笑顔浴

優しい時間

親鸞聖人750回大遠忌法要

2010年04月30日 | Weblog
私の家は浄土真宗本願寺派の檀家でございます。
来年は京都で行う法要に来てくださいとご挨拶がありました。
音楽法要のあと五木寛之氏の講演会がありました。

「親鸞」の著者でもある五木寛之氏は1981年から休筆して
 龍谷大学で仏教史を学ばれました。
「親鸞を(おやどり)と呼ぶ若いカップルにも親鸞を知ってもらえたら嬉しい」
と明るく講演が始まりました。

■「偉い人は本人が執筆しないで、周囲の人が書いている」
 (私の想像・・・その言葉を思い出すほど周囲の人が感動するのでしょう)

イエス様の言葉は「聖書」に
孔子先生の言葉は「論語」に
お釈迦様の言葉は「経典」に
親鸞さんの言葉は「歎異抄」にまとめられました。

■「文字をつづるより大切にしたのは声をかけ語ること
  老若男女が共に歌うこと。だから本日も音楽法要になっている」

 (文字を読み悟るのは一人作業、
  声を聞き心が踊るのは複数作業(笑顔浴)だからでしょうか、
  その日生きるのに精一杯の、文字の読めない人々は
  わかり易い言葉となんとなく安心でき楽しい場に癒されたことでしょう)
   
■リバイバル:蟹工船・ドストエフスキー・親鸞
 混沌とした暗い時代の作品を現代の人々が読むのはどうして?
 人々は何を求めているの?

 親鸞の生きた時代は・・・生き辛い時代だった。
 源平合戦の政局不安と混乱/自然災害による飢饉/伝染病/貧困/自殺者の増大
 誰もが生きるために「物取り」と「人殺し」をするのが普通の社会
 人間を信じられる、慈悲のある人から死んでいった。
 神様・仏様が嫌う行為をして生き伸びても、死ねば地獄に落ち
 この世の罪の罰として、壮絶な責め苦が待っていると人々は絶望していた。
  
 「現代も将来に希望が見えない時代。年間の自殺者が3万人を超え続ける。
  かのベトナム戦争で10年間に死んだ民間人や兵隊の数が6万数人だが
  日本では2年もあれば達成できる勢いだ。心の大恐慌。生命のデフレ。
  戦後かつて無いほどの、心の闇が広がっている。(人を信じられず)
  救いや癒しを求めているのではないか」

 「太平洋戦争。防空壕に逃げる。後からきた力の強い男は、女や子供を力づくで
  外に引きだし自分が隠れた。食物があれば盗み簡単に人を殺した。
  弱肉強食とは、そういうものである。大陸から敗戦で幼い弟と帰国した
  私にも、暗い過去があり心に暗闇を持っている。
  小悪党の私が許される日はこないが、ひとすじの光がみえたのは
  最近のことだ。世間の隅で生きることを許してもらえる気になった。」

 「競争社会とは、弱肉強食の社会。誰もが心に闇を抱えて当然だ。
  闇を消すことはできないと思うが、ひとすじの光を持ち生きてください。
  親鸞 その人を思って我らは生き その人を忘れて我らは迷う」

忘れないようにメモしておきます。
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