人と関わろうと思うなら、挨拶は欠かせない。
挨拶は、私の心をひらき、
運がよければ
その人の心も開くことができるかもしれない。
その一言で、生命を救うことさえ可能である貴重なものだ。
習慣やマナーや、或いは強制で
なんとなく挨拶する人も多いと思うけど
挨拶の「あ」は、愛情を持っての「あ」
愛情と聞くと・・かつては、好き・嫌い や 親しさ・優しさ を思ったけど
最近は、存在認知が愛情だと思うようになった。
「あなたがそこに居るのを、私は知っています」
「あなたを排除しません」
故意に無視するという行為は、
存在しているのに、存在していないように振る舞う
存在を消すことは殺人に匹敵すると想像する。
「基本的人権を尊重する」ことが、
「愛情を持つ」行為じゃないかしらん。
忙しさゆえの無関心も、問題かもしれない。
そんなつもりはなかったのに
結果として無視したことになった、切ない記憶がある。
人の他にも挨拶する対象が多い人が、幸せな人だと思える。
犬や猫や亀やウサギのようなペットへも
花や観葉植物や、自然の風や雪や雲や光にも
挨拶上手な人が増えたら、嬉しい。
のびのびした気分を一緒に味わいたいから。