樋口隆志は、吉田先生が黒板の上へはりだした大きな模造紙をながめていた。
そこには、一番上に、「アリババと四十人の盗賊」と書かれている。あとは、アリババをはじめとして登場人物の名前がならんでいた。
「それでは、これから、『アリババと四十人の盗賊』の配役をきめたいとおもいます」
学級会の議長の高山くんが、きびきびした声で話しだした。
隆志たち三年二組では、来月の学芸会で、「アリババと四十人の盗賊」をやることになっている。
きょうは、吉田先生がきめてくれた登場人物を、それぞれだれがやるのかをきめるために、学級会がひらかれていた。
クラスは、全員で二十八人。先生は、全員に役がいくように、そしてセリフもあるようにと、ずいぶん苦労して配役を作ったようだ。そのために、セリフの多い主役のアリババやかしこい女召使いのモルギアナの役は、何人かで分担してやることになっている。
「それでは、まずアリババの役。だれか、やりたい人はいますか?」
高山くんがそういうと、隆志はだれが手をあげるかなと、まわりを見まわしてみた。
でも、みんなはざわざわしているだけで、だれも手をあげなかった。
アリババといえば、なんといっても、この劇の主役だ。四人で分担してやるとはいえ、セリフも多いし、一番めだつ役なのだ。
隆志も、
(やってみたいな)
って、気持ちが少しはあった。
でも、自分からやりたいっていったりしたら、「ずうずうしいなあ」とか、「でしゃばり」って、他の子にいわれそうなので、とても手をあげられない。
もしかすると、他の子たちも、同じことを考えているのかもしれなかった。
「だれも、いませんかあ?」
高山くんが、みんなを見まわしながらもう一回いった。
「じゃあ、だれか、他の人をすいせんしてください」
「はいっ」
黒木くんが、まっさきに手をあげた。
「黒木くん、どうぞ」
「高山くんがいいとおもいます」
「はい。わかりました」
高山くんは、少してれたような、でも、やっぱりうれしいような顔をして答えていた。
副議長の中村さんが、模造紙にかかれている「アリババ1」の下に、きれいな字で「高山」と書きこんだ。
それからは、順調に配役が進みだした。やはり、授業中によく意見をいう人や、クラスで人気のある人たちから決まっていくようだ。
残念ながら、隆志の名前は、アリババ役の四人の中にも、盗賊のかしらハサンのときにもでなかった。
女の子の配役も、賢い女召使いモルギアナをやる三人をはじめとして、順番に決まっていく。
隆志は、早くだれかが、自分の名前をすいせんしてくれないかと、ドキドキしながらまっていた。
でも、隆志は、アリババの兄のよくばりカシムにも、カシムのむすこにも、そして、カシムの死体をぬいあわせる仕立て屋の役にも選ばれなかった。
隆志は、
(選ばれなくて残念だなあ)
と、思いながらも、少しホッとしたような気持ちもしていた。いままでの役は、セリフが多くてけっこうやるのがたいへんそうなのだ。
最後に、盗賊の手下と、アリババの召使い役が残った。
盗賊の手下の役は十人。それでも、かしらのハサンを入れても全部で十一人にしかならないので、「四十人の盗賊」にはだいぶ足りない。まあ、人数がそれだけしかいないんだから、それもしかたがない。
「じゃあ、盗賊の手下の役をやりたい人は、手をあげてください」
高山くんが、みんなを見まわしながらいった。
「はーい」
「はい、はい」
今度は、残っていた男の子全員が、元気よく手をあげた。
隆志も手をあげている。召使いの役よりは、盗賊の手下の方がおもしろそうだ。女の子の中には、召使い役をやりたいのか、手をあげない子もいる。
「えーっと、人数が多いようなので、ジャンケンで決めてください」
高山くんが、少しめんどうくさそうにいった。
みんなはガヤガヤしながら、教室の前の方に集まってきた。
二人ずつ組みになって、ジャンケンが始まった。隆志は、大川くんと組みになった。
「ジャンケン、ポン」
隆志がグーで、大川くんがパー。隆志は、一発であっさりと負けてしまった。
けっきょく、隆志は、「召使い3」の役をやることになった。
男の子で召使いの役をやるのは、隆志と山崎くんの二人だけだった。そういえば、二人ともいつもジャンケンが弱かった。
「みんな、自分の役割は、わかった?」
吉田先生が、みんなにむかっていった。
「この劇では、盗賊が財宝をかくしている岩山。ほらっ、アリババが『開け、ゴマ』っていうところね。あそこが見せ場なの」
隆志は、前に読んだ「アラビアンナイト」のさしえを、思い出した。アリババの前に、ごつごつした灰色の岩山が、パックリと大きな口を開けていた。
「その場面を、三人だけ手伝ってもらいたいの。二人は岩山の扉を開ける係。『開けゴマ』っていったら開けて、『閉じろゴマ』っていったら閉めるのね。それからもう一人は、アリババが盗賊たちから隠れる『大きな木』」
隆志は、「大きな木」の出てくる場面は、思い出せなかった。
「えーっと、岩山の場面に出てこない男の子は、……。カシムの息子の平井くんと、仕立て屋の大野くん。それに召使い役の山崎くんに樋口くん。じゃあ、その人たちのだれかにお願いするね」
隆志は、急に自分の名前が出てきたので、またドキドキしてきた。
「『大きな木』の役は、背の高い人がいいかな」
吉田先生がいった。
「じゃあ、樋口くんだ。せいたか隆志だもの」
すぐに高山くんがいったので、みんなはドッと笑いだした。隆志はやせっぽちだけど、クラスで一番背が高いのだ。
「じゃあ、樋口くん。お願いね」
吉田先生は、ニコッと笑って隆志の顔を見た。隆志は、「大きな木」がどんな役なのかわからないまま、コクンとうなずいていた。
その晩、隆志は、劇のことをかあさんに話した。
「へーっ、『アリババと四十人の盗賊』をやるの。おもしろそうねえ。それで、タカちゃんはなんの役をやるの?」
かあさんは、夕ごはんのしたくをしながらそういった。
「召使い3」
テレビを見ていた隆志は、小さな声で答えた。
「ふーん、どんな役なの?」
かあさんは、ちょっとがっかりしたみたいだった。
「まだ、練習してないからわかんないよ」
隆志は、テレビを見たまま答えた。
「セリフはあるのかしら?」
かあさんは、少し心配そうだ。
「うん。全員最低ひとつは、セリフがあるって、先生がいってたよ」
隆志は、かあさんの方に向き直って答えた。
「そう、よかったね」
かあさんは、ホッとしたようにいった。
ピロロローン。
いつも電源を入れっぱなしにしているパソコンのチャイムが鳴った。
「あっ、おとうさんだ」
かあさんが、うれしそうにいった。
「わたしでる」
「ぼくが先だよ」
隆志と妹の由美は、同時にパソコンデスクにかけよった。
隆志は、タッチの差で、先にパソコン用の椅子に座るとスカイプ(無料のテレビ電話)の画面を開いた。
「もしもし」
ウィンドウいっぱいにとうさんの顔が映った。
「あっ、隆志か?」
やっぱりとうさんだ。いつも、この時刻にスカイプがかかってくる。
「ずるーい」
由美が泣きべそをかきながら、無理やりパソコンのカメラにうつろうとしている。
「ちょっと、待っててよ。すぐ代わるから」
隆志は、由美を押し返しながら早口にいった。そして、さっそく学芸会のことを、とうさんに報告した。
とうさんは、隆志が「召使い3」の役だというと、
「しっかりやれよ」
と、いってくれた。
「学芸会、何日だっけ?」
とうさんが、隆志にたずねた。
「来月の、十二日の日曜日」
と、隆志が答えると、
「そうかあ」
とうさんは、しばらくだまって他の画面(たぶん仕事のスケジュール表)を見ているようだったが、
「うん、だいじょうぶ。その週は家に帰れるから、一緒に見に行けるよ」
と、元気よくいった。
「ほんとっ!」
隆志は、うれしくてつい大きな声を出してしまった。
「早く代わってよ!」
由美がそういって、隆志の右足をけとばした。
「いてえ。……ほらっ」
隆志は、由美に席を代わった時、「召使い3」だけでなく、「大きな木」もやるのを、とうさんにいい忘れたことを、思い出した。
(まあ、いいや。どんなことをやるのかわかってから、話せばいいもの)
隆志のとうさんは、家族を東京の郊外にある家に残したまま、今は一人で神戸で働いていた。そういうのを、「単身赴任」って、いうんだそうだ。
とうさんの会社が、神戸に新しい工場を作っているのだ。とうさんは、神戸で、建設会社や役所の人たちと協力して、工場が仕事を始めるのに必要な準備をしている。
工場は、来年の三月に完成する予定だ。そうしたら、隆志もかあさんや由美と一緒に、神戸へ引っ越すことになっている。
隆志はそのことを考えると、少しさびしい気持ちになった。
引越しをすれば、幼稚園のときから、ずっと一緒だった友だちと、別れなければならない。そのことを、まだ友だちのだれにもいっていなかった。
それに、神戸がどんな所なのか、よく知らなかった。隆志は、毎年夏休みに行く伊豆より西に行ったことがなかった。
神戸が関西地方にあることは、隆志も知っていた。新しい学校の人たちも、テレビのバラエティ番組に出ているお笑い芸人たちみたいに、こちらとは違ったことばをしゃべっているのだろうか。どうもいつものんびりしている隆志とは、違うタイプの人たちのような気がする。新しい学校の人たちと、うまく友だちになれるか不安だった。
隆志は、夕ごはんの後で、少年少女世界文学全集の「アラビアンナイト」の中に入っている「アリババと四十人の盗賊」を読んでみた。
『貧しい若者だったアリババは、ある日偶然に、ハサンをかしらとする四十人の盗賊が岩山へ隠していた財宝を見つけ出した。
その話を聞いたアリババの兄のよくばりカシムは、さっそく岩山へ、財宝を取りに行ったカシムはたくさんの財宝を手にいれたが、どうくつから出るときに、扉を開ける合言葉の「開けゴマ」を忘れてしまう。
カシムは、帰ってきた盗賊たちに殺されてバラバラにされてしまった。
盗賊たちはアリババの命もつけねらうが、かしこい女召使いのモルギアナの機転によって、逆にやっつけられてしまう。
アリババは、盗賊の財宝を町の人たちにも分けてあげ、モルギアナはカシムの息子と結婚して、めでたし、めでたし 』
お話を最後まで読んでも、隆志には、「召使い3」が何をやる役なのか、とうとうわからなかった。そんな登場人物は、この本にはでてこなかったからだ。みんなに役がいくようにと、吉田先生が、考え出したのかもしれない。
でも、「大きな木」については、こう書かれていた。
『アリババは、あわててすぐそばにあった、大きな木によじのぼった』
そのページには、黒い「大きな木」の上から、盗賊たちの様子をうかがっているアリババの姿が描かれていた。
「アリババと四十人の盗賊」の練習が始まった。
初めのころは、教室で、それぞれのせりふをいうだけの練習だった。
みんながせりふを覚えると、本番の会場である体育館で、通しげいこをおこなった。
隆志は、体育館の練習のときに、すっかりゆううつになってしまった。
「召使い3」の役はいいのだ。セリフをいうのはたった一回だけれど、男の召使いが二人しかいないので、料理などを運ぶ力仕事のために、けっこう登場する場面が多かった。
問題は「大きな木」だ。
「大きな木」は、岩山の場面のときには、ずっと舞台に立っていなければならない。
両手に木の棒と紙で作った枝を持ち、おなか、腰、そして足には、幹を絵の具で描いた画用紙が巻きつけられる。頭にも、こずえを描いた画用紙を、帽子のようにかぶらなければならない。
隆志がそのかっこうをして舞台に現れたとき、クラスのみんなは大笑いだった。
「にあう、にあう」
「さすが、せいたか隆志」
とかいって、からかう男の子たちまでいた。
その日、家へ帰ってから、隆志は、「召使い3」がどんな役かをかあさんに話した。
でも、「大きな木」については、とうとう何もいえなかった。
学芸会の前日の、土曜日になった。
前の晩に家へ帰ってきたとうさんは、隆志が学校へ行くときにはまだ眠っていた。
とうさんが家へ帰ってくるのは、月に一回だけ。そのときは、とうさんは、金曜日の夜の新幹線に飛び乗っている。
でも、東京駅から家まではさらに二時間もかかるので、家へたどり着くのは、いつも真夜中になってしまう。
昨日の夜も、とうさんが家に着いたときには、隆志と由美はとっくに眠っていた。
その日の夕方、隆志は、久しぶりにとうさんとお風呂に入った。妹の由美も一緒だからギューギュー詰めだ。とうさんが湯船につかっているときには、隆志は洗い場へ出なければならない。
ギュッ、ギュッ。ギュッ、ギュッ。
隆志は、力をこめて、とうさんの背中をこすった。
「隆志、ずいぶん力がついたなあ」
とうさんは、うれしそうにいった。
お風呂からあがると、もう夕ごはんのしたくができていた。
おさしみ、てんぷら、さといもの煮もの、……。
テーブルには、とうさんの好物ばかりが並んでいる。とうさんが帰った日はいつもそうだ。
でも、隆志と由美も、この日ばかりはぜんぜん文句をいわない。
「おとうさーん」
由美が甘ったれた声を出して、とうさんのひざに上にすわった。
「お疲れさまでした」
かあさんが、とうさんのコップにビールをついだ。かあさんもなんだかうれしそうだ。
「うーっ。やっぱりしみるなあ」
とうさんはビールを一気に飲み干すと、大きな声でいった。
「これが、こんどの工場」
その晩、とうさんは、撮影してきた新しい神戸の工場を、みんなに見せてくれた。とうさんは仕事にも使うので、デジタルビデオカメラと編集用のノートパソコンを持っている。今日はそれらで撮影と編集したものをディスクに入れて持ってきていた。
「へーっ、もう形になっているんだ」
隆志が、感心していった。
「うん。けっこう作業が進んでいるだろ」
工場は三階建てだ。すでに鉄骨の組み立ては終わって、壁もほとんどできあがっている。
「これなら、今年いっぱいに完成するわね」
かあさんがいった。
「うん、外側はね。でも、内装にけっこう時間がかかるし、機械も入れなくちゃならないから、やっぱり完成は三月ぎりぎりになっちゃうな」
「ふーん」
隆志がうなずいた。
「えーっと。次は、今度みんなで住む所だよ」
画面には、新しい大きな団地がうつった。神戸の六甲山を切り崩した所なので、まわりにはまだ小さな丘や森が見える。
四月になったら、隆志たちもここへ引っ越さなければならない。
画面には、団地近くのスーパーや、駅前のロータリーもうつった。
「まだ、さびしそうなところね」
かあさんがちょっと心配そうにいった。
「うん。でも、だんだんひらけてくるよ」
とうさんがはげますようにいった。
最後に、小学校がうつった。
「ここが、隆志が転入する学校だよ」
鉄筋四階建ての、新しい校舎だ。校庭はひろびろとしていて、今の学校の二倍以上もありそうだ。
「ふーん」
隆志は、興味深げにながめていた。転校したら、すぐになかのいい友だちができるだろうか。
「わたしも行くのよ」
由美が、不満そうに口をとがらせた。
「あっ、そうか。由美も来年の四月には一年生だったな」
とうさんが笑いながらいった。由美は、ふくれっつらのまま、とうさんをぶつまねをした。
「隆志、明日の芝居はどうだ?」
ビデオが終わると、とうさんがたずねた。
「うん、だいじょうぶ」
それから、隆志は、「召使い3」のセリフをとうさんにいってみせた。
「うまい、うまい。隆志は、けっこう芝居が上手だな」
とうさんは笑いながらいった。隆志はうれしくてニコニコした。
由美も負けずに、隆志のセリフをまねてみせた。隆志が何度も練習していたので、すっかり覚えてしまったのだ。
「ほーう。うちには役者が二人もいるのか」
とうさんはそういいながら、由美を抱きあげた。
その日も、隆志は、「大きな木」の役のことを、とうさんやかあさんにいいそびれてしまった。
学芸会の日になった。
いよいよ三年二組の、「アリババと四十人の盗賊」が始まる。
隆志は、舞台の下手に「大きな木」になって立っていた。
幕があがる。
パチパチパチパチ。
客席から、いっせいに拍手がおくられた。
会場の体育館は、各学年の子どもたちや家族の人たちで満員になっている。
「クスクス」
「フフフ」
「大きな木」をやっているのが子どもだということに気がついて、あちこちから笑い声がおこった。
隆志は、少し顔を赤くしてしまった。
「アリババ1」の高山くんが現れた。みんなの注目は、すぐに隆志から高山くんへ移っていった。
(なーんだ)
隆志は自分が注目されなくなって、ホッとしたようなちょっと残念なような複雑な気分だった。
と、そのときだ。
(あっ!)
隆志は、客席にいるとうさんと、目が合ってしまったのだ。隣には、かあさんと由美もすわっている。
とうさんは、ちょっと驚いたような顔をしていた。
でも、すぐにニコッと笑うと、手にしていたビデオカメラを隆志のほうへ向けた。
劇はどんどん進んでいく。
隆志は、岩山の場面では「大きな木」を、そして、アリババの屋敷の場面では「召使い3」を、やらなければならないので、大忙しだった。
場面の入れ替わる短い時間に、何回も衣装を替えなければならない。
特に「大きな木」は、ずっと手をひろげたままなので、けっこう疲れる。
隆志は手がさがらないように、両腕をいっぱいにひろげてけんめいにがんばった。
そして、とうとう最後まで、ふたつの役をしっかりとやりとおすことができた。
劇のできばえもまずまずだった。
「アリババ3」の加藤くんがセリフをひとつ抜かしたのと、「よくばりカシム」の遠山くんが盗賊に切り殺されたときに、一緒に岩山を倒したのを除けば、けっこううまくいった。
隆志は、劇が終わるとすぐに、クラスのみんなから離れて、体育館の出入り口へ行った。神戸へ帰るとうさんを見送るためだ。
とうさんはキャリングケースを引きながら、ビデオカメラを入れた小さなバッグを肩からかけていた。
これから、すぐに東京駅へ行って新幹線に乗っても、神戸の郊外にあるマンションに着くのは夜の八時過ぎになるらしい。とうさんは、明日からも忙しく働かなければならない。
「タカちゃん、なかなか良くできたな」
とうさんが、そういってくれた。
「うん」
隆志は、ちょっと恥ずかしそうに答えた。
「二つも役をやらなくっちゃならないから、大変だったね」
かあさんも、そういってくれた。
「じゃあ、行くよ」
とうさんが、すこしさびしそうにいった。
「いってらっしゃい」
三人は、声をそろえていった。由美は、もう半分泣きべそをかいている。
とうさんは、校門のところで振り返ると、隆志たちにむかって大きく手を振った。
学芸会から、二週間がたった。
ある日、隆志は、神戸のとうさんから、宅配便を受け取った。
開けてみると、中にはブルーレイのディスクが入っていた。とうさんの太い字で、『隆志の学芸会』と書かれている。
その晩、隆志はかあさんや由美と一緒に、『隆志の学芸会』を見ることにした。
隆志はディスクをセットして、再生ボタンを押した。
かあさんは、台所の洗い物を途中にして、手をふきながらやってきた。由美もソファーに座っている。
『アリババと四十人の盗賊……三年二組』
舞台の端に置いてあったタイトルが、まずアップになった。
場面はすぐに、アリババが、兄さんである欲張りカシムの葬式の指図をしているところに替わった。隆志は山崎くんと二人で、カシムのなきがらを寝台の上へ運んでいく。
「あっ、お兄ちゃんだ」
と、由美がいった。
アリババたちのセリフにまじって、客席のガヤガヤする声や、咳をする音まで入っている。
次に、場面は、盗賊のかしらのハサンが油商人に化けて、アリババの屋敷へやってきたところに替わった。どうやらとうさんは、隆志の出てくる場面だけをつないで、編集してくれたようだ。
隆志は、油のはいったかめ(実は、盗賊の手下たちが隠れていることになっている)を、重そうに運んでいる。
それが終わると、次は、盗賊のかしらのハサンがカシムの息子をだまして、再びアリババの屋敷へやってきた場面だ。ここで、隆志はただ一つのセリフをいった。
「これから、踊りをお目にかけます」
セリフが、ちょっと棒読みな感じだった。
でも、
「タカちゃん、上手にいえたね」
と、かあさんがいってくれた。
「これから、踊りをお目にかけます」
由美が、またまねをした。隆志は、由美に一発デコピンをいれてやった。
録画は、賢い女召使いのモルギアナとカシムの息子との結婚式を、まわりでながめている隆志の横顔をアップにして終わった。
隆志が、ブルーレイレコーダーのリモコンのストップボタンを押そうと、手を伸ばした時、いきなりとうさんの声がした。
「これから、『隆志の学芸会』の、第二幕をおおくりします」
画面に、いきなり隆志がアップになった。「召使い3」の隆志ではなく、「大きな木」の隆志だ。
「私は、一本の大きな木です」
とうさんのナレーションが入った。会場内の音は消されていて、バックにはきれいな音楽が流れている。
「もう何百年もの間、この岩山で暮らしています」
「ある日、アリババという若者が、山へ薪を拾いにやってきました」
「私は、なかなか良さそうな若者だなと、思いました」
「そこへ、四十人の盗賊が急に現れました」
「アリババは、あわてて私によじ昇りました」
高山くんのアリババが、隆志のうしろに隠してある机の上によじ昇っていく。
「私は、けんめいに枝を広げて、アリババを隠してあげました」
高山くんをうしろにして、両腕をいっぱいにひろげている隆志が、画面いっぱいにうつしだされた。両手ができるだけピンとなるように、けんめいにがんばっているのがよくわかる。
「翌日、アリババの兄のよくばりカシムが、やってきました」
「でも、呪文の『開けゴマ』を忘れて、岩山に閉じ込められてしまいました」
「わたしは、なんとか呪文を教えようとしましたが、カシムには聞こえません」
隆志の顔がアップになった。何か、しきりに口を動かしている。
(そうだ。あのとき、……)
隆志は思いだした。
カシムが「開けゴマ」を思いだせなくて、「開けムギ」とか「開けコメ」とかいっているとき、つい小声で、
「ゴマ、……、ゴマ」
と、いってしまったのだ。
「カシムが盗賊に殺されているのを見つけて、アリババは涙を流しました」
「私も悲しくなって、ゴオーッ、ゴオーッと、枝をゆさぶってなきました」
たしかにこの場面で、隆志の両腕は、すこし上下に動いている。そろそろ、疲れてきていたのかもしれない。
「アリババは、盗賊の財宝を岩山のどうくつから運び出すと、町の人たちに分けて、みんなでなかよく暮らしました。めでたし、めでたし」
最後に、「大きな木」の役をやり終えて、ついニッコリした隆志の顔が、画面いっぱいにアップになった。
「タカちゃん、『大きな木』の役でもがんばっていたのね」
かあさんがうれしそうにいった。
「うん」
隆志は、ディスクを止めると、勢いよく立ち上がった。
「どうしたの?」
かあさんがたずねた。
「おとうさんにスカイプするんだ」
隆志はそういって、すぐにパソコンの椅子に座った。隆志はスカイプの画面を開きながら、ブルーレイのお礼をいった後で、
(早く四月になって、みんなで一緒に暮らしたいね)
って、とうさんにいおうと思っていた。