最近ちょっとした形でダイエットをする的なことになり、お腹が空いたときは腹を膨らますためにこんにゃくを食べている。味噌ダレをかけるとおいしい。
ふと思い出すのは私の大叔父のことである。私の祖父の弟である。
この人は戦時中は大日本帝国陸軍として中国大陸に渡った。
この人は手記を残したので、これを読むと中国での多種多様な体験が追体験できるようになっている。
まず海を渡る前までは所属上長は優しいのだが、渡った後から厳しくなる(ここまで来た新兵はもう逃げられないため)。
あるいは今の我々のイメージでは、中国にいる日本兵は、出会う中国人を出会うなりに殺していったようなイメージがあるのだがそういうことはないのがこの手記から分かる。
日本兵はなんとそのまま中国のデパートに入ったりしていた。
私の家系と言えば、当時は日本の田舎の出身なのでエアコンと言うものを知らなかったし、その周辺の日本兵も事情が一緒だった。
そういう人たちがデパートに入ると、皆入ったら「何やら気味が悪い」と言ってぱっと出てしまうのである。どうしてかというと、その時の季節は夏で、外は暑さがあったが、当時は中国のデパートにエアコンがついていて、中は空調が効いていて冷えている。
とした時に、皆建物の中に入った時に、エアコンが効いているのでひんやりしている。それをエアコンを知らない人たちが入ると「気味が悪い」と感じてしまうのである。
当時の日本の田舎よりも中国の都心の方がそうしたインフラ面で進んでいたと言うのは特筆すべきことだ。
あるいは終戦の報を中国大陸で聞き、その後誰しもが日本へ帰りたがっていたが、大叔父は最後にはけるまでの要員として後の方に回されてしまったこと、あるいは、その時には武装解除で武器が使用できなかったが、「俺達は戦勝国民だ」と言って暴れまわる輩が中国大陸にもいて、夜の監視などは丸腰で防御せねばならずやきもきしたことなどが書かれている(そういう暴徒が来たら来たでそれなりに戦ったとは思うが・・・)。
あるいは中国の人とも普通に接していて、出店で何かを買おうと食品を見た時にはハエがたかっていて「こんなものを食べるのか」と内心驚いてしまったことや、葬式の一団に出くわすと、最後尾に「泣き女」と言うものがついてきて、静かに故人を忍ぶ日本とは違う風習に「ああいった習俗があることは日本の基準ではすこしおかしいもののしかしそうしたものなのだ」と仲間内で評することもあった。
そういうミクロ視点で見た戦記の中には当時の食糧事情も書いてある。
やはり当時の日本軍は貧乏であったので、十全な栄養状態の食料配給とは行かなかったと言う。
それではどういう食事だったのかというと、カンパンをまず食べて、それで水を飲んで腹を膨らます、と言う旨の記述があった。
こうした戦時中はそういう食糧事情だったのだなあ、と思い返すと同時に、今の私は体重を減らすために蒟蒻をわざわざ食べているなど、贅沢の極みだなあと思った次第でこれを書いている。
ビートたけし氏も言っていたが、戦後は貧乏だったら勝手に痩せた、今はダイエットするためにわざわざ金を出すと言うことを書籍に書いていた。
貧乏だと体重が減少すると言うのは、イギリスで学校給食が始まる前の「絶対貧困」と言う体重指標のミクロ経済を判断する指標である。
それが今の日本では回避できているということになるだろうか。
ふと思い出すのは私の大叔父のことである。私の祖父の弟である。
この人は戦時中は大日本帝国陸軍として中国大陸に渡った。
この人は手記を残したので、これを読むと中国での多種多様な体験が追体験できるようになっている。
まず海を渡る前までは所属上長は優しいのだが、渡った後から厳しくなる(ここまで来た新兵はもう逃げられないため)。
あるいは今の我々のイメージでは、中国にいる日本兵は、出会う中国人を出会うなりに殺していったようなイメージがあるのだがそういうことはないのがこの手記から分かる。
日本兵はなんとそのまま中国のデパートに入ったりしていた。
私の家系と言えば、当時は日本の田舎の出身なのでエアコンと言うものを知らなかったし、その周辺の日本兵も事情が一緒だった。
そういう人たちがデパートに入ると、皆入ったら「何やら気味が悪い」と言ってぱっと出てしまうのである。どうしてかというと、その時の季節は夏で、外は暑さがあったが、当時は中国のデパートにエアコンがついていて、中は空調が効いていて冷えている。
とした時に、皆建物の中に入った時に、エアコンが効いているのでひんやりしている。それをエアコンを知らない人たちが入ると「気味が悪い」と感じてしまうのである。
当時の日本の田舎よりも中国の都心の方がそうしたインフラ面で進んでいたと言うのは特筆すべきことだ。
あるいは終戦の報を中国大陸で聞き、その後誰しもが日本へ帰りたがっていたが、大叔父は最後にはけるまでの要員として後の方に回されてしまったこと、あるいは、その時には武装解除で武器が使用できなかったが、「俺達は戦勝国民だ」と言って暴れまわる輩が中国大陸にもいて、夜の監視などは丸腰で防御せねばならずやきもきしたことなどが書かれている(そういう暴徒が来たら来たでそれなりに戦ったとは思うが・・・)。
あるいは中国の人とも普通に接していて、出店で何かを買おうと食品を見た時にはハエがたかっていて「こんなものを食べるのか」と内心驚いてしまったことや、葬式の一団に出くわすと、最後尾に「泣き女」と言うものがついてきて、静かに故人を忍ぶ日本とは違う風習に「ああいった習俗があることは日本の基準ではすこしおかしいもののしかしそうしたものなのだ」と仲間内で評することもあった。
そういうミクロ視点で見た戦記の中には当時の食糧事情も書いてある。
やはり当時の日本軍は貧乏であったので、十全な栄養状態の食料配給とは行かなかったと言う。
それではどういう食事だったのかというと、カンパンをまず食べて、それで水を飲んで腹を膨らます、と言う旨の記述があった。
こうした戦時中はそういう食糧事情だったのだなあ、と思い返すと同時に、今の私は体重を減らすために蒟蒻をわざわざ食べているなど、贅沢の極みだなあと思った次第でこれを書いている。
ビートたけし氏も言っていたが、戦後は貧乏だったら勝手に痩せた、今はダイエットするためにわざわざ金を出すと言うことを書籍に書いていた。
貧乏だと体重が減少すると言うのは、イギリスで学校給食が始まる前の「絶対貧困」と言う体重指標のミクロ経済を判断する指標である。
それが今の日本では回避できているということになるだろうか。