戦後すぐに書かれ、一躍人気を博した「三太物語」の中の一作です。
今で言うところのエンターテインメント作品のはしりのような連作短編で、ラジオ番組、映画、更にはテレビ番組にもなりました。
私はかすかにしか記憶がないのですが、テレビ番組では、当時子役だった渡辺篤史が三太役をやり、相手役の女の子はジュディ・オングでした。
毎回、冒頭に「おらあ、三太だ」というセリフが入るので、子どもの頃はそれがタイトルだと思っていました。
三太物語は、村のわんぱく小僧(当時は元気のいい男の子をこう呼びました)三太とその友達の日常を生き生きと描いて、子ども読者には親近感を持たれました。
三太の考え方や描き方にやや大人目線なのが感じられますが、言ってみれば、「とらちゃんの日記」(その記事を参照してください)の戦後版と言えなくもありません。
戦後の民主主義の時代を象徴するように、「とらちゃんの日記」が男の子たちだけの世界だったのに対して、女の子たちも活躍します。
この短編では、三太物語のもう一方の主役である若い女の先生、花荻先生が初めて登場します。
若いきれいな女の先生の登場で、この作品のエンターテインメント性はぐっと上がりましたし、物怖じしないその溌剌とした姿は、戦後の新しい女性像を反映するものでした。
壷井栄「二十四の瞳」の大石先生が戦前の若い女性の先生のシンボルだとしたら、花荻先生は戦後の若い女性の先生の代表でしょう。
当時、花荻先生に憧れて、小学校の教師を目指す女の子が増えたと言われたのも、素直に納得できます。
また、三太の語りや三太と花荻先生の関係は、後藤竜二の「天使で大地はいっぱいだ」のサブの語りやサブとキリコ先生の関係にも影響を与えたと思われます。
この作品の舞台になったのは、神奈川県津久井郡津久井町(当時はまだ村だったようです。現在は相模原市緑区の一部になっています)で、現在も道志川沿いにこの物語にちなんで名前を付けたと思われる三太旅館があります。
話は脱線しますが、現在私が住んでいるところとは隣町なので、二十年以上前になりますが、息子たちの入っていた少年野球チームで、バーベキューと水遊びをしに、その付近へ行ったことがあります。
当時はまだ、道志川の大きな淵があったり、そこへ飛び込める高さ4、5メートルの岩があったりして、三太たちが遊んでいたころの名残りがありました。