とめどもないことをつらつらと

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引用OKす。

「〇〇も夢じゃない」と言う言い方・慣用句

2021-04-11 10:47:51 | 文章・日本語・言葉
我々の社会の中では「将来の夢は〜」だとか「夢は〇〇になることです」と言うような言い方で、とてつもなく遠大な願望だが、実現可能性が僅かにでもあるものを「夢」と呼称する。

そこの語用の背後に存在するのは、その遠大な願望の獲得を追うことを美しいと捉えたり、あるいは社会の規範と捉えたり、倫理道徳で勧められる行為として挙げられたりもする。


ただ、「夢」と言う言葉の語用は、本当にその語用でいいのだろうか? その理解でいいのだろうか? その運用でいいのだろうか。

私達は、上記で挙げた「将来の夢は〜」だとか「夢は〇〇になることです」などの、社会的通念として美しくてそれを実行すべきという言葉と考え方の語用の他に、「〇〇も夢じゃない」と言う言い方・慣用句も使用する。

ここには、「〇〇も夢じゃない」と言う形で夢を否定することによって、目標が現実的なラインで手に入りますよ、と言う認識を促している。

ん? それでは夢と言うのは「目標が現実的なラインで手に入らない」と言うものなのだろうか。
答えはイエス。

本来であれば、人間が人生を送る上での行動営為においてあるべきなのは、「実現可能な目標を定めて、そこの獲得に向けて邁進する」と言うことである。これを実行するのが正しい。

ただ、世の中、あまりにも夢を追わせすぎている。
そこに発生する齟齬に、人の不幸がありはしないか。そこに、詐称した悪意はありはしないか。
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