1960年3月に信濃教育に掲載された評論です。
他の記事にも書きましたが、この時期は、「現代児童文学」(定義などは関連する記事を参照してください)はまだ混迷期にあって、前年に出版された、後に「現代児童文学」の出発点とされる佐藤さとる「だれも知らない小さな国」といぬいとみこ「木かげの家の小人たち」の評価も定まっていませんでした。
また、石井桃子がファンタジー論を書いた「子どもと文学」もまだ出版されておらず、それに影響を受けた著者のファンタジーに関する考えもまた定まっていません。
しかし、ここにおいても、その当時のリアリズム作品(例えば「山が泣いている」)が現象の模写にとどまり、それらがかつての生活童話のような矮小な世界に陥ることを憂えています。
その現状を打破する方策として、著者が打ち出したのはイマジネーションを発揮して現実を立体的に見ていくことでした(後に、その役目をファンタジーに期待するようになります)。
他の記事にも書きましたが、その当時著者が「現代児童文学」で本当に書きたかったものは、階級闘争(基地闘争、ダム闘争、高校進学問題など)とその勝利です。
そのためには、現状を克明に描写するだけでなく、未来をリアリティをもって描き出せるようなイマジネーションが必要でした。
また、それらを一般大衆(特殊な例を除いて、子どもたちは一般大衆そのものです)に読んでもらえるようなエネルギー(例として、「水滸伝」や「西遊記」をあげています)も必要です。
壮大な想像力(イマジネーション)とエネルギー(読者自身のエネルギーをかきたてるようなスケールの大きな面白さということでしょう)の統一に、著者は理想の児童文学の姿を見ています。
他の記事にも書きましたが、この時期は、「現代児童文学」(定義などは関連する記事を参照してください)はまだ混迷期にあって、前年に出版された、後に「現代児童文学」の出発点とされる佐藤さとる「だれも知らない小さな国」といぬいとみこ「木かげの家の小人たち」の評価も定まっていませんでした。
また、石井桃子がファンタジー論を書いた「子どもと文学」もまだ出版されておらず、それに影響を受けた著者のファンタジーに関する考えもまた定まっていません。
しかし、ここにおいても、その当時のリアリズム作品(例えば「山が泣いている」)が現象の模写にとどまり、それらがかつての生活童話のような矮小な世界に陥ることを憂えています。
その現状を打破する方策として、著者が打ち出したのはイマジネーションを発揮して現実を立体的に見ていくことでした(後に、その役目をファンタジーに期待するようになります)。
他の記事にも書きましたが、その当時著者が「現代児童文学」で本当に書きたかったものは、階級闘争(基地闘争、ダム闘争、高校進学問題など)とその勝利です。
そのためには、現状を克明に描写するだけでなく、未来をリアリティをもって描き出せるようなイマジネーションが必要でした。
また、それらを一般大衆(特殊な例を除いて、子どもたちは一般大衆そのものです)に読んでもらえるようなエネルギー(例として、「水滸伝」や「西遊記」をあげています)も必要です。
壮大な想像力(イマジネーション)とエネルギー(読者自身のエネルギーをかきたてるようなスケールの大きな面白さということでしょう)の統一に、著者は理想の児童文学の姿を見ています。
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