笑顔浴

優しい時間

きれいな気持ち

2011年07月04日 | Weblog

7月2日は、笑顔浴をしました。

音楽を聴いて、美味しいものを一緒に食べて

たわいのないおしゃべりを交わすだけなのに

きれいな気持ちが湧いてきて、気持ちが和みました。

クレアさんの歌声のおかげでしょうか 香さんの詩の愛情の深さでしょうか

参加した方のきれいな気持ちに接するからでしょうか

人を責めず、そして 私を責めず 私たちは愛し合うために生まれてきました

というメッセージに包まれていると

日頃、知らず知らず汚れてしまう心も さっぱりとお洗濯できました。

ほー とした気分です。

私の中の、きれいな気持ちがよろこんでいます。

 

もしも

人との交流の場が安全でなければ、自分を守るために戦わざるをえません。

心を硬く閉ざして篭城するか、先制攻撃で相手を蹴散らすか

いずれにしても、心穏やかに過ごせるわけがない。

では、

その安全か安全でないかをどのように評価してるか ふりかえると

困ったり、不安になったり 心配になったり、怒ったり 悲しくなったり、寂しいとき

その時のセリフは・・・

「なんで、そんなことするの」「なんで、そんなこと言うの」「なんで、こうなるの」

対象者のずるさや 怠惰や いやらしさや 威力や 失礼さや 怖ろしさを

理由や原因として考えがちですが、いつも共通していることがあります。

「私の期待や予想どおりに人が行動しない、環境が整わない」こと。

原因は、相手のせいや、運命のせいというよりは むしろ

「それは~であるべきだ」「あなたは~するべきだ」という 私の考え方に影響されています。

 

人を信じられなくなると、妄想が始まります。

「外で私の悪口を言うに違いない」と、笑顔の裏側を邪推したり、

「全然足りない、私は嫌われているのかも」と、せっかくの優しさに不平不満を感じたり

「もっと私を大切にするべきだ」と要求している限り

満たされた気持ちでは居れないわけで、結局、私が私を不幸にしてしまいます。

 

誰かの本心は、その人だけのものです。

その人が置かれた状況も、環境も 私には知る術がないし、

仮に全てを知ったところで、次の瞬間には変化するのだから、再び、不明になるわけで 

本心にこだわらなくても、いいよね。

笑顔は、笑顔として受け取り、私に充分よ!と感謝できたり

故意に意地悪しないあなたを 私はよく知っているよと伝えられますように!

 

私が あなたの期待通りに生きないのと同様に

あなたも 私の思い通りに生きなくて良いのです。

その上で、幸福な時間を一緒に過ごせるといいな~

今日も  ハブ ア ハッピイ デイ!

 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 筋肉トレーニング | トップ | 夏休み »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事