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俳句の風景

写真と自作の俳句を掲載しています。

新涼

2025-08-10 | 俳句・秋・時候

 

 

新涼や用水泳ぐ亀のゐて

 

 

 

 

 

 

立秋を過ぎて、実際に感じる涼しさのことをいう。

 

 

 

 

 

 

夏の「涼し」は暑さのなかで感じるかりそめの「涼し」であるが、「新涼」は、秋になっての本当の涼しさである。

 

 

 

 

 

 

涼しくなると、心地よくはなるが、やがて一抹の寂しさを伴うようになる。

 

 

 

 

 

 

雨が降ってようやく涼しくなった、

いわゆる新涼である。

そんな中、用水に亀が泳いでいた。

 

 

 

 

 

地蔵には多き供花あり涼新た

 

 

 

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立秋

2025-08-07 | 俳句・秋・時候

 

 

立秋や山鳩二羽の歩きゐて

 

 

 

 

 

 

二十四節季の一つで、太陽の黄経が一三五度の時をいう。

陽暦八月七日頃に当たる。

 

 

 

 

 

 

暦の上ではこの日から秋に入るが、実際にはまだ暑さが厳しい。

 

 

 

 

 

 

しかし、朝夕などはどことなく秋の気配が感じられる。

 

 

 

 

 

 

立秋の今日、川堤の道を歩いた。

そると、そこにはつがいの山鳩が歩いていた。

 

 

 

 

 

秋立つや母子眺むるアーチ橋

 

 

 

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冬近し

2024-11-06 | 俳句・秋・時候

 

 

冬近し菜園に誰(た)もをらずして

 

 

 

 

 

 

立冬を目前にした頃をいう。

 

 

 

 

 

 

秋も終わりに近づくと、日差しも弱くなり、冬の到来が間近であることが実感させられる。

 

 

 

 

 

 

冬隣には、寒く厳しい冬に対して身構える緊張感が伴う。

 

 

 

 

 

 

いつも誰かいる菜園には人影がなかった。

冬が近いことが実感させられた。

 

 

 

 

 

球場の早点りけり冬隣

 

 

 

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秋の暮

2024-11-05 | 俳句・秋・時候

 

 

次々と家灯りけり秋の暮

 

 

 

 

 

 

秋の夕べ、夕暮れ時のことをいう。

 

 

 

 

 

 

清少納言の『枕草子』には、「秋は夕暮」とある。

秋で最も風情があるのは夕暮れであるという。

 

 

 

 

 

 

『新古今和歌集』の三夕の歌はことに有名で、寂しげにして「もののあはれ」の極みといわれている。

「暮の秋」は秋季の終わりを意味する。

 

 

 

 

 

 

「秋の日は釣瓶落し」といわれるように、あっという間に暮れていく。

そのため、家々は次々と灯されていった。

 

 

 

 

 

道歩く人もをらずや秋の暮

 

 

 

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秋深し・新蕎麦

2024-10-28 | 俳句・秋・時候

深大寺山門

 

 

秋深し門前に水流れゐて

 

 

 

 

 

 

晩秋の十月、秋もいよいよ深まった感じをいう。

 

 

 

無患子の実

 

 

 

大気は冷ややかに澄み、草木は紅葉を始め、寂寥の心持が深い。

 

 

 

 

 

 

「秋深む」は慣用的に用いられている。

 

 

 

 

 

 

東京都調布市の深大寺を訪れた。

門前には澄んだ湧水が流れ、秋の深まりを感じた。

 

 

 

とろろ蕎麦

 

 

美濃よりの人も交へて走り蕎麦

 

 

 

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