現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

伊東潤「旅刃刺の仁吉」巨鯨の海所収

2017-11-03 15:02:41 | 参考文献
 山田風太郎賞を受賞した短編集の冒頭の短編ですです。
 江戸時代の太地の鯨漁を、丹念に調べて描いています。
 鯨漁の部分は実に詳しく書かれていて迫力も十分です。
 しかし、肝心の人間ドラマが弱すぎます。
 出てくる登場人物がパターン化されすぎています。
 エンターテインメント作品なのですから典型的な人物の配置は当然なのですが、人物像が古すぎますし(まるで股旅物か、西部劇の「シェーン」を思わせます)、魅力がない(キャラがたっていない)のです。
 これでは、従来からの時代物の読者である年配の読者は満足させられても、若い新しい読者は開拓できないのではないでしょうか。
 児童文学でも史実を調べて書いた歴史物はかつてはよく書かれましたが(例えば、今西祐行の「肥後の石工」や岩崎京子の「花咲か」など)、最近はその伝統はノンフィクション物を除くと廃れてしまったようです。
 ノンフィクション作家を除く現在の児童文学作家は、丹念に資料を調べるような手間を惜しんで、安直なエンターテインメント作品を書くようになってしまっています。
 また、それは現代の子どもたちの読解力の低下とも関係していると思われます。
 つまり、こういった歴史物を読みこなせる子ども読者は、すでに希少化してしまっているのでしょう。

巨鯨の海
クリエーター情報なし
光文社
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古田足日「未来と現実 ― 新しい児童文学の創造」児童文学の旗所収

2017-11-03 13:49:27 | 参考文献
 1960年3月に信濃教育に掲載された評論です。
 他の記事にも書きましたが、この時期は、「現代児童文学」(定義などは関連する記事を参照してください)はまだ混迷期にあって、前年に出版された、後に「現代児童文学」の出発点とされる佐藤さとる「だれも知らない小さな国」といぬいとみこ「木かげの家の小人たち」の評価も定まっていませんでした。
 また、石井桃子がファンタジー論を書いた「子どもと文学」もまだ出版されておらず、それに影響を受けた著者のファンタジーに関する考えもまた定まっていません。
 しかし、ここにおいても、その当時のリアリズム作品(例えば「山が泣いている」)が現象の模写にとどまり、それらがかつての生活童話のような矮小な世界に陥ることを憂えています。
 その現状を打破する方策として、著者が打ち出したのはイマジネーションを発揮して現実を立体的に見ていくことでした(後に、その役目をファンタジーに期待するようになります)。
 他の記事にも書きましたが、その当時著者が「現代児童文学」で本当に書きたかったものは、階級闘争(基地闘争、ダム闘争、高校進学問題など)とその勝利です。
 そのためには、現状を克明に描写するだけでなく、未来をリアリティをもって描き出せるようなイマジネーションが必要でした。
 また、それらを一般大衆(特殊な例を除いて、子どもたちは一般大衆そのものです)に読んでもらえるようなエネルギー(例として、「水滸伝」や「西遊記」をあげています)も必要です。
 壮大な想像力(イマジネーション)とエネルギー(読者自身のエネルギーをかきたてるようなスケールの大きな面白さということでしょう)の統一に、著者は理想の児童文学の姿を見ています。

児童文学の旗 (1970年) (児童文学評論シリーズ)
クリエーター情報なし
理論社
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