公園に少なき人や冬終る
長い陰鬱な冬が終わることをいう。
立春が近づいて、立冬から三か月も続いた冬が終わること。
長かった寒い冬から解放される安堵感や喜びが感じられる。
公園に行ったが、いつもより人が少なかった。
それでも冬が終わったという感があった。
冬果つや夕日明りの鳥の影
公園に少なき人や冬終る
長い陰鬱な冬が終わることをいう。
立春が近づいて、立冬から三か月も続いた冬が終わること。
長かった寒い冬から解放される安堵感や喜びが感じられる。
公園に行ったが、いつもより人が少なかった。
それでも冬が終わったという感があった。
冬果つや夕日明りの鳥の影
飼主に先立つ犬や春隣
春がすぐそこまで来ていることをいう。
冬も終わりの頃になると暖かい日もあり、目にふれる樹木の姿、日の光にも春の気配が漂う。
同種の季語に「春待つ」があるが、こちらは主観的で、春を待ちわびる気持ちが強い。
犬の散歩をしている人がいた。
犬が先立って飼い主をぐいぐいと引っ張っていた。
それを見て、春がそこまで来ていることを感じた。
春近し夕日の中の立ち話
冬深し畑の向かうに富士見えて
一年で最も寒さの極まる時期のことをいう。
自然も人の暮らしもすっかり冬一色である。
「冬深む」は、冬が深くなるという意味で、慣用的に用いられている。
畑の向こう側に富士山が望められた。
はっきりと見えるので、一層冬が深くなった感がした。
真冬日の幹の黒影うねりをり
歩ききし方振り返る寒暮かな
冬の夕暮をいう。
冬の暮とおおむね同義だが、硬質な言葉の響きが、柔らかな冬の暮とは異なる印象がある。
春の暮、秋の暮のような伝統的本意はないが、寒さの厳しいなかでのしみじみとした情感はある。
散策をして、歩いてきた道を振り返ると、いつの間にか寒暮となっていたことよ。
山見つつ寒暮の坂を下りけり
犬連るる人ら集まり日脚伸ぶ
野火止用水
冬至を過ぎて昼の時間が少しずつ伸びてゆくことをいう。
一日一日と日が長くなってゆくが、その伸び方は俗に畳の一目ずつともいわれるほど遅々たるものである。
一月も半ばを過ぎると日が伸びたことを実感するようになる。
春がそこまで来ていることを喜ぶ気分がある。
公園には犬を連れた人が多く、次第に集まって会話を楽しんでいる。
その様子に、日脚が伸びたことが実感された。
日脚伸ぶベンチに憩ふ男ゐて