とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

腹を膨らませることへの贅沢さ加減(雑感)

2020-09-10 23:59:53 | 雑感
最近ちょっとした形でダイエットをする的なことになり、お腹が空いたときは腹を膨らますためにこんにゃくを食べている。味噌ダレをかけるとおいしい。

ふと思い出すのは私の大叔父のことである。私の祖父の弟である。

この人は戦時中は大日本帝国陸軍として中国大陸に渡った。
この人は手記を残したので、これを読むと中国での多種多様な体験が追体験できるようになっている。
まず海を渡る前までは所属上長は優しいのだが、渡った後から厳しくなる(ここまで来た新兵はもう逃げられないため)。

あるいは今の我々のイメージでは、中国にいる日本兵は、出会う中国人を出会うなりに殺していったようなイメージがあるのだがそういうことはないのがこの手記から分かる。
日本兵はなんとそのまま中国のデパートに入ったりしていた。
私の家系と言えば、当時は日本の田舎の出身なのでエアコンと言うものを知らなかったし、その周辺の日本兵も事情が一緒だった。
そういう人たちがデパートに入ると、皆入ったら「何やら気味が悪い」と言ってぱっと出てしまうのである。どうしてかというと、その時の季節は夏で、外は暑さがあったが、当時は中国のデパートにエアコンがついていて、中は空調が効いていて冷えている。
とした時に、皆建物の中に入った時に、エアコンが効いているのでひんやりしている。それをエアコンを知らない人たちが入ると「気味が悪い」と感じてしまうのである。

当時の日本の田舎よりも中国の都心の方がそうしたインフラ面で進んでいたと言うのは特筆すべきことだ。

あるいは終戦の報を中国大陸で聞き、その後誰しもが日本へ帰りたがっていたが、大叔父は最後にはけるまでの要員として後の方に回されてしまったこと、あるいは、その時には武装解除で武器が使用できなかったが、「俺達は戦勝国民だ」と言って暴れまわる輩が中国大陸にもいて、夜の監視などは丸腰で防御せねばならずやきもきしたことなどが書かれている(そういう暴徒が来たら来たでそれなりに戦ったとは思うが・・・)。

あるいは中国の人とも普通に接していて、出店で何かを買おうと食品を見た時にはハエがたかっていて「こんなものを食べるのか」と内心驚いてしまったことや、葬式の一団に出くわすと、最後尾に「泣き女」と言うものがついてきて、静かに故人を忍ぶ日本とは違う風習に「ああいった習俗があることは日本の基準ではすこしおかしいもののしかしそうしたものなのだ」と仲間内で評することもあった。

そういうミクロ視点で見た戦記の中には当時の食糧事情も書いてある。

やはり当時の日本軍は貧乏であったので、十全な栄養状態の食料配給とは行かなかったと言う。
それではどういう食事だったのかというと、カンパンをまず食べて、それで水を飲んで腹を膨らます、と言う旨の記述があった。

こうした戦時中はそういう食糧事情だったのだなあ、と思い返すと同時に、今の私は体重を減らすために蒟蒻をわざわざ食べているなど、贅沢の極みだなあと思った次第でこれを書いている。

ビートたけし氏も言っていたが、戦後は貧乏だったら勝手に痩せた、今はダイエットするためにわざわざ金を出すと言うことを書籍に書いていた。
貧乏だと体重が減少すると言うのは、イギリスで学校給食が始まる前の「絶対貧困」と言う体重指標のミクロ経済を判断する指標である。

それが今の日本では回避できているということになるだろうか。
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韓国「日本なしでは半導体は作れない」 設備と技術者需要逼迫

2020-09-10 20:25:35 | 海外・国内政治情報等

日本政府による半導体材料3品目(レジスト、フッ化水素、フッ化ポリイミド)の対韓輸出管理強化から1年が経過し、この間に韓国では国産化が進められてきた。しかし、実際のところそう簡単にはいかないようだ。

中国メディアの電子工程世界は7日、韓国の半導体産業ではいまだに日本依存が深刻だと指摘する記事を掲載した。

記事は、韓国が半導体材料の国産化を進めるにあたり、半導体を製造するための設備を日本から大量に輸入していると紹介。

韓国国際貿易協会が9月6日に発表したところによると、今年7月までに日本から輸入された半導体設備は17億ドル(約1800億円)と、前年同期比77.2%も増加したそうだ。

しかし、韓国政府も日本依存から脱却するため支援を表明しているのではないだろうか。記事は、韓国国内の半導体業者の実力は、サムスン電子やSKハイニックス等の求める基準に届かないと指摘。

日本製以外の設備によりその基準に達するのはまず無理な話だと伝えた。実際、今年6月の時点では品質認証を受けるため申請した130社のうち、厳しい基準をクリアした企業は19社、実際に契約までこぎつけたのはわずか3社だったという。

また、日本依存は設備だけではないという。設備を導入するにあたって専門知識を持つ日本の技術者も必要で、現時点では「日本なしでは半導体は作れない」と伝えている。

韓国は半導体製造において脱日本を目指して進んでいるようだが、半導体を製造するための設備と技術者を日本に依存しているようでは、韓国の言う脱日本はかなり遠い話なのではないだろうか。


2020-09-10 07:12
http://news.searchina.net/id/1692594

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IOCバッハ会長「東京五輪は安全な環境下でのみ開催」

2020-09-10 20:24:08 | 海外・国内政治情報等
・国際レベルでの「行けたら行くわ」
・大阪人か


「安全な環境でのみ五輪開催」 IOCバッハ会長 感染防止策を集中協議へ
2020年9月10日 11時44分
https://mainichi.jp/articles/20200910/k00/00m/050/062000c

 国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長は9日、新型コロナウイルスの影響で来夏に延期された東京オリンピックについて、安全な環境でのみ開催する考えを強調した。理事会後のオンラインでの記者会見で「安全を確保する原則を守る」と述べ、今後数週間で感染防止策を集中的に協議していく方針を示した。

 開催を巡っては、大会準備を監督する調整委員長を務めるIOCのジョン・コーツ副会長がAFP通信に「大会はウイルスがあろうとなかろうと来年7月23日に開幕する」と発言したことが7日に報じられ、波紋を広げていた。記者会見に先立ち、IOCは「世界保健機関(WHO)のリスク管理と緩和措置に従い、安全な環境でのみ五輪を開催する」と文書で報道陣に釈明するなど対応に追われていた。バッハ会長はコーツ氏の発言を「文脈の一部」と擁護し「全ての参加者の安全を確保することが原則であり、コーツ氏も含め、IOC関係者の誰もが全力を尽くしている」と沈静化を図った。

 日本政府は4日に東京都や大会組織委員会と感染症対策調整会議を発足させ、コロナ対策に本腰を入れた。日本側とIOCの調整委員会が24、25日に予定されていることもあり、バッハ会長は「安全な大会にするため、この数週間でコロナ対策のさまざまなシナリオについて重要で集中的な協議を行う」と述べた。

 最終的な開催判断の時期については「状況は刻々と変化している。検査手法の進展、ワクチン開発も推移を見守る必要がある。最終的なシナリオを固めるには時期尚早だ」と述べるにとどめた。

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鈴木あみ 激辛カレーを食うという脚本

2020-09-10 20:22:29 | 社会・テレビ・広告・既存市場動向
まあ昔はこういう話でも楽しめたんだがねえ・・・と。

ドラマ脚本で時のアイドルが池に落とされたりだとかそういう何でも無い中身のない演出でも、視聴率を稼げた時代があった。


https://www.daily.co.jp/gossip/2020/09/08/0013676789.shtml
2020.09.08

 司会の明石家さんまが「ココイチのカレーでは何カラ?」と質問。鈴木は「10で辛いと思ったことはない」と返して共演者の驚きを誘った。鈴木は「通常お願いするのは50倍から100倍です」とまたも驚かせ、「スープカレーが50倍から100倍になってくると泥です。飲んだときにのどにへばりつく。楽しくってハッピーになっちゃう」などと笑顔で答えた。


あとNOKKOがレジ打ちバイトをしてたとかあの辺。
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日本車発展の原動力は「パクリ」にあった―中国メディア

2020-09-10 20:21:33 | 海外・国内政治情報等
・いいけど、日本車が壊れないと言う特徴はどこからパクったのか言ってみ? 


日本車発展の原動力は「パクリ」にあった―中国メディア
2020年9月8日(火) 8時20分
https://www.recordchina.co.jp/b833726-s0-c20-d0135.html

2020年9月6日、中国メディアの界面新聞は、今や世界に名だたる日本の自動車産業について、その発展の原点にあったのは「パクリ」だったとする記事を掲載した。

記事は、戦前に始まった日本の自動車開発は第2次世界大戦によって足踏みを余儀なくされたものの、戦後まもなく勃発した朝鮮戦争によって復活の足掛かりをつかんだと紹介。そして「パクリの中でオリジナルを生み出し、拝借する中から学ぶ」という原則のもと、欧米メーカーのモデルの模倣を繰り返すことでオリジナリティーある製品を生み出し、日本の自動車産業を急速に発展させていったと伝えた。

また、1960~70年代に日本車が大量に米国に輸出されるようになると、日本のメーカーは米国本土のメーカーとの激しい競争に勝つために類似製品を発売する作戦に出たと説明。さらに、設計力で欧州にかなわなかった日本メーカーは、欧州メーカー車のデザインを積極的に模倣することで実力を高めていったとしている。

その上で記事は「パクリ自体は誤った行為だが、パクリの中から絶えず成長し、ついには頭角を現して強くなれば、過去の汚点も取るに足らないものになる。まさに弱肉強食の世界だ」と評した。

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