とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

心を殺すと言う仕事をしている時の日本人

2020-09-25 21:28:41 | マンガ
ゴールデンカムイ 100話

「鈴川は・・・苦しんだか? どうやって死んだ? 」
「アシㇼパさん 鈴川は悪人だ
 悪人は人の心が欠けているから普通の人間より痛みも感じないはずだ
 だからいちいち同情しなくていい」
「子供だと思ってバカにしているのか? そんな理屈でごまかすな」
「俺はそう思うようにしてきた・・・
 戦争のときもロスケは俺たち日本人とは違って苦しまずに死ぬはずだって・・・
 戦場では自分を壊して別の人間にならないと戦えない
 俺たちはそうでもしなきゃ生き残れなかったんだ」
「みんな元の人間に戻れなかったのか? 」
「戻れた奴もいただろうさ
 故郷へ帰り家族と過ごす時間で元の自分を取り戻せるのかもな
 日本に戻ってきても元の自分に戻れない奴は心がずっと戦場にいる」


これは兵士が一番そうではあるが、しかし一方において日本人は仕事をする上で、どこかで自分の心を殺して、自分を壊し、仕事をしている。
なぜ普通の企業に勤めるだけで、自分をそうしなければいけないのだ? 
なぜ人間らしく生きようとする自分と仕事をする自分は異なっていなければいけないのだ。
一致して人間らしく振る舞った上で、自分の仕事を十全にすることはできないのか。
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Wikipediaの言う「コーヒー一杯分の値段」←舐めとんのか

2020-09-25 00:38:39 | 雑感
遠い昔の話である。

おそらく中の下から下の上くらいの私の家ではブルジョアな表現を揶揄する嫌いがあった。

例えば、テレビCMなどで、保険の広告が流れた時に「コーヒー一杯分のお値段です」と言うものが流れようものなら「そんな高いの、出せるわけないじゃないの、ねー」と言って批判し、笑って嘲った。
おそらくだが当時の田舎の工場の配給弁当の値段は一食200円くらいだったかと思う。

当然これは地域差もあって、都会っ子は400円くらいで安いなと感じていたようだ。
(私は一杯250円のラーメンを食べて高いと文句を言ったことがある。せめて100円にしろと)

と言うことを経験してきた人間から言うと、Wikipediaの「たかだかコーヒー一杯分の値段なんですから払って下さいな」的な提案に「舐めんなこの野郎」と思わざるを得ないのである。そー言うのはブルジョアに頼めブルジョアに。

あとお金が集まった後にBrilliant!!(素晴らしい)などと上から目線で評価するのも煩わしいんだっつーの的な。
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ゴールデンカムイ:偽アイヌ

2020-09-25 00:11:40 | マンガ
アイヌに化けた偽アイヌ(ヤクザ)であるが、何がヤバかったのかアニメ化時に完全にはしょられた模様。
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男と犬は常に命令を求めている

2020-09-25 00:09:31 | 労働
そんなもんじゃ。

自分がその行動と人生を預けられるような使命を欲している。

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ゴールデンカムイでのシスター宮沢の絵は何がいけなかったのか

2020-09-25 00:04:55 | マンガ
熊岸長庵がシスター宮沢の絵を描いたがこれは何がいけなかったのか。

理由:
第一位:熊岸長庵の今際の際のセリフが凄いいいセリフ「真作を超える贋作」が、この絵によって説得力が180度転換したものになってしまったこと(リアルに心に染み入るべき言葉が、ギャグになった)

第二位:もっと真剣にマンガ描けやと思うべきところで笑ってしまうギャグ

第三位:純文学基調の感動する物語でもそこから180度転換したギャグでもどちらかにガンぶりしていればよかったが、どうにも90度くらいの方向変換をしていて、何とも腹の収まり具合が悪く、すっきりしない。
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