水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

一首鑑賞(87):小林捷恵「外出は禁止となりて二年過ぎ」

2022年03月24日 14時31分06秒 | 一首鑑賞
外出は禁止となりて二年過ぎ窓に見上ぐる雲に乗りたし
小林捷恵(『信徒の友』2022年2月号「読者文芸」欄より)


 とても平明ながら胸を打つ一首である。おそらくご高齢の方で施設などに入所されていて、コロナウイルス感染症の拡大により外出の禁止が課されているのだろう。ご自分が出かけられないだけでなく、今はご家族の方々との面会もできない所が殆どと聞く。施設内に籠って鬱々と部屋の窓から外を眺め、雲が空を自在に動いていく様に遠く憧れるような情感が言い表されていて切実である。
 雲は身近に神の存在を感じさせる風物だと思う。私は20代の頃から雲を眺めるのが好きだった。雲は傍目にはゆっくり動いているように見えるが、その実結構なスピードで進んでいる。神様が働かれる時というのはそれに似ていて、遅々として一向に進まぬと見えたものが急に展開する感じがする。
 有名な詩編18編の10〜11節「主は天を傾けて降り 密雲を足もとに従え ケルブを駆って飛び 風の翼に乗って行かれる」は、新改訳第三版では「主は、天を押し曲げて降りて来られた。暗やみをその足の下にして。主は、ケルブに乗って飛び、風の翼に乗って飛びかけられた」(9〜10節)となっている。「天を押し曲げて」でも降りて来られたというのは、相当なことではないだろうか。神様は、あまりにも私達を愛していて、その一番大切な御子を地上に降ろしてくださったのだ。18篇19節(新改訳)では「主は私を広い所に連れ出し、私を助け出された。主が私を喜びとされたから」と書かれている。
 コロナ禍がいつ収束するか、先は見えない。閉鎖された空間の中で、ジリジリとした焦燥感に包まれて生活している方も多いに違いない。私は、その方々に何もできない無力な者である。ただ、窓から見える空の青さや陽射しの確かさ、雲の形などが、天の父なる神様から来るものとして、安らぎが感じられますようにと願うばかりである。一つ詩篇の御言葉を引いて、結びに代えたい。
     *   *   *
主よ。あなたの恵みが私たちの上にありますように。私たちがあなたを待ち望んだときに。(新改訳第三版 詩篇33篇22節)

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