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現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

浜田広介「花びらのたび」浜田広介童話集所収

2020-05-15 09:17:33 | 作品論
 浜田広介は、小川未明、坪田譲治と並んで、近代童話において「三種の神器」とまで言われて、高い評価を受けていました。
 しかし、狭義の現代児童文学(定義は他の記事を参照してください)がスタートした1950年代に激しく批判されて、児童文学の表舞台からは姿を消しました。
 現代児童文学が終焉した(一般には2010年と言われていますが、私は1990年代だと思っています)現在では、近代童話は復権していますし、多くの現代児童文学作品が歴史に淘汰された中で、広介の「むく鳥のゆめ」や「泣いた赤おに」などは、今でも広く読まれています。
 この「花びらのたび」という掌編は、次々に起こる出来事に素直に従う花びらの姿に、運命に流される人生を象徴させた作品ですが、現代児童文学出発時に重要な役割りをはたした「子どもと文学」(その記事を参照してください)の中で松井直(後の福音館書店の会長)に、「描写をもちこむことで物語の流れや組み立てを混乱させ、象徴的な気分や人生観をだそうとして、子どもばなれした作品にしてしまいました。」と、こっぴどく批判されています。
 松井の主張は、児童文学に「おもしろく、はっきりわかりやすく」といった外国(主に英米)児童文学の規準を持ち込んだ「子どもと文学」グループとしては、しごく当然のことだったのでしょうが、一方でこの作品の持つ優れた抒情性や東洋的な人生観までも切り捨ててしまっています。
 叙事的な文学に傾斜しすぎた現在の児童文学は、こうした抒情性あるいは文学性(詩性と言ってもいいかもしれません)を大きく失うことになりました。

心に残るロングセラー名作10話 浜田広介童話集
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浜田広介「むく鳥の夢」浜田広介童話集所収

2020-05-15 09:15:55 | 作品論
 広介の代表的な作品の一つです。
 文庫本でわずか6ページの短編ですが、亡くなった母親(実は本人は知らない)への思慕、父親の子どもへの愛情が凝縮されていて、日本的な情感にあふれた作品です。
 特に、冒頭で母親がすでに亡くなったことを読者にだけ示すことによって、幼い読者でさえ重要な秘密を知ったことにより、主人公のむく鳥に庇護者としての気持ちを持たせたことが作品を成功させています。
 「子どもと文学」の中では、松井直に、「冒頭でつまづく」、「結びが弱い」、「なぜ「死」というような、幼い心に不向きなテーマを、ことさらとりあげねばならなかったのかを問いたい」と、酷評されています(その記事を参照してください)。
 こういった指摘は、英米児童文学も規準にして、「おもしろく、はっきりわかりやすく」といった主張を掲げる松井たちにとっては当然のことかもしれませんが、動物を擬人化したメルヘンに対して、「枯葉を散り落とさない工夫は、人間ならぬむく鳥が、「馬の尾の毛」でつなぎとめるという、不自然でおかしなおこないになっています。」と批判するに至っては、自分たちの主張を正当化するために批判しているようにさえ思えます。
 こうした行き過ぎた批判のために、現代児童文学(定義は他の記事を参照してください)は、近代童話が持っていた優れた象徴性や日本的情緒を必要以上に取りこぼすことになったのではないでしょうか。

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浜田広介「ますとおじいさん」浜田広介童話集所収

2020-05-15 09:14:08 | 作品論
 一人暮らしのおじいさんが、地元の沼にますの子を放す話です。
 おじいさんは、地元のためにますが育つことを願っているのですが、ますの養殖といった具体的な話ではなく、旅人(その人からますの話を聞きました)からもらったますの子どもをしばらく手元で育ててから沼に放しただけです。
 おじいさんが生きている間は成果はなかったのですが、亡くなってから大きくなったますが大群になって戻ってきたことを暗示して話は終わります。
 この作品も非常に象徴的な話で、特に取り柄はなくても正しく生きればその願いはかなう(ただし死んだあとで)ことを示しているのでしょう。
 この作品において特徴的なのは、広介が、このおじいさんのことを、なんと五回も繰り返して、「よいおじいさん」と書いていることです。
 通常では、このように具体的におじいさんのよい点を書かずに言葉だけで書くのは、下手な作品の書き方の見本のようなものです。
 しかし、この作品の場合、おじいさんがいい人間であることを、作者が読者の子どもたちに繰り返し言葉で保証することによって、作者の言いたいこと(いい人間は生前は報われないが、死後にその成果が得られる。そして、その成果がその人間のおかげだと知られなくてもよい)を、このごく短い話の中で読者に間違いなく伝える不思議な効果があるようです。
 こうした象徴性は、「現代児童文学」(定義は他の記事を参照してください)では失われていたものの一つです。

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浜田広介「泣いた赤おに」浜田広介童話集所収

2020-05-15 09:11:56 | 作品論
 私自身も幼いころに絵本で読んだことのある、1933年に書かれた作者の代表作の一つです。
 主人公の赤おには、本当は心優しく親切なのに、鬼であるばかりに村人たちに恐れられて、村はずれで一人さびしく暮らしています。
 どうにかして村人たちと友だちになりたい赤おにのために、遠くで暮らす友だちの青おにが一芝居うちます。
 村の中でわざとあばれて、それを赤おにに懲らしめさせようというのです(このパターンは、いろいろと変形されて物語やドラマなどで多用されていますね)。
 芝居はうまくいって、村人たちは赤おにの家へ遊びに行くようになります。
 その一方で、青おにはすっかり姿を見せなくなります。
 赤おにが訪ねていくと、青おには手紙を残して長い旅に出ていました。
 今まで通りに赤おにと仲良くしていては、それが村人たちの耳に入って、せっかく友だちになったのにまた赤おにを恐れるようになることを心配して姿を消したのです。
 その手紙を読んで、赤おには涙を流すのでした。
 現代児童文学の基準からすると、お話の進め方も恣意的ですし、ラストの赤おにの涙の意味もいろいろと解釈できるように思えます。
 でも、簡潔な文章と単純なストーリーで、読者がその成長に合わせていろいろな事を考えることができるこの作品には、作者の優れた童話的資質と呼ばれるものがはっきりと表れていると思います。
 私自身は、子どものころは、赤おにの気持ちを忖度(役人たちが権力者にこびへつらう意味で多用されてしまっていますが、本来は他人の気持ちを推し量って配慮することは非常に大事なことで、役人たちが権力者ではなく庶民の気持ちを忖度して仕事をしてくれれば、どんなにか住みよい世の中になることでしょう)して、青おにが姿を消したことに感動していました。
 そのころは、赤おには、きっといつかは青おにと再会でき、村人たちだけではなく青おにとも仲良く暮らせると楽観していたのです。
 ですから、赤おにの涙は、こうした思いやりができる青おにに感激して泣いていると思っていたようです。
 でも、それから60年近くがたち、いろいろなつらい経験もした今では、このような楽観的な気持ちにはなれません。
 赤おにが用意したおいしいお菓子やお茶につられてやってくるようになるような浅薄な村人たちの歓心をかうために、赤おにのことを本当に思ってくれる青おにという真の友達を失ってしまったとしか読めないのです。
 そして、ラストの赤おにの涙を、そのことを後悔した(もう取り返しはつかないのですが)苦い涙だと思えるのです。
 このように、エンディングで、物語の結末をゆだねるやり方は、廣介童話の大きな特長ですが、結論をはっきり決めたがる現代児童文学論者からは、中途半端な終わり方だと激しく攻撃されました(関連する記事を参照してください)。
 しかし、書き手として考えると、このような余韻のあるエンディングは、かえって読者の心に残る場合が多く、ある意味文学的だとさえ思えます。

泣いた赤おに (日本の童話名作選)
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偕成社

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山下明生「海のコウモリ」

2020-05-13 11:45:36 | 作品論
 朝鮮戦争が始まった1950年の瀬戸内海の島(作者が少年時代を過ごした能美島と思われます)を舞台に、9歳の少年のひと夏の経験を抒情性豊かな文体で描写した作品です。
 本のカバーに書かれていた出版当時の書評の抜粋を紹介すると、「美しい詩的な文体の感動的な作品」「傷つきやすい少年の日の思い出を詩的に描いた海のメルヘン」「多感で傷つきやすい少年の成長期を描く。誠実とは何かを読み取りたい」「日本的な情感にあふれ、子どもの心にもしみこむだろう」「悲しくも美しい鎮魂歌であり同時に母を恋うる愛の物語にもなっている」「感受性豊かな主人公の心の成長を軸に活写する」「漁村の人間関係の中での少年の罪と悔いと成長の物語」と、あります。
 もちろん宣伝用の抜粋なのでほめている部分だけですが、おおむね納得できます。
 80年代にたくさん書かれた、作者たちの少年時代を舞台に、ストーリー展開よりも描写を重視した小説的な作品の代表作のひとつと言えるでしょう。
 現代児童文学の構成要素としても、詩的だけども緻密な構成を備えた文章で「散文性」を獲得し、子ども世界を綿密に描くことにより「子どもへの関心」をカバーし、主人公の心の成長を描いて「変革の意志」を示しています。
 つまり、現代児童文学の小説化の見本のような作品ともいえます。
 瀬戸内海の豊かな自然、子ども世界の楽しさと残酷さ、母への愛、差別への異議申し立て、誠実に生きることの意味など、さまざまな要素が作品世界に持ち込まれていますが、図式的で性急な解決は求めず、あくまで少年の周囲の世界を描写することによって、静かに表現しています。
 この作品世界が、どこまでが作者の実体験に基づくものかわ分かりませんが、ある程度の創作上の工夫が見られます。
 主人公は9歳ですが、山下自身は1950年には13歳になっていたので、このような事件をもう少し成長した視点で眺められたことと思います。
 それを9歳の少年に仮託したことによって、作品により奥行きと普遍性を持たせることができたのではないでしょうか。
 ところで、この本は1985年の出版ですが、私の読んだ本は翌1986年で9刷です。
 このような普通の男の子を主人公にした「文学的な」作品が、一定の読者に受け入れられる土壌があったことに、80年代の児童文学の出版状況の豊かさが感じられます

海のコウモリ
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理論社
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坪田譲治「魔法」講談社版少年少女世界文学全集第49巻現代日本童話集所収

2020-05-06 10:58:57 | 作品論
 主人公の善太(小学生)と三平(就学前)は、「風の中の子供」や「お化けの世界」といった作者の代表作(児童文学というよりは、子どもの視点で書いた一般文学に近い作品)でも、主人公をつとめています。
 思いやりがあって賢い善太は兄の、甘えん坊でやんちゃな三平は弟の、典型的なキャラクターとして確立され、多くの模倣者を生み出しました。
 この作品では、善太が「魔法」だと称する、ちょうちょなどの虫を人間に変えたり、人間を虫に変えたりする力(演技)を、三平が半信半疑で真似てる、仲良しの兄弟らしい姿が生き生きと描写されています。
 こうした坪田作品に影響されて、「生活童話」(注:子どもの日常生活を写実的な手法で描いた作品)というジャンルが日本の児童文学において確立されましたが、他の記事に書いたように、現代児童文学(定義などは他の記事を参照してください)のスタート時に、「少年文学宣言」派にも、「子どもと文学」派にも、否定されました(関連する記事を参照してください)。
 著者自身の作品も、「生きた子どもを作品に描き出した」点は評価されたものの、「「死」、「不安」といった負のイメージ」が未来を生きる子どもたちにふさわしくないと否定されました。
 しかし、著者の作品が、その追随者である凡百の「生活童話」と違っている点は、その文章や人物造形が優れた文学性を持っている点であり、当時は子ども向けではないと否定された「風の中の子どもたち」のような人生の負の部分も描いた作品も、そうしたタブーが1980年頃に否定された後では、その作品の持つ社会性をもっと評価されるべきだったでしょう。
 私は、1973年に、偶然一度だけ著者をお見かけしたことがあります。
 著者は、自宅の離れにある書庫を「びわの実文庫」として開放されており、当時大学一年だった私は児童文学研究会の先輩たちと本をお借りにうかがったのです。
 私が先輩と書庫で借りる本(著者には、各出版社やたくさんの門下生(著者は、「びわの実学校」という童話雑誌を主催されておられ、大石真、松谷みよ子、あまんきみこ、庄野英二などの優れた児童文学者を育成されました)から贈られた膨大な本がありました)を物色していると、突然、老先生(当時は八十才台になられていたと思います)が入ってこられ、二階(おそらく仕事場があるのでしょう)へ上がっていかれました。
 私たちは、この児童文学の大先輩(大学の先輩でもあります)にきちんとした挨拶もできずに、「この人が児童文学界の三種の神器の一人(他は小川未明と浜田広介)か」と、畏敬の眼差しで見送ったことを今でも覚えています。
 
 

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庄野潤三「浮き燈台」庄野潤三全集第四巻所収

2020-04-25 15:10:47 | 作品論
 1961年に発表された作品です。
 巻末の坂田寛夫による解説によると、その二年前に発表した「ガンビア滞在記」(ロックフェラー財団によってアメリカの田舎町ガンビアに派遣された経験を綴った作者の代表作の一つ)の成功により、日本の田舎町(志摩の安乗だそうです)の生活も描こうと取材(当時は巨大だったテープレコーダーをリュックに詰めて通ったとのことです)した作品です。
 そばに海の難所があるのでよく起こった船の難破の思い出話とイソドと呼ばれる海女の暮らしを中心に、老人たちの人情豊かな田舎町の暮らしを、取材で得られた方言を生かして描いています。
 この作品では、兄に不義理をしたために実家にも顔を出しにくくなっているという設定(作者の弟の友人の話をもとにしているそうです)を主人公に加えて、田舎町の老人たちの人情によって心の傷を癒していくという感じで書こうとしていますが、主人公の状況説明の部分が作為的であまりうまくいっていません。
 作者は、こうした主人公の危機や不安を日常生活の背後に描くことで知られるようになりました(代表作は芥川賞を受賞した「プールサイド小景」(その記事を参照してください)でしょう)が、この作品のように技巧的過ぎてうまくいかないこともあり、次第に実際にあったこと(家庭生活が中心)を素直に描く(といっても、普通の人ならば見逃すような心の機微を鮮やかにとらえた)作品が増えていくようになり、晩年は身辺雑記のような作品ばかりになっていきますが、彼の一見平穏そうに見える日常の中に潜む繊細な感情の動きをとらえた作品は、作者が2009年に88歳に亡くなるまで一定の読者(私もその一人ですが)を魅了し続けました。
 なお、この全集は、作者がまだ盛んに作品を書いていた1973年に刊行されたものです。
 当時は、こうした全集の刊行は、ちょっと知られた作家ならば当たり前のことだったのですが、今はほとんどなされていません。
 作者も、2009年に亡くなっても、新しい全集は刊行されませんでした。
 当時と現在とでは、文学は恒久財と消費財との違いがあるようです。
 それが児童文学でも同様なことは、後藤竜二について書いた記事の通りです。


庄野潤三全集〈第4巻〉 (1973年)
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講談社
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土田耕平「時男さんのこと」講談社版少年少女世界文学全集49現代日本童話集所収

2020-04-24 18:11:21 | 作品論
 子どもの頃、この本の中で最も好きだった作品の一つです。
 ちょうどそのころの私と同じ小学三年生だった作者が、近所に住んでいた小学六年生の男の子の思い出を語っています。
 友だちになったのは、学校帰りに下駄の鼻緒が切れて困っているところを、時男さんが自分の手ぬぐいを裂いて、鼻緒を付け替えてくれた時のことでした。
 そのお礼に、作者の母親が家に招いてお菓子をあげたのをきっかけに、時男さんは作者の家へ遊びに来るようになりました。
 といっても、一人っ子だった作者は、以前から時男さんと友だちになりたかったようです。
 それ以来、作者は時男さんを兄のように慕って、いろいろな知らないことを教えてもらったり、両親に内緒で洞穴を探検したり(途中で道がわからなくって冷や汗をかいたことも、二人の結びつきを強めたかも知れません)して、仲良く過ごしました。
 そんな二人を、作者の両親は優しく見守っています。
 時男さんの母親は実の母ではなく、いつもきれいな身なりをしていますが、時男さんのことをあまりかまってくれません。
 着物のほころびなども繕ってもらえないので、作者の母がそっと直してあげています(ただし、このあたりは、作者の偏見も混じっているかも知れません)。
 時男さんの方でも、そんな自分の母親に遠慮して暮らしているようです。
 時男さんはりこうで学校の成績も良いようなのに、中学校へ行かせてもらえません(当時は、そのほうが一般的でした)。
 時男さんが遠くの町へ店奉公へ行く日、作者は停車場で遠くからその姿を見送ります。
 泣きながら帰ってきた作者に、母も涙を浮かべてくれますし、仕事から帰った父に報告すると父も心を寂しくしてくれます。
 この場面で、読んでいていつも私も泣きました。
 それは、本を読んで、主人公の気持ちに同調して泣くという甘美な涙を、生まれて初めて体験した時でした。
 五十年以上たって読み直した今回も、やはり涙をおさえることができませんでした(年取って涙腺がゆるくなっているので、子どもの頃より余計に泣いたかも知れません)。
 よそからめずらしい貰い物があると「時男さんが来た時に一緒にあげようね」と言ってくれる作者の母親も、無口で作者が何を言っても「そうかえ」としか答えない父親(作者は声の調子で父の心の中を理解できます)も、私にとっては両親の理想像でした(二十年以上後で、実際に自分も父親になりましたが、彼らに遠く及びませんでした)。
 今読み直してみると、自分の児童文学観に一番影響を与えたのは、少なくとも日本の作品では、賢治でも、未明でもなく、この作品であったことを今回気付かされました。
 作者は、大正時代から昭和初期にかけて活躍した歌人で、童話も何冊か出しているようです。
 こうした作品がすっかり忘れられて、今の(特につらい子ども時代を過ごしている)子どもたちに読まれないことが残念でたまりません。
 なお、子どもの時(そして、今回も)、ラストの以下の二行に救われた気分になったことを付け加えておきたいと思います。
「その後、時男さんはりっぱな商人になりました。わたしはいまでも手紙のやりとりをしています。」 



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相馬泰造「じんべえさんとフラスコ」講談社版少年少女世界文学全集49現代日本童話集所収

2020-04-21 16:58:07 | 作品論
 大正時代に書かれた短編です。
 江戸時代の大阪商人のじんべえさんを主役にした連作のうちの一編のようです。
 この作品では、オランダ商館の店先に飾られていた巨大な(底の広さが四畳半もあります)ガラス製のフラスコを水中料亭にしようと持ち帰ったり、途中の船上で大金を海中に落としてしまって身投げをしようとしていた若い男のためにフラスコを潜水艇の代わりにして探索したり、巨大なタコと格闘したりして、大活躍します。
 僅かな紙数の中で、こんな奇想天外なホラ話をした作者は。真面目な作品の多い当時の童話の世界では貴重な存在だったと思われます。



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山村暮鳥「庭さきのこと」講談社版少年少女世界文学全集49現代日本童話集所収

2020-04-20 18:10:47 | 作品論
 庭さきで、おんどりとめんどりの夫婦が、ホップと麦つぶを拾い、ビールを作ることにします(この時点で、すでに現在の児童文学の常識の範疇を軽々と超えています)。
 ビールが発酵する頃に、どちらが味見するかで夫婦喧嘩をします(過去のおんどりの不実をめんどりが罵る、現在では一般文学でもなかなかお目にかかれないような本格的なものです)。
 結局、味見をすることになったおんどりが、大酒樽(どんだけたくさんビールを作ったのでしょう!)のビールにはまって溺死してしまいます。
 後は、おんどりの死を悲しむめんどりと、庭先の野次馬たち(たけぼうき、ものほしざお、シャベル、天水おけ、花、木、すずめ、石臼など)がてんでに思いを述べあいます。
 これを、ところどころに、歌好きのめんどりの歌が散りばめられているミュージカル仕立てで描いています。
 ここまでシュールでぶっ飛んだ内容の作品は、現在の児童文学の世界ではなかなか出会えません。
 しかも、これを作った作者は、敬虔な牧師さんで人道主義者で有名な人物なのですから、読者は真面目に読まなければなりません。
 ある意味、大正時代の方が、現在よりも多様な児童文学があったことが、この作品だけでも分かります(実はもっと様々な作品があるのですが、それらについても他の記事で紹介する予定です)。


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秋田雨雀 「先生とお墓」講談社版少年少女世界文学残集49現代童話集所収

2020-04-19 11:55:34 | 作品論
 尋常小学校三年生の時に一年間だけ教わった先生の思い出と、先生のお墓について書かれた掌編です。
 ほとんどストーリーはなく、先生のエピソードも、最初の授業の時に黒板に大きな○を書いて子どもたちの答えをすべて正解とした上で先生の答えは地球であったこと、なんだかわからないが先生に悪い噂が立ったこと、その後先生が寂しそうにしていたこと、教師をやめて東京で学生(旧制の大学か?)になったこと、肺病にかかってひとり寂しく死んだこと、遺言で町の墓地に葬られたこと、などだけです。
 しかし、その僅かな紙数の中で、読者に、生きること、世の中のこと、人の評価のこと、死ぬことなどが、ぼんやりとですが心に残ります。
 特に、墓石すらなく、友人の手書きのぼうくいと二本の常盤木と誰かが持ち込んだいくつかの自然石があるだけで、雑草の中に草萩の赤い花やすすきの白い穂が背伸びしている先生の墓を、すぐそばの大往生した大金持ちの立派な墓石のある墓と対比することで、読者の子どもたちに人生の意味を考えるきっかけを与える象徴性は、漠然としているだけに深く心の中に残ります。
 「おもしろく、はっきりわかりやすく」という、かつて「子どもと文学」(その記事を参照してください)が打ち出した路線を表面的になぞっただけの単一の価値観に支配されている現在の児童文学の状況を思うと、こうした象徴性を失ったことの大きさを改めて考えさせられます。


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小川未明「月夜とめがね」講談社版少年少女世界文学全集49現代日本童話集所収

2020-04-15 16:13:40 | 作品論
 1922年(大正11年)に書かれた作品です。
 すでに他の記事で述べた「港についた黒んぼ」や「野ばら」には、まだ社会への批判やヒューマニズムなどの要素があり、わずかながらストーリーらしきものがありましたが、この作品ではそれらもまったくありません。
 ここのあるのは、深夜、おばあさんの針仕事、流れ者のめがね売り、めがねを通して見える普段と違う世界、胡蝶の化身、香水の香り、深夜の花園といった、作者の詩心を刺激する物たちの淡いイメージの集まりでしかありません。
 それは、現代児童文学(定義などは関連する記事を参照してください)が目指したものとは真逆な種類の文芸の極北に位置するものでしょう。
 未明自身が、彼の童話を「わが特異な詩形」と呼んだことを考えれば、それは当然のことだったでしょう。


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ばんひろこ「まほうのハンカチ」

2020-04-14 15:44:36 | 作品論



 小学一年生のみさきと弟のこうすけ、そして二人と仲良しのゆらちゃんが活躍するシリーズの三冊目です(他の二冊、「すみれちゃん、おはよう!」と「チ・ヨ・コ・レ・イ・ト」については、それぞれの記事を参照してください)。

 二人でお留守番をしていた時に、いつもこうすけに勇気をくれる、まほうのゾウさんハンカチを、ふとしたはずみで、団地の五階のベランダから落としてしまいます。
 ゆらちゃんも加わって、三人でハンカチを探し出しました。
 しかし、それは、子どもたちが「やまんば」と呼んで恐れている怖そうなおばさんの部屋のベランダでした。
 いつもは怖がりなこうすけは、勇気をふるってゾウさんハンカチの救出に向かいます。

 この作品でも、子どもたちと団地に住むいろいろな人たちとのふれあいが、自然な形で描かれています。
 随所に、子どもたちへの作者の優しい視線と、長年子どもたちと触れ合ってきた作者ならではの観察がいかされています。
 

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小川未明「野ばら」講談社版少年少女世界文学全集49現代日本童話集所収

2020-04-12 16:31:45 | 作品論
 1923年(大正12年)に発表された、国境をそれぞれ一人で守る、大きな国の老人の兵士と、小さな国の青年の兵士の、つかの間の友情と残酷な別れを描いた掌編です。
 僅かな紙数で、まったく戦争のシーンを描かずに、国境沿いに咲き、やがて散っていく一株の野ばらに託して、厭戦的な気持ちを読者の胸に刻みこむ文章の切れ味は、さすがに坪田譲治をして天才と言わせた作者の非凡な才能を感じさせられます。
 おそらく、この作品を真似た数しれぬ追随者がいたと思われますが、一見簡単なようで絶対真似できない、いわゆる童話的資質(関連する記事を参照してください)の有無を問われる種類の作品でしょう。
 こういう作品を読むと、現代児童文学が批判して切り捨てた、近代童話の象徴性や詩情が、実は読者の心の中に文学という芸術を育むのにいかに大切だったかが、ガチガチの現代児童文学論者の私にも分かります。


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ばんひろこ「チ・ヨ・コ・レ・イ・ト!」

2020-04-12 15:38:29 | 作品論
 「すみれちゃん、おはよう!」(その記事を参照してください)の続編です。
 主人公のみさきが、前作で友だちになったゆらちゃんと遊ぶシーンから始まります。
 やっていたのは、じゃんけんで勝ったら、グー(グリコ)は3歩、チョキ(チヨコレイト)とパー(パイナツプル)は6歩進める、昔からお馴染みの遊びです。
 みさきは、この遊びを通して、ゆらちゃんともっと仲良しになれます(ゆらちゃんのじゃんけんで出す順番を知っていて勝ってばかりでしたが、ゆらちゃんにその事を教えて出す順番を工夫するようにアドバイスしてあげます)し、同じ団地にすんでいたおばあさんとおじいさんとも仲良くなります。
 両者に共通する遊びの中で、子供たちとお年寄りが知り合う姿を、自然に描いています。
 核家族化がますます進む現代では、子供たちとお年寄りが分離されて暮らすことが多くなっています。
 そうした状況において、子供たちとお年寄りたちが出会う場を提供するのも、児童文学の大事な役割だと思います。
 私が団地で暮らしたのは30年も前のことですが、そのころでも、団地には、お年寄りだけの世帯や、幼い子供がいる核家族の世帯が多かったことを記憶しています。
 そういった意味では、子供たちとお年寄りが出会う場としては、団地は意外に適しているのかもしれません。

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