とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

資本主義が是認されたる正義の基準

2024-06-08 19:50:32 | 貨幣・財政・会計・経済
資本主義における資本家がけしからん、と言う論は度々目にする。
曰く搾取している、曰く新しい階級社会だ、曰く非人間的である、曰く富の集中を起こして格差社会を進行させる、曰くやつらは実態的労働を一つもせずして約定のみによって収益金を収奪していく・・・

一方これに対する反論もまたよくある。
曰く資本の活動及びそれに伴う金融活動は社会の血流なので止めてはいけないし、むしろこれがあるから社会は発展するのだ、誰でも資本活動は参加できる、その道は閉ざされていない、曰くこの方向性を止めるのではなく、続けることが正しいのだ・・・

資本主義は継続していくべきなのか? むしろ体制において増進すべきなのか? 
あるいは停止すべきなのか? あるいは停止しないにしても軌道修正をして変化させるべきなのか。
今に至っても、社会的に統一された見解は出ていない。

こうした綱引きに対し、「こういう考えもちょっとあった方がいいのでは」と言う余計な一言を私から書いておきたい。それでは始める。

まず、資本主義が是認されるかされないのかは、「それが結果的に社会の役に立っているから」と言う話があるが、これは資本の投下とそれによる新規科学技術の発見や発明、事業創出などにより更に稼げる金が増えると言う、正のスパイラルがあって、それに対する社会が乗っているためにそういう主張がなされている。

が、これは正解でありながらも、欺瞞も多く含む。
多くの人間が資本主義社会下における経済活動によってスマートフォンを持つに至ったが、経済トレンドは下降気味、イギリスと日本は経済停滞にあえいでいる。
つまり技術面での便利さは促進しているが、個人の年間収益としての暮らしやすさは楽になっていないというのが実情なのだ。

火と言うのが人間社会に使用されるにおいて、正の側面と負の側面があるように、資本主義活動においても正負の両側面がある。
これは当然、ガスコンロで鍋をあたためつつも火事は起こさないようにする、と言うことが我々ができているように、資本主義経済下における活動も、技術の便利さを享受すると共に、人の生活も楽にする、と言うことがあっても良いし、むしろそうコントロールすべきである。

ただ資本家はそうした正の側面があるのだから負には目を瞑れと言う形で資本主義是認をしているが、最終的に大衆社会の利益や幸せのために資本主義社会が機能しているならば、そうしたコントロールをすべきなのだ。
つまりは良い社会をもたらしながら、人の年収的生活も楽にし、安定的生活も送れるようにする、と言うことになる。

冒頭の
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