![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/b1/c41f4e33bc55d3c246b09260974e0129.jpg)
DVDで久しぶりに映画鑑賞。
もう説明不要の有名なニューシネマ作品なのですが、ある事に気づいたのでその事を文章にしたいと思います。
まず、冒頭のメキシコでのコカインを仕入れるシーン、密輸の仕事をしてL・Aにてマフィアにコカイン渡して金を得るシーン。
その得た金でハーレーを購入し、ワイアットとビリーは砂漠のハイウェイにバイクを走らす・・・そして「ワイルドでいこう」の音楽。
ネットのレビューを読むと、たまに「このシーン必要?」ってありましたが、多分必要だと思います。
冒頭のシーンが「ワイアットとビリーは砂漠のハイウェイにバイクを走らす・・・」からの始まりでしたら説得力が無いのです。
この麻薬取引のシーンで彼らが非合法のビジネスで儲けた金で旅に出る。。。
そうですよね、簡単に言ってしまえば二人は犯罪者、アウトローな若者。
アメリカの社会では必然的に排除されるべき存在なのです。
多分、軽い気持ちでコカインを密輸して金を手に入れたかったのでしょうが、コカインが蔓延して他の人に与える影響なんて
二人は考えていなかったでしょう、あくまでも自分本位な考え方。
そして旅の目的が、南部のニューオリンズで行われる「謝肉祭」を見に行くこと。
旅のスケジュールは漠然としていてワイアットのセリフでは「多分7日ほどで着くと思う」なんて言っている。
途中、ヒッピーのコミューンに行ったり、牢獄にぶち込まれたりのイベントやアクシデントが満載。
計画的ではなくて、あくまでもツーリングでの自由な旅をしながら行くのが目的、基本的には無計画(笑)
そしてニューオリンズの謝肉祭に行ったところからとても宗教的な感じになりますよね。
墓地でのLSD摂取、男女4人はLSDの幻覚で自分の深い意識まで呼び起こして
神に懺悔したり、今までの行いを悔い改めるような言動など。
そうですね、ここで初めて二人(特にワイアット)は自分がアウトローな犯罪者だと認識するのです。
多分、弁護士のハンセンが殺された事も頭にあったのでしょう、「彼は何も殺される理由なんて無いはずなのに」
次のシーンで野宿する二人。ビリーは言う「金も出来たしフロリダでのんびりと過ごそうぜ!!」
するとワイアットは視線を下に落として一言「無理だ!!」自分のこれからの運命を悟ったような言い方。
ラストは主人公たちは死ぬしかないのです。それは主人公たちが意識しているしていないに関わらず。
もしビリーが言ったようにラストはフロリダで楽しく人生を謳歌する二人を描いていたら
それこそ神はこの世に居ないんじゃないかと絶望的になる。人種差別とか自由を恐れる人間とかの理不尽な排他性が
二人を殺したようになっていますが、まずアウトローな存在としてコカインの密輸をしたり
保守的な人間には無い自由を持っている若者に描くことで、アウトローな存在は社会的に抹殺されるという非常に残酷な現実。
自由を守るためなら殺したり殺されたりする「アメリカ」の残酷な現実。
このあたりはベトナム戦争とか公民権運動とかの影響があるんでしょうね。
まぁこの残酷な現実がこの作品をアメリカン・ニューシネマの名作としているのは間違いないと思います。
ただ思ったことをつれづれと書いてみました。