現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

送りバント

2021-05-03 18:17:32 | 作品

 

「今から、明日のオーダーを発表する」
 監督はノートに書かれたメンバー表を、ゆっくりと読み上げ始めた。
 ヤングリーブスのメンバーは、そのまわりに円陣をつくってこしをおろしている。
 土曜日の練習後のミーティング。いよいよ明日から、市の少年野球大会、春季トーナメントが始まる。
「1番、センター、本田」
「はい」
 名前を呼ばれたものは、返事をしながら立ち上がった。
「2番、ショート、……」
 次々に、名前が呼び上げられていく。
「9番、セカンド 大林」
「はい」
「以上のメンバーでいく」
 メンバー表を読み終わると、監督はグルリとみんなの顔を見まわした。
 レギュラーに選ばれた選手たちは、無言で小さくうなずいている。他のみんなも、明日からの公式試合にむけての、緊張感が高まってきていた。
 その中で、石川恭司(きょうじ)だけは、自分のまわりがポッカリと、その雰囲気から取り残されてしまったように感じていた。
 発表された先発メンバーの中に、恭司の名前はなかった。

「バーイ」
「バイバイ」
 小栗公園の横で、いつものようにみんなと別れた。
 家までの坂道をひとりで自転車を押しながらのぼっていったとき、レギュラーに選ばれなかった悔しさが、じわじわと胸の中にひろがってきた。
(やっぱりだめだったか)
 レギュラーに選ばれなかったのは、意外でもなんでもなかった。内心、恭司自身も無理じゃないかとは思っていたのだ。
 しかし、こうしてはっきりとレギュラーをはずされてみると、あらためて悔しさがわいてきていた。
 今年のヤングリーブスのAチームは、恭司たち六年生八人と、五年生十人の合計十八人から、構成されている。
公平にみれば、恭司の実力はチームで十二、三番手だ。
 練習試合とは違って、一度負けてしまえばそれっきりのトーナメント。ベストメンバーでのぞまなければならない。監督が選んだ先発メンバーは、実力どおりの妥当な顔ぶれになっている。
 実力があれば、六年生だろうが、五年生だろうが、区別せずに選ばれなければならない。
たとえ、それが結果として、六年生の中で恭司だけが補欠になったとしても。

「おにいちゃん、どうだった?」
 家に帰ると、妹の恵美が玄関まで出てきてたずねた。今日、公式戦のレギュラーが発表されることは、かあさんや恵美も知っている。
 恭司は何もいわずに、恵美の頭にポンとグローブをかぶせると、いつものように風呂場に直行した。
 ザーッ。
 熱いシャワーを頭からあびていると、また悔しさがこみあげてくる。
 三月にシーズンが始まってから、監督はレギュラーを決めるために、毎週少しずつメンバーを変えて練習試合をおこなっていた。
 初めのうちは、恭司も先発メンバーに加わることが多かった。
 しかし、いつもきまって「ライパチ」。守備がライトで、打順は八番だった。少年野球では、九人のメンバーの中で、いちばんへたな子がやるポジションだ。つまり、補欠ぎりぎりの九番目のレギュラーポジションということになる。
 練習試合での成績も、パッとしなかった。ヒットはほとんど打てなかったし、大きなエラーをして相手チームに得点されてしまったこともある。
そのため、しだいに途中で代打を出されたり、先発メンバーからはずされたりするようになっていた。
 監督の信頼を回復しようと恭司はがんばっていたのだが、とうとうこれといった活躍ができないまま公式戦の日をむかえてしまった。

 恭司はシャワーをあびおわって、風呂場から洗面所へ出ていった。
 バスタオルで、ゴシゴシと荒っぽく頭をふいた。ついでにいつのまにかにじんでいた悔し涙もぬぐったので、少しさっぱりとした気分になれた。
「はい、着替え」
 かあさんが、シャツとパンツを持ってきてくれた。恭司は、だまってそれに着替えた。
「あした、応援にいってもいい?」
 かあさんが、えんりょがちにいった。
「えっ。うん、いいよ」
 恭司は、平静をよそおって答えた。
「あたしもいっていい?」
 恵美も、洗面所に顔を出した。
「いいよ」
 恭司は、恵美にバスタオルをほうった。
 かあさんも恵美も、それ以上、恭司がレギュラーに選ばれたかどうかはたずねなかった。恭司はホッとした気分で洗面所を出た。

「それじゃあ、試合開始します」
 主審の合図のもと、
「お願いしまーす」
と、両軍は大きな声であいさつした。
 一回戦の相手は、キングドラゴンズ。市内でも指折りの強豪チームだ。
 先攻はヤングリーブスなので、恭司はすぐに三塁側のコーチスボックスへ走っていった。監督から、走塁コーチをやるように指示されていたのだ。
 三塁側の走塁コーチは、二塁から走ってくるランナーをそのままホームへつっこませるか、それとも三塁でストップさせるかを指示する重要な役目だ。
 でも、逆にここに立っていると、試合に出ないということがひとめでわかってしまうことにもなる。
 両軍のベンチ裏には、メンバーの家族を中心にした応援がきていた。一塁側のヤングリーブスには、恭司のかあさんと恵美、それにめずらしくとうさんまでがきている。とうさんは、ビデオカメラをこちらへむけていた。
「プレイボール」
 いよいよ試合が始まった。
「バッチ(バッターのこと)、しっかり打っていこうぜ」
 恭司はビデオカメラに気づかないふりをして、バッターへ声援をおくりはじめた。

 試合は、最初から相手チームのペースですすんでいた。キングドラゴンズは毎回のようにランナーを出して、着々と得点を重ねている。
 いっぽう、ヤングリーブスの方は、相手ピッチャーに完全におさえられていた。コーチスボックスからはそれほど速くは見えないのだが、手元にきてのびているのか、からぶりやポップフライがめだっている。
「恭司、ピンチヒッターだ」
 コーチスボックスにいる恭司にむかって、監督が大声でさけんだ。
 恭司は、あわててベンチへかけもどった。
 ヘルメットをかぶり、滑り止めをつけてから金属バットをにぎる。
 最終回もすでにツーアウト。得点は二対七と五点もリードされ、ランナーもいなかった。
 二、三度素振りをしてからバッターボックスへむかうとき、恭司はほほが熱くなってくるのを感じていた。見え見えの温情のピンチヒッターが、はずかしかったのだ。
 もちろん、監督に悪気があったとは思ってはいない。どうせ逆転するのが無理なのなら、ただ一人の六年生の補欠、しかも、今日走塁コーチとしてがんばり、いっしょけんめいみんなに声援をおくっていた恭司を、最後のピンチヒッターに使うのはむしろ当然のことだろう。
 でも、恭司には、チームの全員、そして、応援にきている人たちまでが、ここで恭司がピンチヒッターに立つ理由(補欠の六年生に試合の想い出を作らせる)を知っているように思えてしまうのだ。
そして、それがいやでいやでたまらなかった。
「おにいちゃーん、がんばって」
 バッターボックスに立ったとき、恵美の声がうしろから聞こえてきた。
 チラッとふりかえると、バックネットのところで手をふっている。
「キョンちゃーん、しっかり」
 応援席の方からは、かあさんも声援を送っている。きっと、とうさんはビデオカメラをこちらに向けているだろう。
(よし、意地でもここでヒットを打ってやるぞ)
 恭司はそう心にちかって、ピッチャーをにらみつけた。
 一球目。
「ストライークッ」
 速い。いざ打席にたつと、コーチスボックスで見ているときとは大違いだ。ふだんはバッティングのよいうちのチームが、二点しか取れなかったはずだ。
(追いこまれたらだめだ)
 二球目。
 恭司はおもいきりバットをふった。
 しかし、内角のとんでもなく高いボール球だった。
 からぶり。恭司は、いきおいあまってしりもちをついてしまった。
「ストライークッ」
 審判の声に続いて、観客から小さな笑い声がおこった。
「バッチ、ぜんぜん打てないよーっ」
 相手ベンチから、余裕たっぷりのやじがとぶ。
 恭司は立ち上がると、おしりについた砂をポンポンとはらった。
「恭司、おちついてボールをよく見ていけ」
 ベンチから監督の声がする。チラリと見ると、やっぱり苦笑いをしていた。
 三球目。まん中への直球。
(しめた)
 恭司のバットは、ようやくボールをとらえた。
(打球はセンター前へ)
 打った瞬間、恭司はそう思ったのだが、じっさいはボテボテにつまったゴロが、ピッチャーのグローブにすいこまれていた。
 恭司はけんめいに一塁へ走った。頭がガクガクゆれて、ヘルメットがこぼれおちた。
 しかし、まだベースの三メートルも手前で、一塁手はがっちりと送球をキャッチしていた。
「アウート」
 塁審が叫んだ。
 ワーッ!
 相手チームから歓声がおこる。
 恭司はベース前でスピードをおとすと、ヤングリーブスのベンチの方へふりかえった。
 と、その時、ベンチ前のネクストバッターズサークルの中に、次のバッターが入っていないことに気がついた。
(やっぱり、みんなは、もう試合をあきらめていたんだなあ)
 ぼくがヒットを打つことなんか、チームのメンバーたちも期待していなかったようだった。
 相手チームは、喜び合いながらホームベースへかけよっていく。ヤングリーブスのメンバーも、試合後のあいさつのためにベンチから出てくる。
 恭司は、途中に落ちていたヘルメットをひろうと、のろのろとホームにむかった。

春季大会から一ヶ月がすぎた。いぜんとして恭司は、土日の練習にも、週二回の自主トレにも休まず参加している。
 毎年この時期になると、レギュラーになれなかった六年生たちが、勉強が忙しくなったことなどを理由に、何人かやめていった。
 だが、今年は六年生の人数が少なく、恭司以外は全員レギュラーになれたので、そういうことはなかった。
 恭司も、
(チームをやめようかな)
と、チラッと思ったこともあった。
 でも、一人でやめるというふんぎりもなかなかつかずに、そのままチームに残っていた。
 だからといって、これから猛練習して、レギュラーの座をかちとるのぞみをもっているわけでもなかった。
 恭司は、もともとスポーツが苦手だった。それにひきかえ、チームのほかのメンバーは、学校でもスポーツが得意な子ばかりだ。
 恭司の体育の成績は「ふつう」ばかりだった。それでも、去年よりはあがっていて、四年生のころまでは「がんばろう」が多かったのだ。
五十メートル走は九秒台だし、ソフトボール投げも三十メートルそこそこだった。チームの他の子たちは、五十メートル走でも、ソフトボール投げでも学年の上位を占めている。これでは、とても他のメンバーをうちまかして、レギュラーの座はとれそうにない。

「おい、恭司、うまいな」
 ぼんやりと練習をしていたら、いきなりうしろから声をかけられた。
「えっ? あっ、はい」
 振り返ると、監督がそばまで来ていた。
 バッティング練習の仕上げに、バントをやっているときだ。三人一組になって、順番にピッチャー、キャッチャー、バッターを代わってやっていた。
「おーい、みんな、集合」
 監督は、グラウンドいっぱいにひろがっていたチーム全員を呼び集めた。
「いいか、バントの見本演技だ。恭司、やってみろ」
 恭司は監督にうながされて、バッターボックスに立った。
「良太、マウンドへいけ。洋平、受けてやれ」
 良太と洋平。チームのエースとキャッチャーだ。
「よし、始めろ」
 監督の合図とともに、良太が速球を投げこんできた。
 カッ。
 恭司のバントでスピードをころされたボールが、コロコロとピッチャー前にころがった。
「次」
 二球、三球と、良太の投げるボールを、恭司は次々とバントにきめてみせた。
「ほーら、みんなわかるか。恭司は最後までボールから目をはなさないだろ。だから、ファールチップになったり、からぶりしたりしないんだ」
 恭司はそんな監督のことばを背中に聞きながら、ほこらしい気持ちでいっぱいだった。こんなことは、チームに入ってから初めてのことだ。
「よっ、バント名人」
 うしろからひやかすような声がとんだ。
 ビシッ。
 声につられてつい力が入ったのか、恭司ははじめてバントをしそこなって、ファールチップにしてしまった。
 ドッとみんなが笑った。
「こら、からかうんじゃない。浩一、おまえだろ。先週の試合で、送りバントの失敗をしたのは。すこしは恭司を見習えよ」
 監督は、黄色のメガホンで、軽く浩一の頭をたたいた。送りバントというのは、自分は一塁でアウトになる代わりに、ランナーを先の塁に進めるバントのことだ。
「ちぇっ、いけねえ」
 浩一がペロリと舌を出したので、またみんなが笑いだした。
「よーし、恭司、そこまででいい。さあ、ほかのみんなも、もう一度バント練習だ」
 監督の声に、メンバーはふたたびグラウンドにちっていった。

(バント名人!)
 練習からの帰り道、恭司の頭の中に浩一の声がよみがえってきた。
 バッティングがへたなためか、試合中、送りバントを命じられることが多かった。だから、ほかのメンバーはいいかげんにやっているバント練習を、ふだんでも恭司だけはしっかりとやっていた。そうすると正直なもので、いつのまにかチームでもバントが上手な方になっていたのだ。
(バントだ。これしかない。絶対にチーム一の「バント名人」になってやろう)
 監督がここは送りバントしかないという場面で、確実にバントをきめられる。そんな選手になれば、たとえ代打でも、春季大会のときのようなお情けでなく、実力で出場できる。
「ただいまあ」
 家の玄関で、つい大声を出してしまった。
「まあ、元気ねえ。どうしたの?」
 かあさんが、びっくりしたような顔をしている。
「おにいちゃん、何かいいことあったの?」
 恵美も、ニヤニヤしながらこちらを見た。
「ううん、なんでもない、なんでもない」
 恭司はそういいながら、いつものように風呂場へむかった。

 その日から、恭司のバントの特訓が始まった。
 チームでの練習のときは、今までよりも真剣にバントに取り組んだ。
 普通のバント練習はもちろん熱心にやっているし、休憩のときなども、他の子にボールを投げてもらって、バントの練習をするようになった。
 学校でも、休み時間に友だちに頼んでバントの練習していた。恭司のバント練習は、みんなの間でもいつのまにか有名になって、同じヤングリーブスのメンバーに限らず手伝ってくれる友だちがいた。
家に帰ってからも、一人でバントの練習をしている。
 初めは、塀にぶつけて、はねかえってきたボールをバントして練習しようとした。
 でも、うまくボールがはずんでくれなくって、練習にならなかった。
「おにいちゃん、手伝ってあげようか?」
 見かねて、恵美が声をかけてくれた。
 それからは、恵美がボールを投げて、恭司はバント練習を続けている。
 恵美の投げるボールは、女の子にしては投げ方もきちんとしているし、コントロールも良かった。
 でも、恵美の投げる球では、さすがに遅すぎた。これでは、実戦の練習にはあまりなりそうになかった。
 シュッ。……。カッ。
 ボールはコロコロところがる。
恭司は、すぐに恵美のボールを、百発百中でバントを決められるようになってしまった。
 とうとう恭司は、近くのバッティングセンターへ、バントの練習にでかけることにした。
 バッティングセンターには、時速七十キロぐらいのスローボールから、百四十キロのプロなみの剛速球まで、さまざまなマシンがならんでいる。
 カキーン。 ……。 カキーン。
 他の打席の人たちは、気もちよさそうにバットをふりまわしている。
 カッ。 ……。 カッ。
ところが、恭司だけはもくもくとバント練習にはげんだ。
 そんな姿を、順番待ちの人たちがふしぎそうにながめていた。
 恭司は、スローボールから始めて、だんだんにスピードを速くしていった。
さすがに百キロを越えると、バントの失敗が多くなった。
でも、少年野球でも、速球派になると百キロを超えるようなスピードボールを投げるピッチャーがいる。このスピードにも対応しなければならない。
 恭司は、チームの練習のない日には、何度も何度もバッティングセンターにかよった。
そして、最後には百二十キロの速球でも、かなりの確率でバントを決められるようになった。
でも、バッティングセンターは、一回二十五球ぐらいで三百円もする。おかげで、恭司の貯金箱はすっかり空っぽになってしまったけれど。

 恭司のバントの特訓の成果を発揮する機会は、夏休みに入ってすぐにおとずれた。あのキングドラゴンズとの練習試合だ。
 今日は、春の大会とはちがって、ヤングリーブスも善戦している。最終回の裏の攻撃中で、得点は四対四の同点。しかも、ワンアウトで、ランナーは三塁にいた。
「おーい、恭司」
 監督が、コーチスボックスの恭司に手まねきしている。
 ピンチヒッターだ。恭司は大急ぎでベンチに戻ると、ヘルメットをかぶった。
「サインをよく見ろよ」
 監督がうしろからささやいた。
(スクイズバントだ)
 恭司はピーンときた。
 スクイズとは、監督のサインで、ピッチャーが投げると同時に、三塁ランナーがスタートをきる。それに合わせてバントをして、確実に得点をねらう作戦だ。監督も、恭司のバントの腕前を、覚えていてくれたのだ。
 最終回の裏で同点だったから、ランナーがホームインすればサヨナラ勝ちになる。「バント名人」の恭司にとって、これ以上の活躍のチャンスはない。
 恭司はバッターボックスへむかいながら、もう一度「バントの注意事項」を頭の中にうかべてみた。
 体をボールが来る方向に対して、きちんとまっすぐむける。
 足の間隔はやや広くして、ゆったりとかまえる。
 両手をにぎりこぶしふたつ分はなして、ボールのいきおいにまけないようにしっかりとバットをにぎる。
 バットはできるだけ目の高さに近づけ、ボールが来ても腕だけでバットを上下させない。高さの調整は、腕でなくひざの屈伸を使っておこなう。
 一球目。
 監督からは、スクイズのサインは出ていない。
 予想どおり、相手ピッチャーも警戒して、大きく外側にはずしてきた。
 二球目。
 監督は帽子のつばをつまんでから、胸のマークをさわった。
 スクイズのサインだ。
 ピッチャーがモーションをおこすと同時に、三塁ランナーがスタートをきった。恭司もバントのかまえにはいった。
 それを見て、一塁手と三塁手が、もうぜんと前にダッシュしてくる。
 カッ。
 きれいにスピードをころされたボールが、一塁手とピッチャーの中間にコロコロところがった。
「バックホーム」
 けんめいにさけぶキャッチャーの声を背中に、恭司は一塁へ走った。
「セーフ! ホームイン。ゲームセット」
 審判が叫んだ。恭司のスクイズバントはみごとに成功した。
「やったあ!」
 一塁ベースのそばで、ベンチからとびだしてきたみんなに、恭司はもみくちゃにされていた。
(バントの練習をやってきてよかったなあ)
 恭司は、心からそう思っていた。
 その後も、夏休み中の練習試合で、百パーセント確実に送りバントやスクイズを決めて、「バント名人」恭司の腕前は、監督だけでなくチーム中に知れわたっていった。

「ピンチヒッター、石川」
 監督が審判につげた。
 秋季大会の一回戦、レッドファイターズとの試合だった。五回のおもて、ワンアウトランナー一塁。得点は一対三と二点リードされている。
(送りバントだな)
 恭司は、ヘルメットをかぶりながらそう思った。
 監督は次のバッター、洋平のバッティングに期待しているようだ。この回、同点にならなくても、まだ六、七回の攻撃があるから、ここは一点差につめておく作戦なのだろう。
「恭司、がんばれ」
「おちついていけ」
 ベンチのメンバーは、今日も期待をこめて恭司に声援をおくっている。
「おにいちゃーん、がんばってーっ」
 ダッグアウトのうしろから、恵美の声も聞こえてきた。
 そして、今日はかあさんが、こちらにビデオカメラをむけている。
 恭司は、ダッグアウトの監督をチラッと見た。監督はぼうしのツバをさわってから、ベルトに手をやった。案の定、「ストライクバント(ストライクだったらバント、ボールだったら見のがす)」のサインだ。
 とうぜん、相手も一球目は送りバントを警戒してはずしてくるだろう。
 勝負は二球目からだ。
 相手の一塁手は左ききだから、一塁側にバントすると、二塁に送球されてランナーがアウトにされる可能性がある。三塁側にころがして、できたらピッチャーにとらせるバントがベストだ。

 一球目。
 予想どおり、外角高めにはずれるとんでもないボールだ。
 恭司は余裕たっぷりに見のがした。最近は、自信がついたせいか、ボールが良く見える。
「バッチ、ぜんぜん打つ気ないよ」
 相手チームのやじも、今の恭司にはぜんぜんこたえない。
 相手ピッチャーもこれ以上カウントは悪くしたくないから、きっとストライクを投げてくるに違いない。ここが勝負だ。
(よし、絶対きめてやる)
 恭司は相手ピッチャーをにらみつけるようにして、二球目を待った。
 ピッチャーはそんな気迫におされたかのように、一塁へけんせい球を投げて間をはずした。
「タイム」
 恭司も、間を取るためにバッターボックスをはずした。
 と、その瞬間、恭司の頭の中に別のアイデアがひらめいた。
(セーフティバント)
 ランナーを二塁に送るだけでなく、自分まで一塁で生きてしまうのだ。
 恭司は、あらためて相手の守備をながめた。
 一塁手と三るい手は、バントを警戒して浅めに守っている。
 二塁手が一塁の、ショートが二塁のベースカバーにはいるのだろう。
(よし、二塁手前へのセーフティバントだ)
 送りバントを警戒して、前へ出てくるピッチャーと一塁手との間を、強めのバントでぬく。
 二塁手も一塁のベースカバーに入ろうとして横に動くから、そのあたりはがらあきになるはずだ。鈍足の恭司がセーフティバントをきめるためには、ねらう場所はここしかない。うまくいけば、一塁ランナーは三塁まで進めるかもしれない。
 送りバントでツーアウト二塁になるかわりに、いきなりワンアウト一塁三塁の大チャンスになってしまう。
 もちろん、このバントにはリスクがあった。セカンド前でなく、ピッチャーや一塁手の正面に飛んだら、二塁に送球されて、送りバントが失敗するだけでなく、一塁へ転送されてダブルプレーになってしまうかもしれない。
 しかし、恭司には、絶対にセーフティバントを成功させる自信があった。今こそ「バント名人」の実力を、みんなに見せつけてやる。
 ランナーを見ながら、ピッチャーがセットポジションにはいった。恭司はさも送りバントをやりますという感じで、バットを前にかまえ体を低くかがめた。
 投球と同時に、一塁手と三塁手がつっこんでくるのが目に入った。
(今だ!)
 しかし、次の瞬間、恭司は二塁手の前のセーフティバントではなく、ピッチャーの左前に勢いを殺したボールをころがしていた。
 基本どおりの送りバント。
「ファースト!」
 送球を指示するキャッチャーの声を背中にうけて、恭司はけんめいに一塁を目ざして走っていた。
「アウート」
 塁審が叫ぶのを聞いてからも、恭司はスピードをゆるめずに一塁ベースをかけぬけていった。

「恭司、ナイスバント」
 ベンチに戻ってきたとき、監督が声をかけてくれた。
「バッチ、しっかりいこうぜ」
「ピッチ(ピッチャーのこと)、苦しいよ」
 ベンチのメンバーは、次のバッターの洋平への声援にかかりっきりだ。
 だれも、恭司の方にふりむこうとしない。「バント名人」の恭司が送りバントを成功させるのは、もうあたりまえのことだと思っているようだ。
(やっぱり、セーフティバントをやればよかったかなあ)
 恭司は、チラッとそんなことを考えた。セーフティバントを成功させていれば、もっとみんなに注目されたはずだ。
「リー、リー、リー」
 二塁ベースから、浩一の叫ぶ声が聞こえてきた。恭司の送りバントで進んだランナーだ。
「浩一、ワンヒットで戻れよぉ」
 監督が、大声で叫んだ。
 ピッチャーが初球を投げ込んできた。
 バチン。
 洋平のあたりは、やや振り遅れのファールだった。
「バッチ、当たってるぞぉ」
「思いっきりいこうぜぇ」
 ベンチの声援はいっそう盛り上がってきた。
「洋平、頼むぞぉ」 
 他のメンバーにまじって洋平に声援を送ったとき、ベンチのうしろの方にこしをおろしている恭司の胸の中には、少しずつ「バント名人」としての満足感がひろがりはじめていた。

      


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