ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

北極潜航

2010年06月05日 20時14分58秒 | 書籍
雑誌に極地関係の記事を書くため、現在、過去の探検記に再び目を通したり、新たに読んだりしている(実にのんびりとした生活である。こんなことやっていていいのだろうか)。ナンセンやアムンゼン、シャクルトンの偉業は言うに及ばずであるが、今回、新たに読んだ本の中で面白かったのが、文藝春秋「現代の冒険5 白い大陸に賭ける人々」におさめられているW・アンダーソンの「北極潜航」。

1958年に米海軍原子力潜水艦ノーチラス号で北極海の氷の下に潜り込み、人類史上初めて、船で北極点に到達した時の艦長の記録である。時代は冷戦真っ只中、航海はもちろんソ連側の目を盗んだ極秘任務だった。6月に一度、太平洋からベーリング海峡を越えてチュクチ海に入るが、巨大な氷山に行く手を阻まれ失敗。7月に再挑戦し、ハワイから北極点を経由し、イギリスに抜けた。

冷戦という難しい時代に任務を帯びた軍人による記録とは思えないほど、文章は全体を通してユーモアに満ちている。横顔がジャン・レノに似たこの潜水艦長は諧謔精神にあふれていたらしく、読者を楽しませてやろうという姿勢が徹底している。

「北極を通過するときといっても、べつに鐘が鳴るわけでもなければ、なにかドスンというような音がするわけでもない。諸計器がどれだけ近くにきたかを知らせてくれるだけである」「北極に船が到達したのは有史以来はじめてのことであり、しかも、こんな多数――百十六人――が一時にあつまったのも史上初のできごとだ」

ほかにも、いささかふざけているとしか思えない文章が散見され、北極探検の記録とは思えない余裕を感じさせる。たぶん、肉体的な疲労や死の恐怖といった悲壮感がつきまとう人力による到達の記録とは違い、「艦内を温度摂氏二二度、湿度五〇パーセントという理想的な状態」に保ち、「乗組員たちは、数日間もこうした環境におかれていると、船に乗る身であることも忘れてしまう」くらい快適な船内環境下で達成された探検だったことが、ユーモアに貫かれたこの記録を可能にしたのだろう。原稿を書きながら、あ、面白い表現思いついた、とほくそ笑んでいる彼の顔が容易に想像できる。

「現代の冒険」シリーズは基本的に抄訳だと思われ、作品としては短い。1959年に光文社から単行本が出ているようなので、気が向いたら買おう。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする