現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

宮沢賢治「『注文の多い料理店』新刊案内」

2023-08-13 09:27:56 | 参考文献

 賢治は生前、詩集「春と修羅」と童話集「注文の多い料理店」の二冊を自費出版しただけでした(ただし、引用した文章中にあるように童話集は全十二巻のシリーズの第一巻の予定でしたし、「春と修羅」も第一集であり、その後の作品も書かれていました)。
 この新刊案内には、賢治の作品の背景や童話観が彼自身の言葉で書かれていて興味深いので、以下に全文引用します。
「イーハトーヴは一つの地名である。しいて、その地点を求むるなればそれは、大小クラウスたちの耕していた、野原や、少女アリスがたどった鏡の国と同じ世界の中、テパーンタール砂漠のはるかな北東、イヴン王国の遠い東と考えられる。
じつはこれは著者の心象中に、このような状景をもって実在したドリームランドとしての日本岩手県である。
そこでは、あらゆることが可能である。人は一瞬にして氷雪の上に飛躍し大循環の風を従えて北に旅することもあれば、赤い花杯の下を行く蟻と語ることもできる。
罪や、かなしみでさえそこでは聖くきれいにかがやいている。
深い椈の森や風や影、肉之草や、不思議な都会、べーリング市まで続く電柱の列、それはまことにあやしくも楽しい国土である。この童話集の一列はじつに作者の心象スケッチのー部である。それは少年少女期の終りごろから、アドレッセンス中葉に対する一つの文学としての形式をとっている。
この見地からその特色を数えるならば次の諸点に帰する。
一 これは正しいものの種子を有し、その美しい発芽を待つものである。しかもけっして既成の疲れた宗教や、道徳の残滓を色あせた仮面によって純真な心意の所有者たちに欺き与えんとするものではない。
ニ これは新しい、よりよい世界の構成材料を提供しようとはする。けれどもそれは全く、作者の未知な絶えざる驚異に値する世界自身の発展であって、けっして畸形に捏ねあげられた煤色のユートピアではない。
三 これらはけっして偽でも仮空でも窃盗でもない。多少の再度の内省と分析とはあっても、たしかにこのとおりその時心象の中に現われたものである。ゆえにそれは、どんなに馬鹿げていても、難解でも必ず心の深部において万人の共通である。卑怯な成人たちに畢竟不可解なだけである。
四 これは田圃の新鮮な産物である。われらは田園の風と光との中からつややかな果実や、青い蔬菜といつしょにこれらの心象スケッチを世間に提供するものである。
注文の多い料理店はその十二卷のセリ一ズの中の第一冊でまずその古風な童話としての形式と地方名とをもって類集したものであって次の九編からなる。
1 どんぐりと山猫
山猫拝と書いたおかしな葉書が来たので、こどもが山の風の中へ出かけて行くはなし。必ず比較されなければならないいまの学童たちの内奥からの反響です。
2 狼森と笊森、盗森
人と森との原始的な交渉で、自然の順違ニ面が農民に与えた永い間の印象です。森が子供らや農具をかくすたびに、みんなは「採しに行くぞお」と叫び、森は「来お」と答えました。
3 烏の北斗七星
戦うものの内的感情です。
4 注文の多い料理店
二人の青年紳士が猟に出て路に迷い、「注文の多い料理店」にはいり、その途方もない経営者からかえって注文されていたはなし。糧に乏しい村のこどもらが、都会文明と放恣な階級とに対するやむにやまれない反感です。
5 水仙月の四日
赤い毛布を被ぎ、「カリメラ」の銅鍋や青い焔を考えながら雪の高原を歩いていたこどもと、「雪婆ンゴ」や雪狼、雪童子とのものがたり。
6 山男の四月
四月のかれ草の中にねころんだ山男の夢です。「烏の北斗七星」といっしょに、一つの小さなこころの種子を有ちます。
7 かしわばやしの夜
桃色の大きな月はだんだん小さく青じろくなり、かしわはみんなざわざわ言い、画描きは日分の靴の中に鉛筆を削って変なメタルの歌をうたう、たのしい「夏の踊りの第三夜」です。
8 月夜のでんしんばしら
うろこぐもと鉛色の月光、九月のイーハトヴの鉄道線路の内想です。
9 鹿踊りのはじまり
まだ倒れない巨きな愛の感情です。すすきの花の向い火やきらめく赤褐色の樹立のなかに、鹿が無心に遊んでいます。ひとは自分と鹿との区別を忘れ、いっしょに踊ろうとさえします。」
 この短い文章の中に、たくさんの賢治作品理解のためのキーワード(「イーハトーヴ」、「心象スケッチ」、「循環」、「宗教」、「ユートピア」など)がちりばめられ、彼の作品に託した願いが込められています。
 中でも注目すべきは、この童話集が「少年少女期の終りごろから、アドレッセンス中葉に対する一つの文学としての形式をとっている。」と明示している点でしょう。
 アドレッセンス中葉とは青年期中ごろつまり思春期を意味しますので、この童話集は現在の学校制度では小学校高学年から高校生あたりを対象として考えていたのでしょう。
 しかも、賢治の全十二巻構想の第一巻であるこの「注文多い料理店」は、「まずその古風な童話としての形式と地方名とをもって類集したもの」としているわけですから、シリーズ全体としては「子どもから大人まで」(賢治と同世代の児童文学者であるエーリヒ・ケストナーの言葉を借りるならば、「八歳か八十歳までのこどもたち」)の広範な読者を対象にしていたと思われます。
 賢治は、この本を自費出版する前年に、「婦人画報」編集部に童話原稿多数を持ち込みますが、掲載を断られています。
 「赤い鳥」などの童話伝統の固定観念にとらわれていた雑誌の編集者には、この「新しい童話」が理解できなかったのでしょう。
 しかし、賢治は出版社に迎合して「お子様向け」の童話などは書かずに、自費出版の途を選びました。
 そのおかげで、当時「婦人画報」などに掲載されていた童話群があっさりと歴史に淘汰されてしまったにもかかわらず、賢治の作品たちは今でも多くの読者を獲得しています。
 これと同様のことを現代でやるならば、商業主義に凝り固まった出版社などには頼らずに、ネットを利用して、直接読者のスマホなどに作品を届けることなのかもしれません。

『注文の多い料理店』広告文
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