現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

リアルタイム・ウォッチャー

2021-03-15 13:24:16 | 作品

 目覚ましの電子音が鳴っている。
おれは、すぐに布団から起き上がった。手早く布団をたたんで、押し入れの上の段に入れた。
テレビのスイッチを入れると、音もなくインターネットアプリを選択する画面がついた。
スポーツ配信サービスのDAZN(ダゾーン)を、選んで立ち上げる。
 派手なオープニングメロディが、テレビに接続してある5.1サラウンドのオーディオ・スピーカーから鳴り出した。サッカーのヨーロッパチャンピオンズリーグの中継が始まるのだ。
 おれのテレビは液晶の薄型テレビなので、場所を取らないのがいい。サイズは32型で本当はもっと大きな画面のやつが欲しかったのだが、部屋が四畳半なので仕方がなかった。そのかわりにサウンドは凝っていて、BOSEの小型スピーカーを壁に取り付けた5.1チャンネル・サラウンド・システムによって、360度の立体サウンドでその場にいるような臨場感が得られている。
 時刻は、朝の三時半をまわったところだ。ヨーロッパは、先週からサマータイムが始まったばかりだった。時差はちょうど八時間。今は、夜の八時半過ぎということになる。
 画面に、イングランドのサッカー場が映った。リヴァプールのアンフィールド・スタジアムだ。腹の底から響いてくるような応援歌の合唱が始まっている。どうやら、スタジアムは観客で満員のようだ。むこうも夜なので、ピッチをこうこうとライトが照らしている。おかげで時差による違和感は、あまり感じられなかった。
 隔週の水曜日と木曜日は、いつもこの時刻に起きている。ヨーロッパチャンピオンズリーグの試合があるからだ。ヨーロッパ中の有力クラブチームが参加するこのリーグも大詰めを迎え、準決勝戦になっていた。おれは、予選からここまで、生中継で見られる試合は、ぜんぶ欠かさず見てきた。残念ながら、予選リーグから準々決勝までは、同じ時間に複数の試合が行われるので、すべてを見ることはできなかったが。
(スポーツの生中継をリアルタイムで見る)
 それが、おれの「リアルタイム・ウォッチャー」としてのポリシーだ。その点で、民放のバレーボールやゴルフなどで使われている生中継を装った録画中継は、残り時間で展開が読めて臨場感にかけてしまう。
例えば、バレーボールで、どちらかのチームがセットカウント2対1でリードしている第4セットの途中。もし、残り放送時間がもう15分ぐらいしかなかったら、(ああ、リードしているチームが、このままこのセットも取って、3対1で勝つな)と、展開が読めてしまう。もうファイナルの第5セットまでもつれるだけの時間がないからだ。
おれは、録画中継や見逃し配信はよっぽど魅力的なカードしか見なかった。
かつてはスポーツ番組を見るために何台も使っていたDVDレコーダーやブルーレイレコーダーも、今ではほとんど使わなくなっていた。インターネットやテレビのニュースなどで先に結果が知らされてしまい、せっかく録画したのにわざわざ見る魅力がなくなってしまうからだった。それに、最近おれの見るコンテンツの主流になっている配信サービスは、録画ができなかった。
その代わりに、おれは、生中継の時間に自分の生活を合わせるようにしたのだ。
(プレーヤーや観客と、同じ時間を共有することの喜び)
 それは、「リアルタイム・ウォッチャー」のおれにとって、何物にも変えがたかった。その達成感だけが、変則的な今のおれの暮らしを支えていた。

 素早くトイレを済ませて、急いで部屋に戻った。
 朝一番でやることがある。血圧の測定だ。おれは、三年前の会社の健康診断で、高血圧と判定されてしまっている。
「このノートに記録するといいですよ」
 健康相談室の看護師さんが、血圧を記録する小冊子をくれた。開いてみると、朝昼晩と三回記録するようになっている。血圧計は、やはり高血圧だった父親が買った物がある。その時は、日中は会社があるため、朝晩のみ計測することにした。今は一日中家にいるので、朝昼晩ときちんと測っている。
おれはベッドの脇に置いてある血圧計のパッドを上腕に巻いて、もう一度横になった。血圧計のボタンを押すと、ブーンと低い音を立てて腕に圧力がかかった。
 しばらくして、ピッピッピッと音を立てて計測が終わった。
 血圧は140の93なので、平均血圧(最低血圧+(最高血圧-最低血圧)÷3)は108.7で、おれの基準ではぎりぎり許容範囲だ。おれは、押入れの下の段に入れてある小型冷蔵庫からよく冷えたミネラルウォーターを出すと、オルメテックという降圧剤を一粒飲んだ。
本当はいけないんだけど、おれは平均血圧で自分なりの基準を設けて降圧剤を飲んでいる。平均血圧が90未満ならば血圧は低いので薬は飲まない。90以上100未満なら正常範囲なので、その状態を維持するために薬を半粒だけ飲む。100以上110未満なら許容範囲なので少し下げるために一粒、110以上120未満なら血圧が高いので下げるために一粒半。120以上と非常に高い場合はかなり下げるために二粒飲むことにしている。
おれの場合、血圧は朝起きた時が一番高い。いわゆる早朝高血圧というやつだ。今日は、それでぎりぎり許容範囲だったので、体調はまあまあ良さそうだった。
 おれはベッドに腰を下ろすと、パジャマを手早く脱いだ。それを鼻に近づけて、においをかいでみる。少し汗臭い。おれは、パジャマをスーパーのビニール袋に入れた。ふすまを少しだけ開けて、ビニール袋を居間に出しておく。あとで妻の雅子が回収して、洗っておいてくれるはずだ。
 前からそうだったが、会社に行かないで家にいるようになってからも、おれは家事を全くといっていいほどしていなかった。せいぜい平日に自分の昼食を作るくらいだ。ほとんどの家事を雅子に依存して生活をしていた。最近は、平日は雅子が外で働いているので、(申し訳ないなあ)という気持ちは持っていたが、今のおれにはそれ以上のことをやれなかった。
 雅子は、居間を挟んで反対側の夫婦の寝室で寝ている。かつては、おれもそこで布団を並べて敷いて寝ていたが、別々の部屋で寝るようになってもう三年以上にもなる。今日は子どもたちの学校があるので、雅子は六時前には起きるはずだが、まだ二時間は布団の中だ。
 押入れの下の段に入れた小さなタンスから、ポロシャツとユニクロで買ってきてもらったグレーの上下のスウェットを取り出した。それらを素早く身に付ける。
 おれは、父の形見のリクライニングチェアーに、深々と腰を下ろした。これで観戦準備はOKだ。
 イングランドのリヴァプールのキックオフで、試合が始まった。赤いユニフォームのリヴァプールの選手たちと、縦縞のユニフォームのユベントスの選手たちがいっせいに動き出す。観衆の声援が、一層高まってくる。おれは、画面の中の世界に没入していった。

 試合が始まって、五分ほどたった時だ。
「おっと、いけない。薬を飲むのを忘れていた」
 おれは小さくつぶやいた。どうも、最近、ひとりごとが癖になっているようだ。
 うつ病の薬は、毎日、朝昼晩の食後と寝る前に飲むことになっている。病院からは、一日あたり四種類十三錠が出されていた。食後に飲むのは、ドグマチールを二錠と、ルポックスとリーゼを一錠ずつだ。寝る前に飲むのは、デパスを一錠だった。
 しかし、リアルタイム・ウォッチャーとしての生活を始めてからは、自分なりにその組み合わせを変えるようになっていた。ひとつには、おれの睡眠時間が細切れで変則的になったことだ。だから、どれを寝る前に飲んでいいのか、分からなくなっていた。
もともとデパスには寝付きを良くする作用があるのだが、おれはリーゼにも眠くなる副作用があることに気づいていた。それで、細切れになっている睡眠に入る前に、リーゼを飲むことにしている。そして、デパスは一番まとめて寝られる時の前に、飲むことにした。おかげで(もちろん慢性的な睡眠不足のせいもあるが)、いつでもすぐに眠れるようになった。
 逆に、ドグマチールには精神活動を活発にする働きがあるので、寝起きに飲むことにしていた。これは一日あたり六錠もあるので、一錠ずつ飲めば充分に回数は足りた。
 残りのルポックスは、気分が落ち込んだ時や、考えが堂々巡りになった時に飲むことにしている。
 おれは冷蔵庫からまたミネラルウォーターを出すと、寝起き用のドグマチールを一錠飲んだ。

 おれが、この部屋に引きこもるようになってから、二年以上になる。その間、月に一度、病院へ行く以外に、家を一歩も出ていない。
(外出しないで、何をしてるかって?)
 毎日、地上波放送、BS放送、CS放送、それに最近はインターネット配信まで駆使して、スポーツ中継だけを見ているのだ。
便利な世の中になったものだ。この四畳半を一歩も出ないで、世界中のスポーツをリアルタイムに見ることができる。
 アメリカの四大プロスポーツであるMLBメジャーリーグベースボール、NBAバスケットボール、NHLアイスホッケー、NFLアメリカンフットボール。
 ヨーロッパチャンピオンズリーグとイングランド、スペイン、イタリア、フランス、ドイツなどの各国のリーグを中心としたサッカー。
 ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカ、アルゼンチンの南半球と、イングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランド、フランス、イタリアの北半球のラグビー。
 さらに、ゴルフとテニスのメジャー大会やツアー。ツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアなどの自転車競技。
イギリス、フランス、アメリカなどの競馬。
F1やモトGPなどのモータースポーツ。
ノルディックやアルペンやフリースタイルのスキーやスノーボード、フィギュアやスピードスケートといったウィンタースポーツ。
そして、オリンピックを頂点として、陸上、水泳、柔道、体操、卓球などの世界選手権。
 もちろん、日本のスポーツも、プロ野球、Jリーグ、なでしこリーグ、大学ラグビー、競馬、女子バレーボール、女子バスケットボール、女子ゴルフ、フィギュアスケート、大相撲などを追いかけている。
 さっきも述べたように、おれは原則として生中継を見ることにしていた。そのために、生活時間の方を、中継時間に合わせていたのだ。

 今、おれがこもっているのは、前は下の子の芳樹の部屋だった。
上の子の正樹が、亡くなったおれの父親の寝室だった二階の部屋に移ったのをきっかけに、玉突き式に正樹が使っていた部屋に芳樹が移った。そのため、この部屋が空くことになった。
おれがうつ病になって会社に行かれなくなったときに、この部屋に引きこもることにしたのだ。
 ここはもともと客間として作られていたので、純和室のつくりだった。
でも、長らく子供部屋に使われていたから、その名残りの明るい色のカーテンがかかっていたりする。おれはインテリアには特にこだわりはないので、そのままになっていた。
 部屋は四畳半だったが、押入れが付いているのと出窓があるのとで、一日中いてもそんなに狭苦しくは感じなかった。東南の角にあるので、一階では一番日当たりのいい部屋だ。冬でも、一日中、日が差し込んでいて、日中は暖房がいらないくらいだった。その代わりに、夏はかなり暑くなった。
でも、部屋が狭いので、エアコンがよく効いて快適に過ごせた。
 畳の部屋なので、布団を敷いて寝ている。布団は押し入れの上の段に入れているが、下の段には、小型の冷蔵庫と押し入れダンスを入れてあった。
 冷蔵庫の中は、飲み物ばかりだ。喉が渇いても台所へ行かないですむように、ペットボトルの飲み物が詰めてある。
ダイエットコーク、ウーロン茶、緑茶、……。
そして、薬を飲むためのミネラルウォーターもたくさん入っていた。
間食による太り過ぎを警戒して、食べ物は何も入れてなかった。
半透明のプラスチック製の押入れダンスは三段になっているので、上から、靴下やハンカチ、タオル類、上下の下着、ルームウェアに分けて入れている。雅子は、洗濯してきちんとたたんだ物を、毎日部屋の外に置いてくれた。おれは、それらを分類して押入れダンスにしまうだけだ。

ピチチチチ、……。
外で小鳥が鳴き出した。おれが住んでいるのは、郊外の新興住宅地だ。まだまだまわりに緑が多いせいか、いろいろな野鳥が庭にやってくる。
 ヒヨドリ、オナガ、ウグイス、メジロ、ヤマバト、……。
 でも、あの鳴き声は、隣りの家の屋根に巣を作っているスズメだろう。雨戸を閉めていても、うるさいくらいに聞こえてくる。
 カーテンの隙間からは、うっすら光が漏れていた。もう朝日が昇り始めたようだ。
 リヴァプール対ユベントスの試合は、ハーフタイムになっている。1対0で、ホームのリヴァプールがリードしていた。
 おれはリクライニングチェアーから立ち上がると、カーテンを開けた。雨戸の両側の隙間から、光が差し込んでくる。サッシ窓の鍵をはずして大きく開いた。さらに雨戸を開け放ったら、明るい朝の光が部屋に広がってきた。五月に入ってからというもの、日の出の時間がすっかり早くなっていた。十二月ごろなどは、試合が終わっても、まだ夜が明けなかった。
 今日もまたいい天気なようだ。もっとも、家から一歩も出ないおれにとっては、あまり関係のない話だったが。 レースのカーテンだけを閉めて、部屋の明かりを消した。それでも、部屋の中は十分に明るかった。
 これからのハーフタイムの間に、やるべき事がある。毎朝の習慣にしている筋トレとストレッチだ。
 なにしろ、ただでさえ四畳半の狭い部屋だ。リクライニングチェアーに、パソコンデスク、テレビとオーディオシステムを載せたラックなどまであるから、それだけでいっぱいだった。
そのままでは、運動をするスペースがない。おれはリクライニングチェアーを端に寄せて、部屋の中央にようやく一畳分ぐらいのスペースを確保した。
 そこに、両足を肩幅に開いて立つ。
「いーち」
 左足を大きく踏み出して腰を沈めた。
「にーい」
 踏み出す足を代えて、また深々と腰を沈める。
「さーん」
 こうして、筋トレの第一種目が始まった。
 筋トレは六種目を一日三セット。ストレッチも六種目を同じく三セット。これでも、けっこう健康には気を付けている。
「にーじゅう」
 筋トレの一種目が終わった。おれは、すぐに次の種目に取りかかった。

 一日中、家にいて一番困ることは、運動不足になる事だ。なにしろ、一歩も外に出ないのだから、運動をする機会は限られてしまう。
 おれは雅子に頼んで、食事の量を減らしてもらっていた。
雅子はおれの朝食と夕食はカロリー計算して、決まった量をおぼんにのせている。その限られた物を食べるだけだから食べ過ぎる心配はない。
問題は昼食だ。雅子がパートで家にいないので、自分で用意する事になる。ついつい誘惑に負けて食べ過ぎてしまう事が多い。これでは、いくら朝晩の食事制限をしても、体重は確実に増えていく。
現に、おれも、引きこもりを始めてからの一ヶ月で、三キロも体重を増やしてしまった。
(これは、いかん)
と思い、家の中で運動を始める事にした。
 毎日やっている筋トレとストレッチも、その一環だ。これらは、筋肉を増やして、基礎代謝量を増やすのを目的にしている。前に会社の健康診断の時に貰った小冊子に、やり方がのっていた。それから、昼食をカップ麺だけで我慢する事にした。これならば、カロリー数が、カップの外側に表示されているので安心だ。間食は一切禁止にした。それまでは、ついついポテトチップスやおせんべいなどを、テレビを見ながら食べていた。これらのカロリーも馬鹿にできない。飲み物も、ダイエットコークやウーロン茶などのノンカロリーのものに変える事にした。
 もちろん、筋トレやストレッチだけでは、十分にエネルギーを消費できない。といっても、家には、エアロバイクなどの健康器具はなかった。だいいち、今の四畳半には、それらを置く場所もない。
(どうしようか?)
 その時、会社に行っていた頃に、健康診断で聞いた話を思い出した。
(継続してカロリーを消費するためには、ウォーキングが一番効果的)
 たしか看護師さんは、そう言っていたはずだ。
 ところが、引きこもるようになってから、ぜんぜん歩かなくなっている。歩数は、きっと一日千歩以下になっていることだろう。
そこで、おれは、まず腰に万歩計を付ける事にした。これも、その健康診断の時に貰った奴だった。一万歩を歩くのを、一日のノルマにした。誰もいない時には、スポーツ中継の合間に、家中を勢いよく歩き回ることにした。
 平日はいい。日中は家族がいないから、歩き回れる時間がたくさん取れる。困るのは週末だ。家族全員が外出した頃を見計らって歩いているが、それだけではとても足りない。四畳半の部屋にいたまま、画面を眼で追いつつ、テレビの前を前後に歩いたりして、歩数の不足を補っていた。
 こうした地道な努力のおかげか、体重は七十キロ前後で横這いを続けるようになっていた。おれの身長は百七十四センチなので、標準体重は六十七キロぐらいだったから、まあまあというところだ。

 チャンピオンズリーグの試合が終わった。結局、ホームチームのリヴァプールが2対1で勝った。地元、アンフィールドに詰めかけた観客の熱烈な応援が、実力差をひっくり返して見せたのだ。もともとイングランドチームびいきで特にリヴァプールが好きなおれとしては、かなりうれしい。画面の中のアンフィールド・スタジアムでは、リヴァプールのサポーターの応援歌である「ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン」の合唱が響き渡っている。
 でも、チャンピオンズリーグの決勝トーナメントは、決勝戦以外はホームアンドアウェイの二試合制で行われる。まだやっと半分終わったばかりだ。ユベントスのホームゲームでの巻き返しが怖い。
 時計を見ると、五時四十分。そろそろ、雅子が起きだしてくる時刻だ。
 と、思っていたら、
「おはよう」
 さっそく、ふすま越しに雅子の声が聞こえてきた。
「おはよう」
 おれもふすま越しに返事をする。
 二人の会話はそれきりだ。雅子は、ふすまを開けてこちらへは入ってこない。雅子だけではない。家族の誰もが、この部屋には入ってはいけないことになっている。
逆に、おれはこの部屋を出ない。といっても、トイレとか風呂とか、どうしても出なければならないことがある。それらは、誰もいない時にすませるようにしていた。
 雅子が、居間の雨戸を開ける音が聞こえた。急に、ふすまの向こうが活気づいてくる。これから、雅子は朝食を用意して、二人の息子たちを学校に送り出さなければならない。いつもの忙しい朝が始まるのだ。

 サッカーの放送が終わったので、おれはリモコンを操作して、テレビをNHKのBS放送に切り替えた。
メジャーリーグベースボールの、ヤンキース対レッドソックスの試合は、すでに始まっていた。
「おはよう」
 次に声をかけてきたのは、上の息子、正樹だ。
「おはよう」
 おれも返事をする。
 正樹は、私立大学の付属高校の二年生。学校まで一時間半もかかるので、七時前には家を出なければならない。
 ふすまのむこうで、正樹が着替えている音が聞こえる。
「朝ごはんは?」
 雅子が聞いている。
「トーストにして」
 正樹が答えている。台所の方では、何かを炒めている音がしていた。
 そんなやりとりを、おれはふすまのこちら側からじっと聞いている。もう何ヶ月も、おれは家族の顔を見たことがなかった。
 やがて、正樹のたてる物音が遠ざかっていった。洗面所の方へ行ったようだ。
「行ってきます」
 しばらくして、正樹がまた声をかけてきた。すばやく身仕度を整えて、朝食も食べ終わったのだろう。
「行ってらっしゃい」
 おれも返事をする。
 玄関のドアを開ける音がする。
「行ってらっしゃーい!」
 雅子が、玄関で見送っているようだ。
 ババババッー。
 やがて、単車の排気音が聞こえてくる。正樹は 最寄りの駅まで原付きバイクで出ていた。
 おととし、正樹が高校受験のとき、おれは、すでに今の「引きこもり」状態だった。そのため、正樹は、志望校をお金のかからない公立高校に変えるといってくれた。
 でも、おれは、無理にすすめて今の学校を受けさせた。この学校ならば、大学までエスカレーター式で行けるので安心だった。
 正直いって、正樹が大学受験のころ、自分がどういう状態にいるのか、自信が持てなかった。せめて、上の子だけでも、行き先が決まって安心したかったのだ。
 正樹が無事に合格した時、久しぶりに心から喜んでいる自分を見つけられた。

「おはよう」
 しばらくして、もっと小さな声がした。
下の子の芳樹だ。
「おはよう」
 おれも返事した。
 芳樹は、正樹と二つ違いの中学三年生。地元の公立中学に通っている。正樹も通っていた学校だ。学校までは、歩いて二十分ぐらいだから、八時すぎに出ればじゅうぶん間に合う。
 最近、芳樹は、いつもぎりぎりまで寝ているようになっていた。
前は、もっと早くに出かけていたような気がする。たしか、野球部の朝練があったはずだ。正樹と同じくらいには出かけていっていた。
(朝練は、最近はやらなくなったのかなあ)
 おれは、テレビのメジャーリーグの試合を見ながら、ぼんやり考えていた。
「朝ごはんは?」
 雅子の声が聞こえる。
「いらない」
 芳樹が小さな声で答えていた。

「行ってきます」
 すぐに、また芳樹の声がした。朝食を食べなかったせいか、あっという間だった。
「行ってらっしゃい」
そう答えながら、
(朝食を食べなくて、給食までもつのかな?)
 と、心配になる。食べ盛りだった自分の中学時代を思い起こすと、朝食を食べないなんてとても信じられなかった。
あのころは、おれはいつも家族の二倍ぐらいは食べていた。外で食べたり出前を取ったりする時も、キツネうどんとカレー南蛮とか、ラーメンにチャーハンといった具合に二人前は頼んでいた。
芳樹も、おれが引きこもる前までは、家族でラーメン屋に行ったときには、メインのラーメン類以外にミニチャーシュー丼とか半チャーハンに餃子の付いたセットを食べていた。牛丼屋やハンバーガーショップに行った時も、メガサイズの物を選んでいた。
もっとも、こんなささいなことが気になるのは、おれの病気のせいかもしれなかった。うつ病の症状の一つに、小さなことがらが頭から離れないというのがある。
おれは冷蔵庫からミネラルウォーターを出すと、そんな時に効果があるルポックスという薬を飲んだ。もっとも飲んだらすぐ効くって物ではなかったが、飲んだという事実が安心感を生むのだ。一種のプラセボ(偽薬)効果かもしれない。

 しばらくして、
「行ってきます」
 ふすまの向こうから、今度は雅子の声がした。
「いってらっしゃい」
 おれも返事をする。
 雅子は、月曜日から金曜日まで、パートに出ている。家庭用品メーカーの発送センターで、商品の仕分けの仕事をしていた。雅子がパートをするようになったのは、おれが引きこもりを始めてからだ。彼女なりに、将来の生活に不安を感じたからかもしれない。
今、おれは病気休職中なので、健康保険組合から傷病手当金が出ていて、給与の85%が保障されていた。それに賞与の時には、会社から見舞金として給与の一カ月半分が支給されている。これは、よその会社に比べれば、かなり手厚い待遇だ。
だから、当面の生活の心配はないはずだった。おそらく、雅子はおれの病気が長引いて、三年の休職期間を過ぎてしまう可能性も考えているのだろう。
それに、もしかすると、部屋に閉じこもったままのおれと、二人で家にいるのが気づまりだったせいもあるかもしれない。家の中にじっとしている人間がいるのでは、雅子も気が休まる暇がないだろう。なにしろおれは姿を見せない透明人間のようなものだったからだ。
 でも、雅子の不在はおれにとっても好都合だった。風呂やトイレなど、どうしてもしなければならないことをすませる時間が与えられたからだ。

雅子とおれは、職場結婚だ。同期入社で、配属先も一緒だった。入社して三年目から付き合いだして、翌年に結婚した。仲人は、おれの大学の先輩でもある事業部長がやってくれた。
雅子はおれと結婚してからも、しばらくは同じ会社で働いていた。会社は外資系で給料も良かったし、あわててやめる理由は特になかった。
毎朝、おれと一緒に車で通勤し、彼女はほとんど定時に帰れるので、先に電車で家に帰って、夕食のしたくをして待っていてくれていた。
おれは八時か九時ごろまで残業して、車で家に戻った。それから、二人での遅い夕食を取った。
雅子も残業の時には、帰る時間を合わせて、帰宅途中の店で外食をした。
フランス料理、イタリア料理、中華料理、……。
いわゆるDINKS(Double Income No KidS)というやつで、二馬力で働いていたし子どももいなかったので、けっこうぜいたくをしていたかもしれない。
そんな雅子が会社を辞めたのは、結婚して四年たっても子どもができなかったからだ。どうしても子どもが欲しかった二人は、相談の結果、雅子が会社を辞めて不妊の治療に専念することになった。
二年間の苦しい治療の末に、ようやく正樹を授かった。そのとき、どんなに二人が喜んだか知れなかった。
二年後には、芳樹がこれはまたあっさりと自然に授かって、今の四人家族ができあがった。
芳樹が生まれてからも、雅子は専業主婦を続けていた。

 雅子も出かけたので、ようやく家にはおれ一人きりになった。これからは、部屋を出て家内を自由に歩き回ることができる。
 六回のヤンキースの攻撃は、四番バッターのタイムリーヒットで2点追加点が入った。
6対3。ヤンキースのリードは3点になった。
 イニングの終わりに、さっきから我慢していたトイレに急いで行く。朝刊を片手に便器に腰を下ろすと、ホッとした気分になった。
急いで、テレビ欄に目を通す。もちろん、今日のスポーツ番組をチェックするためだ。
残念ながら地上波には生中継のスポーツ番組はない。BSデジタルには巨人のプロ野球の放送はあるが、これはDAZNで試合開始から終了まで見られるので、そっちを見ることになるだろう。
トイレでゆっくりと新聞を読んでいる暇はない。イニングの間は、二分ぐらいしかないのだ。他の面は、各イニング間に細切れに読むことになる。
 急いでトイレをすませると、新聞を持って部屋に小走りに戻った。
画面では、ちょうどレッドソックスの選手が、バッターボックスに入るところだった。ぎりぎりセーフってところだ。
(できるだけすべての場面をしっかりと見る)
これも、おれのリアルタイム・ウォッチャーとしてのポリシーだった。

 ふすまの外には、朝食をのせたおぼんが置かれていた。トーストの厚切りが一枚、目玉焼き、ハムとサラダのお皿。トーストも目玉焼きももう冷めているが、すでに起きてから五時間もたって空腹なおれにはあまり気にならない。
おぼんには、グレープフルーツジュースとミルクがそれぞれ入ったコップも並んでいる。グレープフルーツは脳梗塞の、ミルクは認知症の予防にいいというので、毎日飲むことにしていた。
 でも、これらを食べるのは、このイニングが終わってからだった。
 食べ物を見たせいか、おなかが文字通りグーグー鳴っている。
 やっとイニングが終わった。レッドソックスは、ツーアウトからランナーを出したものの無得点に終わった。相変わらずヤンキースが3点リードしている。
(やれやれ、ようやく朝ごはんを食べることができる)
 まず、グレープフルーツジュースを一口飲む。スーッと冷たい刺激が食道を通って、胃にまで下りていく。猛烈に食欲が刺激される。
 トーストにガブリとかぶりつく。ナイフでハムを切り、ホークで口に放り込む。ドレッシングのかかったサラダのキュウリとレタスを、バリバリと噛み砕く。今度は、ミルクをグビリと飲んだ。
(あっ、試合が始まってしまった)
 残念ながら、目玉焼きはヤンキースの攻撃が終わるまでお預けだ。食べながらテレビを見ないことも、試合を見ることに集中力を高めるために行う「リアルタイム・ウォッチャー」のポリシーの一つだった。

 昼近くになって、ようやくヤンキースとレッドソックスの試合が終わった。7対6で、ヤンキースが辛くも逃げ切った。ヤンキースのクローザー(おさえピッチャー)の投球は、今日もさえわたっていた。
 おれは、テレビをインターネットアプリの選択画面に切り替えると、スポーツ配信サービスの楽天NBAに切り換えた。
次は、NBAのバスケットボールの試合だ。今日は、応援しているボストン・セルティックスの中継があるので、楽しみにしていた。
 中継はすでに始まっていたが、試合開始までにはまだ間が合った。画面では、両チームの選手紹介が行われている。まずアウェーチームから紹介される。今日の対戦相手は、サンアントニオ・スパーズだ。いつもながら敵側のチーム紹介は、あっけないほどあっさりしている。アメリカに限らず、さっきのイングランドのサッカーでも、日本とは違って応援はホームチームに極端にかたよっている。
(日本のファンは、つくづく敵チームにも公平なんだよなあ)
と、いつも思ってしまう。
でも、その影響は絶大で、一般にホームでの成績はアウェーよりもはるかにいい。
 場内の照明が消された。いよいよホームチームの選手紹介だ。
 ウオオオオー!
アップテンポの音楽とともに、耳をつんざくような歓声が湧き上がってくる。場内アナウンサーが大げさな口調で、先発メンバーを一人一人紹介していく。
(試合が始まらないうちに、昼食を食べてしまおう)
と、おれは台所へ行った。
 最近の昼食は、ほとんどカップ麺か冷凍食品だ。短い時間に用意をして食べ終えてしまうには、これが一番面倒がない。
 おれが飽きてしまわないように、雅子はいろいろなタイプのカップ麺や冷凍食品を買い揃えてくれている。
 醤油ラーメン、味噌ラーメン、汁なしタンタン麺、焼きそば、スパゲッティ・ナポリタン、……。
 それに、駅前のショッピングセンターにあるエスニックフーズの店で、変わった物を買ってもらっておいてある。マレーシア風焼きそばのミーゴレン。タイの有名なスープであるトムヤムクン味のヌードル。それに、いろいろなビーフンや春雨もある。
 ここのところ、おれはベトナムのフォーに凝っている。平たい米の麺に、ちょっと酸っぱい味のするスープ。付属のチリペッパーで、辛さは調整できる。
 雅子は、出かける前に、食卓の上のポットにお湯をいっぱいに入れてくれている。おれは、フォーの調味油と唐辛子のパックを抜き出した。カップに麺と粉スープとかやくを入れた。キッチンタイマーを3分に合わせてから、カップに勢い良くお湯を注いだ。白いヌードルがお湯でもどされていく。スープのうまそうな匂いが立ち込めてきた。
おれは、その間に素早く風呂場へ行く。雅子が洗っておいてくれた湯船に栓と蓋をして、お湯を溜め始める。この風呂は適当な量になったら自動的にお湯が止まって、ピーピーという電子音で知らせてくれるから便利だ。
ジリリリ……。
キッチンタイマーの音がする。フォーができたようだ。おれは風呂の支度を手早く終えて、食堂へ取って返した。

 三時すぎにNBAの試合が終わった。ボストン・セルティックスは、残念ながら負けてしまった。
アメリカ東海岸の現地時間は、夜中の十一時過ぎ。これで、アメリカのプロスポーツの時間帯は終わりだ。ヨーロッパもまだ早朝だから、ようやく一息できる。これから日本のプロ野球が始まる夕方の六時までが、一番まとまった休憩時間だった。
 おれは手早く服を脱いで、さっき沸かしておいた風呂に入った。
「あーあ」
 思わず声が出る。暖かいお湯の中で手足を伸ばすと、やはり気持ちがいい。ずっと、リクライニングチェアーにすわりっぱなしだったので、体のふしぶしがこわばってしまっている。
(エコノミー症候群にならないだろうな?)
 妙な心配が頭に浮かんできて、思わず苦笑いをした。家にこもって人目を避けている癖に、健康には人一倍気にしているなんて、やっぱりなんか変だ。
特に脳梗塞は、父が亡くなった病気なので、一番心配していた。脳梗塞の予防にいいといわれるグレープフルーツジュースを、朝食に欠かさず飲んでいるのもそのためだ。
風呂から出ると、電気カミソリでひげをそった。さらに、二種類の歯ブラシ、歯間ブラシ、それに糸ようじなどをとっかえひっかえして、時間をかけて歯もていねいにみがいたので、ようやくさっぱりとした。さばさばとした気分で、居間に戻った。

 いきなり玄関の鍵を開ける音がした。雅子がパートから帰ってきたにしては、時間が早過ぎる。いつもなら、六時過ぎにならないと戻ってこない。
(誰だろう?)
 普通に鍵を開けているのだから、泥棒ではないだろう。
 でも、今はそんなことを考えている余裕はない。おれは、あわてて自分の部屋に逃げ込んだ。
「ただいまあ」
 雅子の声が聞こえた。まさに間一髪のタイミングだった。雅子に、姿を見られることなく部屋に入れた。その一方で、やっぱり雅子だと思うと、少し拍子抜けした気分だった。
でも、雅子の声が、ちょっと疲れ気味の様なのが気にかかる。
「お帰り」
 それでも、いつものようにおれは声をかけた。そうしながら、おれは手早くパジャマを着た。まだ、下着姿のままだったのだ。そのまま、すぐに敷いておいた布団に潜り込む。これから六時までの約二時間が、おれにとっては貴重な睡眠時間だった。
「おとうさん、ちょっといい?」
 思いがけずに、ふすまの向こう側から雅子の声がした。
「うん」
 おれは、しぶしぶ布団の上で上半身を起こした。
「担任の先生の話では、……」
 雅子が、ふすま越しに話し出した。
「担任?」
 おれには、なんの事だかわからなかった。
「芳樹の担任の中尾先生よ。ほら、今日、学校へ行ってきたでしょ。先日、先生から電話をいただいて」
「あっ、そうだったっけ」
 雅子に説明されて、ようやく思い出した。
「嫌ねえ。昨日、話したじゃないの」
 雅子は、少しとがめるような声を出していた。おれはすっかり忘れていたが、今日は、雅子はパートを午後休んで、次男の芳樹が通う中学に行っていたのだった。
(そうか)
それで、帰りが早い理由がわかった。最近は、物忘れがひどくて、すぐに大事なことまで忘れてしまう。
(脳梗塞ができているんじゃないか?)
 また、不安な気持ちが起きてきた。
休職する前に受けた健康診断で嫌な話を聞いていた。最後の医師面談の時だった。
「そうですねえ。石川さんぐらいお年ですと、ほとんどの方に小さな脳梗塞ができているんですよ」
 中年の医師は、平気な顔をしてそういっていた。
「えっ!」
 父親を脳梗塞で亡くしていたおれは、びっくりしてしまった。
「いや、たいていは日常生活には差し支えはないのですよ。まあ、物忘れがひどくなったりする場合はありますけれど」
 物忘れと聞いて、おれはドキリとした。最近、忘れっぽくなったようで気にしていたのだ。
「ご心配でしたら一度、脳ドックを受けてみてはいかがですか」
医師はおれが気にしているようすなので、そうすすめてくれた。
「いえ、けっこうです」
 おれは、あわてて首を振った。本当に自分の脳梗塞が発見されたらと思うと、とても怖くて受けられないと思ったのだ。
 そういえば、職場での健康診断も、年一度受診していた人間ドックも、休職以来ぜんぜん受けていない。
(脳梗塞だけでなく、癌や動脈瘤かなんかができていたらどうしよう?)
 急激に不安な気持ちが高まってきた。おれは、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを出して、不安感を抑えるルポックスという薬を飲んだ。

「それで、どうしたんだ?」
 なんとか気持ちを取り直して、おれは雅子にたずねた。
「どうも、芳樹が、最近、学校を休みがちだっていうのよ」
 雅子は、しずんだ声でいった。
「だけど、毎日、学校に行っているんじゃないのか?」
 芳樹が学校を休んでいるとは、おれには初耳だった。
「そうなのよ。毎日、きちんと家は出ているのよ。でも、時々学校へは行っていないみたいなのよ。現に今日も学校に来ていなかったの」
 雅子は、そこで大きなため息をついた。
「いったいどういうことなんだ?」
 おれもあせって、つい声が大きくなった
「ええ。だから、学校へ行かないで、どこかへ行っているみたいなの」
「毎日サボっているのか?」
「いや、そうではないらしいの。でも、週に1、2回は必ず休んでいるのよ。」
 毎日ではないと聞いて、おれは少しホッとした。
「いつ頃から、サボる様になったんだ」
「それが、今年になってから始まって、最初はたまにだけだったんだけど、今学期になってからは毎週なんですって」
「今年になってからだって、……」
 そんなに長い間、このことを放置していた無責任な担任の教師に無性に腹が立ってきた。おれは、あわてて冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを出して、気分を落ちつけるリーゼと言う薬を飲んだ。

 芳樹が学校へ行かなくなっていると聞いて、おれは少なからず動揺していた。
二人の息子のうち、芳樹はどちらかというと手のかからない方で、今までこれといった問題は起きなかったからだ。
 芳樹は、幼稚園でも、小学校でも、常にクラスの中心だった。少年野球では、四年生の秋からレギュラーで活躍していた。六年の時には、キャプテンでエースという大役をそつなくこなしていた。そして、六年生が四人しかいない弱小チームを、なんとか県大会まで導いている。残念ながら、その頃から、おれの引きこもりが始まったので、自分の目で県大会やその予選の試合を見届けられなかった。
 でも、雅子が試合をビデオで撮ってくれたので、芳樹の活躍を見ることはできた。芳樹は、いつもチームのみんなに声をかけて、はつらつとプレーをしていた。
県大会では、優勝したチームと一回戦であたる不運もあって初戦敗退した。
でも、その試合も一点をめぐる緊迫した試合で、芳樹はピッチャーとして、一回りも体の大きな相手打線を懸命に押さえていた。試合後の芳樹は、力を出し切った清々しい顔をしていた。
 父親から見ると、芳樹は(いつもみんなに囲まれている明るい子)というイメージを持っていた。
 中学に入ってからも、雅子の話によると、正樹たち三年生が引退するとすぐに一年からレギュラーになっていた。しかも、三塁という大事なポジションを任されている。その後も、中心選手として活躍し、昨年の夏、上級生たちが部活を引退すると、当然のようにキャプテンに選ばれていた。
 それに引き替え、兄の正樹の方はいつも要領が悪く、ハラハラさせられてばかりだった。三月生まれのせいか、いつも成長が他の子よりも遅れがちだったのだ。
 雅子にいわせると、それはごく小さい頃からあったようだ。
(コップで飲み物が飲めない)
(しゃべるのが遅い)
(トイレが一人でできない)
一つ一つはささいなことかもしれないが、公園などで会うよその子たちができることがなかなかできなかったという。おれにはあまり相談はなかったが、雅子は一人で心配していたらしい。
 そういえば、幼稚園の参観日にいった時にこんなことがあった。節分の頃だったようで、クラスでは鬼の面を作っていた。
どんどんできあがっていく他の子たちの中で、正樹だけはすっかり動作が固まっていて、まるで作業が進まなかった。
(ううっ)
 思わず手を貸したくなっている自分を発見して、
(親としてのはじめての試練だなあ)
と、思ったことを覚えている。
 小学校に入ってからもそれは続いていて、三年から始めたミニバスケでも、五年生から移った少年野球でも、いつも補欠だった。
親身になって面倒を見てくれた監督やコーチのおかげで、六年になってライパチ(ライトで八番の補欠ぎりぎりのポジション)ながら、少年野球チームのレギュラーになれた時にはホッとしたものだった。

 ピピッ、ピピッ、……。
 六時五分前に、また目覚ましの電子音が鳴った。芳樹のことを考えていたので、ほとんど眠れなかった。これからは、DAZNで日本の野球中継を見なければならない。DAZNでは、日本のプロ野球のすべての試合を、開始から終了まで見られることになっている。
 おれはベッドから起き上がった。テレビのスイッチを入れて、DAZNを立ち上げた。プロ野球のメニューから、巨人対中日の試合を選んだ。おれは、特にどこのチームのファンということはなかったが、巨人ファンだった父親の影響で、なんとなく巨人戦を真っ先に見るのが習慣になっていた。最近は、地上波ではあまり巨人戦の放送もやらなくなった。視聴率が取れないのだそうだ。これも有力選手が、みんなメジャーリーグへ行ってしまって衰退している日本のプロ野球の現状のせいかもしれない。
視聴率が取れないのは、テレビでは試合の一部分しか中継しないせいかもしれないと、おれは思っている。野球の試合というのは、立ち上がりに大量点が入ってしまうこともあるし、逆に試合の終了間際に一点を争う緊迫する場面があるかもしれない。そういった一番面白いシーンを中継しないから人気がないのだ。その点、DAZNでは、試合開始から終了までをじっくり見られるので、けっこうおもしろかった。
「ただいま」
 ふすまの向こうから、芳樹の声がした。
「お帰り」
と、答えながら、雅子の話を思い出して、(芳樹は、今日はどこへ行っていたのだろう?)と、思った。
でも、あまりこの問題を深く考えると、また不安感に取り付かれてしまう。なるべくこのことは考えないようにして、野球中継に集中することにした。
このゲームが早く終わったら、すぐに別の試合に切り換える。こうして、はしごしながら最後の試合が終わるまで見続けるのだ。十時ごろになって、ようやくその日の全試合が終わる。それから、またおれは短い眠りにつく。明日も、三時半からチャンピオンズリーグを見なくてはならない。
夕飯も、おぼんにのせたまま、ふすまの外に置かれることになっている。

試合は、三回の巨人の攻撃が始まったところだった。
「おとうさん、ちょっと話があるんだけれど」
 外から、また雅子の声がかかった。
「えっ、今、ちょっと、……」
 おれが画面から目を離さずに答えると、
「芳樹のことで、相談にのってもらいたいんだけど」
「うーん」
 おれはしかたなく、テレビを消した。
「今日の先生との話を、芳樹にしたんだけど」
「うん、それで」
 だんだんイライラしてきた。おれは、あわてて気を落ち着かせるリーゼをまた飲んだ
「おとうさん、ふすまを開けられない? 芳樹も来ているから」
「えっ! それはだめだよ」
 おれは、あわてていった。
「そう。それじゃあ、このままでもいいわ」
雅子は、ため息をついていた。
こうして、ふすま越しの奇妙な家族会議が始まった。
 雅子にうながされる様にして、芳樹がポツリポツリと話し出した。
「学校へ行きたくないんだ。だから、時々、学校へ行くのを途中でやめて、他の場所へ行っていたんだ」
「他の場所ってどこへ?」
 おれがたずねると、
「秘密基地」
と、芳樹は小さな声で答えた。
「えっ、秘密基地だって。あそこはもうなくなったんじゃないのか?」
 おれは驚いていった。秘密基地というのは、芳樹たちが通っていた小学校の裏山にある作業小屋のことだ。
 芳樹が六年のころ、そこにコミックスだの、家には持って帰れないたぐいの雑誌などをため込んで、みんなでたむろしていたことがあった。
 でも、作業小屋のそばの池に子どもが落ちる事故があって、学校からそこへの立ち入りを厳重に禁止されたはずだ。たしか、作業小屋も取り壊され、裏山はぐるりを金網で囲われてしまっている。
「正確には、秘密基地跡。作業小屋のあった所には、材木なんかがそのまま残ってる」
「雨の日には、どうするんだよ。屋根がないじゃないか」
 雨に濡れてじっとすわっている芳樹の姿が目に浮かんで、おれはたまらない気持になった。
「うん、晴れた日にしか行かないから。雨の日にはしかたないから、学校へ行っている」 
「でも、金網で入れないんじゃないか」
「うん、破れてるとこ、知ってるし」
 芳樹はあっさりと答えた。
「お昼はどうしてるんだ。給食が食べられないじゃないか。朝ごはんだって食べてないのに」
 おれは、朝のことを思い出しながら言った。芳樹が腹を減らしているのじゃないかと、心配だった。
「コンビニでおにぎりやサンドイッチを買ってるから。お金がない時は、給食に間に合うように学校へ行っているし」
 芳樹がボソボソと答えた。
その後、芳樹はとぎれとぎれに、なぜ学校へ行きたくないのかを説明し出した。

話によると、クラスの人たちみんなに、芳樹はシカトされているのだという。
シカトは、はじめは野球部のメンバーから始まった。野球部の練習の時にも、キャプテンの芳樹が何か指示しても、彼らは薄ら笑いを浮かべるだけで、言うことをきかないようになったのだそうだ。
そのうちに、彼らは、芳樹を「正男」というダミーの名前で呼ぶようになっていた。他の人たちに知られないためだ。
「正男は優等生ぶっている」
「正男は生意気だ」
という風に使う訳だ。このダミーのニックネームは、野球部だけでなく、クラスなどでも公然の秘密になっていた。
どうやら、芳樹をシカトするメンバーのうちの一人が、野球部のキャプテンになりたかったみたいなのだ。彼は、小学生時代は芳樹とは別の少年野球チームでキャプテンをやっていた。それで、何かというと芳樹に逆らうようになっていたらしい。
「顧問の先生に、相談したのか?」
 おれがそういうと、
「ぜんぜんだめ。頼りにならないから」
と、芳樹はあっさりといった。今の野球部の顧問の先生は、野球に興味がないのか、本当は立ち会わなければいけないのに、野球部は芳樹にまかせっきりで、ほとんど練習に顔を見せないのだそうだ。
そうこうするうちに、芳樹に対するシカトは、野球部からクラスにも広がってしまった。同じクラスの野球部員から広まったのだ。
毎日、学校へ行っても、クラスでも部活でも、誰も口をきいてくれない。
(それは、けっこうつらいことだろうな)
と、おれは思った。自分のように自ら引きこもっているのとは違って、芳樹の方はその気があるのに、みんながコミュニケーションをしてくれないのだ。

「それで、担任の先生は、このことについて、今日は何かいっていたのか?」
 おれは、雅子に聞いてみた。
「それが、なんにもおっしゃってなかったの。ただ、芳樹が休みがちだけどどうしましたかって、逆に聞かれただけで」
「だめだよ。あの先生も頼りにならないんだ。だいいち女だし」
 芳樹が憤慨したような口調で、話に割り込んだ。
「女か男かは、関係ないよ」
と、おれは芳樹をたしなめたものの、クラスに蔓延しているらしいシカトのことをぜんぜん知らなかったとすると、担任の先生も本当に頼りにならないのかもしれない。
「誰か、頼りになる先生はいないのか?」
 おれがそういうと、
「いることはいるんだけど、……」
と、芳樹が答えた。
「誰だい?」
「小野沢先生」
「どんな先生?」
「前の野球部の顧問の先生。でも、今は教育委員会に出向しているんだ」
 芳樹は、あきらめ気味の声を出していた。
 小野沢先生ならおれも知っている。兄の正樹の時も野球部の顧問をやっていた。面倒見のいい先生で、そのころは、夏には子どもたちと一緒に学校に泊りこんで野球部の夏合宿をやってくれていた。正樹が一年生でおれが引きこもりになる前に、一度こっそり練習の様子を見に行ったことがあったが、子どもたちと先生は和気あいあいとしていて楽しそうに練習をしていた。
「なんとかならないかなあ」
 おれは、小野沢先生に力を貸してもらえないかと思っていた。
「この前、久保沢の温泉坂の所に教育相談センターって、施設ができたんだけど」
 雅子が口をはさむと、
「そう、小野沢先生はそこに出向しているんだ」
と、芳樹がいった。
「それなら、そこで小野沢先生に相談できるんじゃないか」
「そうね。私が連絡を取って、先生にお会いしてみようかな」
と、雅子がいった。
 けっきょく、家族会議の結論としては、雅子を通して小野沢先生に解決をお願いしてみることになった。
「それじゃ」
 雅子がそう言うと、
「おとうさん、ありがとう」
 芳樹が、小さな声だったけどはっきりそう言うのが聞こえた。少しホッとしている様子が、ふすまのこちら側からも察せられる。
二人はそのままふすまの向こう側から離れていったが、おれとしても、こんな変な形だが、父親としての最低限のアドバイスができたのが嬉しかった。
「おっ、いけねえ」
 野球を見るのをすっかり忘れていた。
 おれは、あわててテレビをオンにした。
巨人・中日戦は、すでに五回の中日の攻撃になっている。
(リアルタイム・ウォッチャーとしては失格だな)
と、おれは苦笑いをした。
 でも、それはそれでいいのかもしれないとも思っていた。

月に一度、おれは病院の精神科に通っている。病院へは、家に誰もいないころをみはからって、自分で車を運転して行く。そして、みんなが家に帰ってくる前に家へ戻っている。そのために、毎回午前10時に予約を入れていた。
初めのころは、病院へ行くのにも、雅子に付き添ってもらっていた。こうして一人で行けるようになったのは今年になってからだ。
 おれの病院は、会社の近くにある大学の付属病院だ。そこには、引きこもりになる三年以上前からうつ病で通っているから、足掛け六年の付き合いになる。初めのころはまた会社に行っていたので、この病院は出社前に寄れるので便利だった。
 病院に着くと、駐車場のいつも決まった位置に車を停める。ここの駐車場は、三十分以上は有料で、毎回二百円を取られてしまう。コンピューター化が進んでいて待たされることが少ない病院だが、さすがに、受付、診療、会計、薬の受け取りのすべてを三十分以内に行うことはできない。たった二百円とはいえ、いつも金を出口のゲートの機械に払う時には、なんだか損したような微妙な気分になる。精神科の支払いは毎回四千円以上もかかっているのだから、二百円なんて誤差範囲だ。それでも気にかかるのは、これも病気のせいなのかもしれない。もっとも、五時間を過ぎるとさらに料金が加算されるようだったが、そこまで長居をしたことは一度もない。
 入り口前の案内所の女性に軽く会釈して、再診の方の自動ドアを通り抜ける。そこには、自動の再診受け付け機がズラリと並んでいる。診察カードを差し込むと、今日の予約券が打ち出されてくる。
それを持って、エスカレーターで一階へ降りて、5番の窓口に向かう。この病院は、丘の斜面に建っているので、入り口が二階になっている。5番の窓口は、精神科と心療内科の受け付けだ。

「おはようございます」
 おれが保険証と予約券を差し出すと、
「それでは、中の待合室でお待ちください」
と、精神科の受け付けの女性が笑顔でいってくれる。
 待合室に入ると、ソファーには先客が五人すわっていた。いつも予約時間が同じせいか、どれも見知った顔だった。おれは軽く会釈して、ソファーの一番診察室よりに腰を下ろした。
「……」
 いつもの様に、誰からも反応がない。病気が病気のせいか、他の科の待合室のようにお互いに話しかけたりはしないのだ。先客は五人いたが、実際の患者は三人なのも知っている。六十前後の眼鏡をかけた男の人には、いつも奥さんらしい初老の女性と、三十ぐらいのおそらく娘と思われる女性が付き添っている。いつでも三人で楽しそうに話しているので、ついこの人のどこが病気なのかと思ってしまう。特に、派手に着飾った娘さんがびっくりするくらい陽気な調子で話しかけると、患者の男性は笑顔で答えているのだ。とても、付き添いが必要な精神科の病人には見えない。
「村田さん、どうぞ」
 ちょうどその男性が先生に呼ばれた。
「はい」
 村田さんは元気に返事をすると、女性たちに囲まれて診察室に入っていった。後には、スマホをいじっている若い女と、陰気な顔をした三十ぐらいの男と、おれとが残った。
おれはバッグから文庫本を取り出すと、いつものように読み始めた。

「石川さん、どうぞ」 
 二十分ほどして、ようやくおれの順番がきた。
 主治医の先生は、この六年間で、転勤などで二回替わり、今の佐藤先生は三人目だった。
「お変わりありませんか?」
 先生は、響きのある低い声で尋ねた。きれいに整えられた髪、落ち着いた物腰、穏やかな笑顔、そして、魅力的な低音。これらは、精神科の先生には、必須な要素なのかもしれない。前の二人の先生も、同じような特長を備えていた。患者を安心させ、心を開かせる。そのために、これらが役立っているに違いない。
そういえば、キリスト教の牧師や仏教の僧侶も、低く響きのある声の人が多い。賛美歌やお経で鍛えているせいだろうか。いつだったか、部下の女性の結婚式に出席した時、説教する牧師さんの素晴らしく響きのある声に聞きほれたことがあった。
「変わりありません」
 おれも、先生をまねて低い声で答えた。
「お薬は飲んでいますか?」
「はい。毎日、きちんと飲んでいます」
「じゃあ、いつも通りに薬を出しておきましょう」
 先生は、パソコンに何か指示を入力している。
いつもだと、先生は、おれのふだんの様子について、もう二、三、質問した後、
「次は、また一カ月後でいいですか?」
といって、診察を締めくくる。
 それが、今日はふと思いついて、先日のふすま越しの奇妙な家族会議について、先生に話してみたのだ。
 先生はじっとおれの話に耳を傾けた後で、明るい笑顔を浮かべると、
「それはいい。すごくいいですよ、石川さん。自分の事だけでなく、外部の事に関心を持つのをいい兆候です」
「そうですかねえ」
 今思い返してみると、自分でも変な状況だったのだ。
 しかし、先生はおれを励ましながら、最後にこう言った。
「どうも、今年になってから、徐々に状態が良くなっているようですよ。このまま続けば、やがて会社に復職できるようになるかもしれませんね」
「いやあ、まだ無理ですよ」
 おれはあわてて答えた。
「もちろん、今すぐって事ではないですよ。もちろん今回はまだ復職は無理だと、診断しておきますから」
 先生は、おれを安心させるためにそう付け加えた。
「それでお願いします」
 これだけのことでもかなり緊張し始めていたおれは、ホッとして答えた。
「それでは、お大事に」
 先生は、おれの方に向き直って笑顔を見せた。
「ありがとうございました」
 おれも笑顔を返して、診察室を後にした。

 最近、病院に行った帰りには、いつも同じラーメン屋に寄ることにしている。
去年までは、病院が終わると、どこへも寄らずに、まっしぐらに家に帰ったものだった。それが、どういうはずみか、ある時このラーメン屋に昼食をしに立ち寄ったのだ。もしかすると、病院が混んでいて遅くなり、空腹に耐えかねたのかもしれない。
そして、それ以来、病院以外にはおれが外部で行く唯一の場所になっている。病院と家のちょうど中間ぐらいにあって、昼食を食べるのに都合がよかったのも、その理由の一つかもしれない。
  このラーメン屋は、一見するとイタリアンレストランかと思える様な、おしゃれな造りになっている。
 車を道路からラーメン屋の敷地に入れると、広い駐車場はほぼ満車の状態だった。第二駐車場の案内看板が見える。なかなか繁盛しているようだ。ファミリー客から、近くの現場で働いている労働者まで、客層も広かった。
店の中も、ゆったりしたテーブル席やファミレスのようなボックス席が並んでいて、とてもラーメン屋とは思えない。
「らっしゃい」
「いらっしゃい」
 きびきびと働いている店員たちから、元気な声が飛ぶ。
 みんなそろいの作務衣のようなユニフォームを着て、一様に色とりどりのバンダナで頭をおおっている。
「何名様ですか?」
 若い女性の店員に聞かれた。
 おれは黙って、指を一本立てた。
「カウンターでよろしいですか?」
 おれがうなずくと、オープンキッチンに面している半円型のカウンター席に案内された。
ここでの月一回の外食に、おれはいつも同じ物を食べることにしている。
おれは、メニューも見ずにすぐに店員に手招きした。
「シンシン麺をひとつ」
辛辛麺というのは、肉味噌入りのすごく辛いラーメンだ。他の店で坦坦麺と呼ばれている物に似ている。辛いスープにたっぷりのひき肉が入っている。ただ、スープの辛さが半端でなく、残さずに飲み干すと、全身から汗が吹き出てくる。それが気持ち良くて、いつも食べているのだ。
辛辛麺を食べると、口、食道、胃、それに数時間後には肛門までがヒリヒリする。
(体によくないかな?)と、思うけれども、すっかり病み付きになっていた。
 今日も、汗びっしょりで、口の中や唇をヒリヒリさせながら辛辛麺を食べ終えると、おれは店員にもう一度手招きした。
「杏仁豆腐をひとつ」
 これをオーダーするのも、毎回同じだ。
 作り置きしてあるのか、すぐに杏仁豆腐が届く。一口スプーンですくって食べる。辛辛麺で辛くなった口の中に、甘酸っぱい杏仁豆腐の味が広がる。最高にうまい。
 辛辛麺が八百八十円で、杏仁豆腐はたったの百円。合計九百八十円の至福の時。スポーツ配信サービスや、CSやBSの有料放送以外にほとんど金を使わないおれの、月に一度の「贅沢」だった。

 おれは、会社にはまだ籍を置いていた。
引きこもりが始まった当初は、有給休暇を使っていた。おれは、あまり休暇を消化する方じゃなかったので、たっぷり二ヶ月分は残っていた。
それがなくなると、病院で診断書を出してもらって、病気休暇扱いになった。これも、有給休暇と同様に、百パーセント給与は保障されている。病気休暇は、二十日分は取れることになっていた。
 しかし、それも使い切って、とうとう無給休暇になってしまった。これは欠勤と違って人事考課には響かないことになっているが、その分は給料がカットされてしまう。
そして、その十日間も終わって、とうとう欠勤扱いになってしまった。欠勤は特に期間があるわけではないが、収入の道は完全に立たれている訳だ。もちろん、いつまでも欠勤を続けている訳にもいかない。
 その後、会社と話し合いが持たれた。直属の上司だけでなく、人事だの、健康保険組合だのの担当者も、話し合いに加わった。
そして、おれはとうとう休職ということになった。
期間は最長三年間。初めの二年半は健康保険組合が基本給の85パーセント、その後の半年間は会社が基本給の80パーセントを、保障してくれる。賞与は出なかったが、代わりに見舞金として基本給の1カ月半に相当するものが、賞与支給時期にもらえた。これなら、一応、生活水準をそれほど落とさないでもやっていかれる。他の会社に比べれば、かなり恵まれた環境だろう。
 しかし、それから、あっという間に二年がたってしまった。休職の期限も、いよいよ後一年に迫っていた。それが過ぎても復職できなければ、休職期間満了で自動的にクビになってしまう。

 毎月、病院に行った翌日に、会社に電話している。おれ担当の健康相談室の女性と話すためだ。
「おかげんはいかがですか?」
 彼女の口振りは、いつもていねいだ。
「あまり変わりはありません」
 おれが答える。
「復職はどうなさいますか?」
 これは、彼女が毎月必ず確認しなければならないことだ。
「ちょっとまだ無理だと思います」
 これも毎月のおれの答えだ。
「そうですか。それでは、休職の更新願いを郵送してください」
「はい」
これもいつもどおり。
「それではお大事に」
 ここで、気のせいか、彼女はホッとしたような声を出す。
 月一回のおれからの電話。おればかりでなく、彼女にとってもけっこう負担になっているのだろう。早く電話を切りたい様子がこちらからも分かる。
 いつもだったら、おれの方でも、ホッとして受話器を下ろす。こうして、一ヶ月に一度のノルマが無事終了するわけだ。病院に行って先生と話し、電話で会社の人と話す。これだけでも、今のおれにとっては相当にエネルギーを要する。この後、二、三日はうつな気分がいつもより強くなる気がしていた。
 しかし、今日は違った。その後におれはこう続けたのだった。
「あのお、…」
「はい?」
「すぐに復職は無理なのですが、少し状態が上向いてきた気がするので、念のため復職プロセスを確認してみたいのですが、…」
 思わず、そう言っていた。昨日の先生の言葉が頭に残っていたせいかもしれない。
「そうですか。それは良かったですねえ」
 こころなしか、彼女の声も明るくなったようだ。そして、それに続けて、復職プロセスについての資料を見られる社内サイトへ入るためのおれのIDを設定してくれた。

健康相談室との電話を切った後で、おれはさっそく会社の社内用ネットワークを立ち上げた。
この前、ここに入ったのは、休職のプロセスを確認する時だったから、二年以上前だ。
健康相談室の人が教えてくれたIDコードを使って、復職プロセスの資料にアクセスした。
けっこう、長い資料だ。
おれはその場で読まずに、ダウンロードして家のプリンタで印刷した。
資料によると、復職プロセススタートの大前提は、主治医による復職OKの診断書だ。
これがあって初めて、上司や人事や健康相談室の担当者と面談して、会社の復職プロセスに入れる。
おれ自身も、そのことにはまったく異存はない。主治医の佐藤先生の判断は、完全に信頼している。
ただ、ひとつだけ、先生には内緒にしていることがある。
リアルタイム・ウォッチャーのことだ。
きっとこのことを打ち明けたら、復職OKの診断書は書いてくれないだろう。それをどうするかが、ネックになってくる。
復職プロセスの次の段階は、自分の生活状況の定期報告だ。
エクセルで作られた生活管理票というのを毎日つけて、毎週健康相談室へメールの添付ファイルにして送らねばならない。
生活管理票というのは、毎日何をやっているかを、30分ごとに記録するものだ。
睡眠、運動、食事、家事、読書、娯楽などが色分けされていて、運動や家事や娯楽などは具体的に何をやったかの内容も記入しなければならない。
このプロセスが三週間続く。
これを、健康相談室の担当者と産業医の先生がチェックするのだ。生活状況が問題ないと判断して初めて、次のステップに入れる。
きっとおれだけでなく、休職者は生活のリズムを崩しがちなのだろう。復職できるかどうかは、生活リズムが一番大事なようだ。たしかに、毎日会社に行って決められた勤務時間をこなさなければならない。病気をする前はぜんぜん意識したことがなかったが、不規則な生活をしている今のおれにはちゃんとできるかどうか、まるで自信がない。
生活管理票は自己申告制なので、もちろん嘘も書けるわけだが、そんなことをすれば、産業医が正しく判断できなくて、後で自分の首を絞めることになるだろう。
(正直に申告しよう)
 おれはそう思った。
 復職に必要な生活リズムを取り戻せなければ、仮に復職しても実際には職場で通用しないだろう。

(リアルタイム・ウォッチャーは卒業しなくてはな)
 おれは思わず苦笑いした。
 今までの自分の生活を変則的にではあるが支えてくれていた「リアルタイム・ウォッチャー」が、今度は復職に対するネックになっている。
 今のある意味規則正しい生活を、全く別のサラリーマンの規則正しい生活に、作り変えていかなければならない。
 これも復職プロセスに乗るためには、仕方のないことなのだ。
 実際、この段階は、長い復職プロセスでは、ほんの序の口なのだ。
 これをクリアしても、主治医との面談、人事との面談、上司との面談と、関門はまだまだ続くのだ。
 「面談」と言葉はマイルドだが、実際は「面接試験」なのだ。
 それぞれの「面談」をクリアしなければならないからだ。
 言ってみれば、おれは、ふたたび就職試験を受けているようなものなのだ。
 そして、それらすべてをクリアしても、まだ本当に復職したことにはならないのだ。
 短縮時間勤務も含めて、最初の三か月は試用期間なのだ。
 その期間に、就こうとしている職務が十分にこなせるだけのパフォーマンスを見せないと、失格になってまた休職に後戻りしなくてはならなくなる。
 そして、その間も休職期間とカウントされているので、三年の期限が来たら、休職期間満了の退職という名のクビになってしまうのだ。 
 しかも、その場合は自己都合での退職なので、退職金も会社都合と違って割増はないし、失業保険を貰える期間も短かった。
(まあ、その時は、その時だ。ハローワークに通って、本格的な就職活動をしよう)
 なんだか、腹をくくった気分だった。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« トータル・リコール | トップ | 少女小説の行方 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

作品」カテゴリの最新記事