)が、一般文学の方へ「越境」していくようになりました。
「書かれる大部分の児童図書は、有害ではないとしても、むだである。パンのように重要な児童図書は書かれない。」
 これは、六十年以上前の発言とは思えないほど、現在の日本の児童文学の状況に当てはまります。

 

子どもと子どもの本のために (同時代ライブラリー (305))
クリエーター情報なし
岩波書店
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グレイテスト・ショーマン

2021-01-07 15:27:22 | 映画

 世界で初めてサーカスを作った実在の興行師の半生を、ミュージカル仕立てで描いています。
 フリークを集めた見世物として出発したサーカスを舞台に、人と違うところを持つマイノリティの人たちも平等であることを歌い上げていて感動的です。
 おそらく実際のこの男は、そんなきれいごとではなく、単なる金儲けのためにサーカスを始めたのかもしれませんが、それを「すべての人が平等である」という今日的なテーマとより普遍的な「家族愛」をうまく結びつけていることがこの映画の成功の要因のように思います。
 同じコンビが曲を書いてアカデミー賞を取った「ラ・ラ・ランド」(その記事を参照してください)よりも、歌もダンスも格段に良く、特に集団によるダンス・パフォーマンスはキレキレでかっこいいです。
 ズンバ(ダンス・エクササイズの一種)・フリークの私としては、一緒に踊りだしたくなります。
 セリフや普通の演技だとこうは簡単に行かないようなストーリーでも、歌とダンスで演じられると妙に説得させられてしまいます。
 しかも、主役のヒュー・ジャックマンを初めとして芸達者がそろっているので、その完成度は非常に高いです。
 それにしても、アメリカ映画は、こうしたエンターテインメント作品でも、今日的なメッセージ(この映画では、マイノリティの権利を訴えることでアンチ・トランプのメッセージが隠れています)を忍び込ませるのがうまいです。
 
 

グレイテスト・ショーマン(サウンドトラック)
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ワーナーミュージック・ジャパン
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地上最大のショウ

2021-01-07 14:50:05 | 映画

 1952年公開のアメリカ映画です。

 こうした大スペクタクル映画を得意とする巨匠セシル・B・デミル監督が、実際に世界最大のサーカスであるリングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカスを舞台に、リチャード・バートン、ジェームス・スチュワートなどのオールスター・キャストで描いてアカデミー作品賞を受賞しました。

 主人公のサーカスの責任者を中心に、サーカスの花形の男女の空中ブランコ乗りなどの人間模様を描いた人間ドラマは、良くあるパターンの恋愛と仕事の両立の難しさや三角関係にすぎませんが、随所で紹介される実際のサーカスの出し物は、そのスケールも、芸のレベルの高さも、今では再現できないものばかりなので記録としても貴重です。

 もちろん、70年近く前のことですから、猛獣(ライオン、トラ、ゾウなど、ものすごい種類と数です)や人間(美女、大男、小人、巨漢、ピエロなど)の見世物小屋的な雰囲気もあるのですが、なにしろスタッフも含めると1400人以上の規模なので、その迫力は一見の価値があります。

 そういった意味では、グレイテスト・ショーマン(その記事を参照してください)の世界を、100倍か、1000倍にスケールアップしたものと考えると、近いかもしれません。

 また、当時の大スター(ボブ・ホープやビング・クロスビーなど)がチョイ役や観客として出演しているので、それを探しても楽しいかもしれません。

 

 

 

 

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皿海達哉「野口くんの勉強部屋」野口くんの勉強部屋所収

2021-01-07 13:26:37 | 作品論

 主人公のぼくは小学校六年生です。
 放課後に、友だちと六人で原っぱで楽しく草野球をやっています。
 ある日、ホームランをかっとばした野口くんの打球が、他の本と一緒に捨ててあった「野口英世」の伝記に命中します。
 その本を読んだ野口くんは、草野球をやめて一生懸命勉強をして野口英世のような医者になると言いだします。
 野口くんの草野球仲間を抜ける意思がかたい事を知って、おとうさんがいなくて貧しく自分の部屋を持っていない野口くんのために、ぼくたちは材料を持ち寄って野口くんの家の縁側に手作りの勉強部屋を作ります。
 その後、野口くんが抜けてもぼくたちの草野球は楽しく続きます。
 茂くんが、当時のアイドルグループのキャンディーズのセンターをやっていた伊藤蘭に似ているためランちゃんと呼ばれている、水島加代子さんを連れてきたからです。
 初めは応援しているだけだったランちゃんが、それまで一塁ベースだった電柱の代わりになります。
 そのため、みんなはますます草野球に夢中になります。
 なにしろ、みんなはヒットを打つたびにランちゃんにタッチできるからです。
 しかし、ぼくは、ランちゃんの表情や態度が茂くんの時だけ違うことに気が付いてしまいます。
 ランちゃんは、茂くんだけを目当てに草野球に参加していたのです。
 ぼくには、楽しかった草野球が急に色あせて見えます。
 そうこうしているうちに、茂くんも塾へ通うことを口実に(実はランちゃんと同じスイミング・スクールに入ったのです)、草野球の仲間から抜けます。
 その後も、次々に塾へ入るものが続いて、草野球仲間が減っていきます。
 ある日、ぼくは、野口くんの家が本格的な改築をはじめて、ぼくたちが作った「野口くんの勉強部屋」が取り壊されることに気がつきます。
 野口くんが一所懸命勉強をするのを見て、おかあさんも応援する覚悟を決めたのでしょう。
 その時、野口くんのホームランが野口英世の伝記にあたってそれで野口くんが勉強を始めたのは偶然ではなく、野口くん、そしてほかの仲間たちがあの楽しい草野球をやめる日が来たのは時の必然だったことに気がつきます。
 そして、ぼくも草野球をやめて、塾へ入りました。
 他の記事にも書きましたが、1984年の初めに日本文学者協会の合宿研究会に参加するために、私は1980年代初頭の現代日本児童文学を数十冊集中的に読んだことがありました。
 その中で一番衝撃を受けたのは那須正幹の「ぼくらは海へ」(その記事を参照してください)で、一番好きだったのはこの「野口くんの勉強部屋」(1981年4月1刷)でした。
 少年時代にサヨナラをする日を、これほど鮮やかに描いた日本児童文学を、私はそれまで知りませんでした(外国の作品では、ミルンの「プー横丁にたった家」やモルナールの「パール街の少年たち」のラストシーンが思い出されます)。
 私自身も、その後同じテーマでいくつかの短編を書きましたが、はたして「野口くんの勉強部屋」を超えられたかどうか、今でも確信は持てません。

野口くんの勉強べや (偕成社の創作)
クリエーター情報なし
偕成社
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古田足日「児童文学の文体 ― なぜ、どのように語るのか」児童文学の旗所収

2021-01-06 17:10:17 | 参考文献

 1961年9月に東京新聞に掲載された評論です。
 著者は、当時の児童文学作品の文体を、以下のように批判しています。
 いぬいとみこ「木かげの家の小人たち」は翻訳調、山中恒「とべたら本こ」はなまのままの俗語の無神経さ、「山が泣いている」や「谷間の底から」は生活記録的文体。
 こうした文体のひ弱さの原因として、今までの児童文学には鍛えられた文体というものがなかったからだとして、その原因を今までの児童文学が「童話」であったからだと主張しています。
 それまで児童文学に関わる人々は、主に童話的資質のロマン派であったために、当時の児童文学でもっともすぐれた文体であった坪田譲治のリアリズムの文体が引き継がれなかったとしています。 
 著者の理想とする文体は小説的な散文的な文体なので、「童話」の詩的な文体は完全に否定しています。
 しかし、後日、著者自身も認めるように、「童話」もまた児童文学の重要なジャンルであり、ジャンルごとに適切な文体が選択されるのは当然のことでしょう。
 また、坪田譲治の文体は、彼が主催した「びわの実学校」の門下の中で散文的な作品も書く人々(今西祐行、寺村輝夫、大石真、前川康男、竹崎有斐、庄野英二、松谷みよ子、関英雄など)によって引き継がれ、「現代児童文学」の中で確固たる地位を占めています。
 もしかすると、この当時の著者が理想していたのは、階級闘争とその勝利を現状から完結までをきちんと書き表せるような、もっと冷徹な文体だったのかもしれません。
 そういった意味では、彼らの文体はもっと平易で温かみのあるものなので、著者の理想とは違っていたのでしょう。
 しかし、書く対象によって文体が変わることは当然のことなので、著者のように統一した文体を求めることには違和感があります。
 私自身のささやかな創作体験の中でも、童話的文体、アラン・シリトーやサリンジャーをまねた一人称の翻訳調文体、自分の内部にある少年の孤独を描くのに適していた冷徹な文体(もしかすると、これが著者の理想に一番近いかもしれません)、庄野潤三や柏原兵三の影響を受けた平易だが滋味のある文体(思うようには書けませんでしたが)と、様々な文体を書く対象に応じて使い分けてきました。
 著者は、児童文学とおとなの文学がはっきり区別されている当時の状況を「ふしぎなこと」としていますが、その後「現代児童文学」はその差を小さくする方向へ進み、80年代から90年代にかけては、児童文学の大人の文学への越境(これには、作品が大人にも読まれるという意味もありますし、児童文学でデビューした作家が大人の文学の書き手に転向していくという意味もあります)が話題になりました。
 これは、著者が当時理想とする方向だったわけで、児童文学が新しい読者(若い世代を中心にした大人の女性)を獲得することに成功しましたが、一方で児童文学のコアな読者である小学校高学年(特に男の子)の読者の児童書離れを引き起こすという副作用もありました。

児童文学の旗 (1970年) (児童文学評論シリーズ)
クリエーター情報なし
理論社
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