朝日新聞の書評で石川直樹が書いていた、マーク・ローランズ「哲学者とオオカミ」(白水社)を読んだ。ペットとして購入したオスのオオカミのブレニンとの生活を軸に、最終的には人間が生きる意味はどこにあるのかを哲学的に考察した本である。
べつにオオカミとの生活ぶりを紹介したわけではなく、ブレニンの行動を通じて気付いたことや知見を、非常に分かりやすい言葉と例で展開している。彼がそれまでの構築してきた哲学が、一匹のオオカミの存在によって覆されていくダイナミズムが面白い。時間という概念との絡みで語られる人間の「生」の意味は、ブレニン=野生の存在なくしては発見できなかった。彼が最後に到達した生きることの意味は、個人的には、なるほどそうだよなと、非常に納得させられ、ラインマーカーをいっぱい引いてしまった。
彼がブレニンと生活していた10年間は独身で、つきあう女性を性のはけ口としか認識しておらず(自分でそう言っている)、人嫌いだと公言し、ごうまんで、孤立した環境で著作に専念する、要するに社会性がやや欠如した人間だったらしい。その間、彼はオオカミを見ながら生きることについていろいろ考え、ある結論に達したわけだが、しかしさらに最後に、さらなる展開が、ささやかだが待っている。
うーん、そうか。結局そうなのか。いやあ、そりゃそうだ。
気になる人は読みましょう。いい本です。
べつにオオカミとの生活ぶりを紹介したわけではなく、ブレニンの行動を通じて気付いたことや知見を、非常に分かりやすい言葉と例で展開している。彼がそれまでの構築してきた哲学が、一匹のオオカミの存在によって覆されていくダイナミズムが面白い。時間という概念との絡みで語られる人間の「生」の意味は、ブレニン=野生の存在なくしては発見できなかった。彼が最後に到達した生きることの意味は、個人的には、なるほどそうだよなと、非常に納得させられ、ラインマーカーをいっぱい引いてしまった。
彼がブレニンと生活していた10年間は独身で、つきあう女性を性のはけ口としか認識しておらず(自分でそう言っている)、人嫌いだと公言し、ごうまんで、孤立した環境で著作に専念する、要するに社会性がやや欠如した人間だったらしい。その間、彼はオオカミを見ながら生きることについていろいろ考え、ある結論に達したわけだが、しかしさらに最後に、さらなる展開が、ささやかだが待っている。
うーん、そうか。結局そうなのか。いやあ、そりゃそうだ。
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