現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

土田耕平「時男さんのこと」講談社版少年少女世界文学全集49現代日本童話集所収

2020-04-24 18:11:21 | 作品論
 子どもの頃、この本の中で最も好きだった作品の一つです。
 ちょうどそのころの私と同じ小学三年生だった作者が、近所に住んでいた小学六年生の男の子の思い出を語っています。
 友だちになったのは、学校帰りに下駄の鼻緒が切れて困っているところを、時男さんが自分の手ぬぐいを裂いて、鼻緒を付け替えてくれた時のことでした。
 そのお礼に、作者の母親が家に招いてお菓子をあげたのをきっかけに、時男さんは作者の家へ遊びに来るようになりました。
 といっても、一人っ子だった作者は、以前から時男さんと友だちになりたかったようです。
 それ以来、作者は時男さんを兄のように慕って、いろいろな知らないことを教えてもらったり、両親に内緒で洞穴を探検したり(途中で道がわからなくって冷や汗をかいたことも、二人の結びつきを強めたかも知れません)して、仲良く過ごしました。
 そんな二人を、作者の両親は優しく見守っています。
 時男さんの母親は実の母ではなく、いつもきれいな身なりをしていますが、時男さんのことをあまりかまってくれません。
 着物のほころびなども繕ってもらえないので、作者の母がそっと直してあげています(ただし、このあたりは、作者の偏見も混じっているかも知れません)。
 時男さんの方でも、そんな自分の母親に遠慮して暮らしているようです。
 時男さんはりこうで学校の成績も良いようなのに、中学校へ行かせてもらえません(当時は、そのほうが一般的でした)。
 時男さんが遠くの町へ店奉公へ行く日、作者は停車場で遠くからその姿を見送ります。
 泣きながら帰ってきた作者に、母も涙を浮かべてくれますし、仕事から帰った父に報告すると父も心を寂しくしてくれます。
 この場面で、読んでいていつも私も泣きました。
 それは、本を読んで、主人公の気持ちに同調して泣くという甘美な涙を、生まれて初めて体験した時でした。
 五十年以上たって読み直した今回も、やはり涙をおさえることができませんでした(年取って涙腺がゆるくなっているので、子どもの頃より余計に泣いたかも知れません)。
 よそからめずらしい貰い物があると「時男さんが来た時に一緒にあげようね」と言ってくれる作者の母親も、無口で作者が何を言っても「そうかえ」としか答えない父親(作者は声の調子で父の心の中を理解できます)も、私にとっては両親の理想像でした(二十年以上後で、実際に自分も父親になりましたが、彼らに遠く及びませんでした)。
 今読み直してみると、自分の児童文学観に一番影響を与えたのは、少なくとも日本の作品では、賢治でも、未明でもなく、この作品であったことを今回気付かされました。
 作者は、大正時代から昭和初期にかけて活躍した歌人で、童話も何冊か出しているようです。
 こうした作品がすっかり忘れられて、今の(特につらい子ども時代を過ごしている)子どもたちに読まれないことが残念でたまりません。
 なお、子どもの時(そして、今回も)、ラストの以下の二行に救われた気分になったことを付け加えておきたいと思います。
「その後、時男さんはりっぱな商人になりました。わたしはいまでも手紙のやりとりをしています。」 




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